第13話-3今話

昨日雨が降っていた。

今日も雨が降っていた。


降り続いた雨たちは、たくさんの命を流して海へと向かう。

どんなに水が流れても。どんなに水が流れ続けても。降った雨たちは後悔しない。

流れたことを、後悔はしない。


明日はきっと、晴れるだろう。







その場所には何度も見た家があるはずだった。家があって、「父さん」と呼ぶあいつがいるはずだった。


小さな俺は見慣れた扉を開いて、靴を脱いで、玄関の隅の方にこれ以上ないくらい寄せておく。玄関に入った時、俺の靴が目に入るとあいつは邪魔だと怒鳴り散らすから。

俺はそれが恐くて、目につかないように靴の上に靴を重ねて、それから靴箱の下に押し込むんだ。

どうかあいつに見つかりませんように、って。

玄関マットもスリッパもない廊下を通り過ぎて、あいつが寝そべっているソファーのある、テレビもないリビングの前を通り抜ける。もちろん、足音を立てずに素早く。

気づかれて「おい」って言われたらその日は地獄。声をかけられなくてもあいつがそこにいるだけで地獄。

タオルだけを敷いた押し入れの中で丸くなる。あいつの存在を押し出すように。

「鬼は外」「鬼は外」。福なんてないけど、鬼は外へ出ていけ。そう思いながら目を閉じた。

今考えると、「鬼」はあいつに「鬼の子」と呼ばれた俺じゃない。あいつの方だったんだ。

しつこくしつこく俺を狙う鬼。


母さんと父さんと、たくさんの人たちをおとした犯人。


そんな「父さん」がいた家。

俺を閉じ込めるための「家」っていう、箱。


そんな場所があるはずだった。なければおかしかった。

だって、何年もそこにいたんだ。あいつと一緒に、暮らしていたんだ。


何度も何度も殴られ蹴られ、怒鳴られた音が響いた家。ああ、懐かしいよな。体に刻まれた傷が、痣が付けられた時みたいに痛む。

懐かしいよ。自分の声が聞こえるみたいだ。「ごめんなさい」「痛い」「許して」。怯えるしかできない日々。

ああ、懐かしいな。


そう感じながら目の前にあったのは、古びたポストが一つ。他には何もなかった。




空き地に、ポストだけが立つ場所。

そこが、俺のいた家だった場所だった。













「嘘だろ」

俺は呟いた。













「嘘だろ」




俺はもう一度呟いた。








そこには、始めから何にもなかったんだ。








開いた目から涙が溢れた。

ぽろり、ぽろり。ポロポロ、ポロリ。涙はどしゃ降りになった。

こんなことって。

こんなことって。


俺は、嬉しくて泣いた。


もうあそこに帰らなくてもいいんだ。

もう「父さん」を待たなくてもいいんだ。


嬉しい!

嬉しい!!

嬉しい!!!


俺は、初めて嬉しさから涙を流した。こんなことってほんとにあるんだな。

人は悲しいだけで涙を流すんじゃない。嬉しいときだって、同じくらい涙を流すんだ。

泣いても、いいんだ。







だから、さいごは


えがおかなきがおで


さよならしようぜ

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