第2話-2母は言わず

母さんがどうして死んでたのか。それは知らない。知るべきことじゃないって、俺は思ってる。


例えば、事故だったとか

『ダレカニツキトバサレタンデスッテネ』

『テヲヒッパラレタミタイニトビコンダラシイワヨ』

『ナニソレ、コワイ』

『タダノジコジャナカッタノ?』

『シラナイワ』

『シラナイワ』

例えば、体が弱かったとか

『ニュウインシテレバチガッタカモネェ』

『ショウガナイジャナイ、イマハドコモイッパイヨ』

例えば、状況が変だったとか

『ダンナサンハ?』

『ルスダッタソウヨ』

『ニンプサンヒトリノコシテドコイッタノ?』

『ウワキカモネ』

『マサカァ』

例えば、状態が変だったとか

『オナカガイジョウニフクランデタラシイワ』

『ビョウキ?』

『ソレガワカンナイラシイノ』

『ニンシンノジョウタイジャナカッタトカ』

『ヨウスイジャナクテ、ゼンブチダッタラシイワヨ』

『ソンナコトアルノ』

『アリエナイワヨ』

例えば、例えば、例えば、例えば、


全部、聞きたくないことだった。

理解力のない小さな子どもの周りでされる黒い噂話たち。してる本人たちにはただの噂。言われてる俺からしたら嫌な噂。

どれが本当かわからないから、俺には全部が本当のことに聞こえてくるんだ。


しかも、質が悪いことに俺の耳にはそれは遅れて入ってくる。

だって遅刻常習犯だからな。


全部が遅れてやってくる。

俺は遅れてやってくる。


だから、ちょっと頭が追いついてきた頃に噂が耳に入ってくるんだ。

当然その時には父親の耳には入っている。悪い噂を耳に入れた父さんは、子どもの俺にいつもこう言った。


「お前が悪いんだ」


全部、全部、俺が悪いんだ。小さい俺はこう思った。

母さんがいないのも、父さんが怒るのも、他の人がひそひそ噂するのも。全部、全部、俺が悪いんだ。考えるのを一切止めて、俺は自分が悪い。それだけ考えるようになった。

その方が楽だから。

実際楽なんだよな。考えるのを放棄して下ばっか向く。自分が悪い、自分が悪い、ごめんなさい。それだけが頭の中に詰め込まれてて、他のことを考えない。

つまりさ。それ以上悪いこと言われても、自分が悪いで終わるから頭が理解しようとしないんだ。聞いたことも右から左へ全部が素通り。

体質のせいで何もうまくいかない。自分が悪いで工夫しようとしない。努力しても、うまくいったとこで普通の人並み。


どうしてこうなるんだろう。

その答えは「自分が悪いから」。

刷り込みって恐いよな。




だんだん頭が追い付いてきて、「自分が悪い」から「自分は悪いのか?」になってきた頃。それでもまだまだお子さまなんだけどさ。

四つ足歩行のハイハイも卒業して、やっと二足歩行が可能になった頃かな。自分よりも小さい子がいるのにやっと気づいたんだ。おんぶ紐でくっつけられたり、乳母車に乗せられたしわくちゃな猿。じゃなかった、赤ん坊な。赤ちゃん。

これはなんだ!? 多分保育所の先生にでも聞いたんだろ。

そこで知ったのは、人っていう生き物は産まれたら赤ちゃんで、成長して子ども、大人になるってこと。遅いだろ? でも俺にとっては重大事項なんだ。

だってさ、赤ちゃんが成長して子どもになるんだろ? それって、赤ちゃんを誰かが育てないと子どもにならないってことだろ?

じゃあ、子どもの自分はどうして今「子ども」なんだ。そういうことになるんだよ。自分だって産まれた時は赤ちゃんだった。


産まれ方がどうであっても。


自分はあのしわくちゃな猿、じゃなかった、赤ちゃんだったんだ。どう見ても一人じゃ生きていけない、あの赤ちゃんだったんだ。

誰かが俺を世話してくれた。誰かが俺を生かしてくれた。

それが、すごく。すごく、嬉しかったんだ。


誰だかわからないけれど。


誰かが、俺に生きて欲しいって思ってくれた。







今日、道の真ん中で猫が落ちていた。赤く潰された腹からは、何かが出ていた。昨日、道の隅でカエルが落ちていた。ぺったんこになった体はかぴかぴに乾いていた。

誰も気にしないで通り過ぎて行った。

だから、俺も同じなんだと思っていた。




明日は自分が地面を這っている。喉が渇いて、腹がへって、ガリガリに痩せた体で地面を這っている。外は寒くて心臓が凍る。外は暑くて頭が煮える。

それでもどうしようもないまま、息を吸うことも知らずに空気を吐き続けるんだろう。心臓を動かすことも忘れて止まり続けるんだろう。

そんな俺を、誰も気にしないんだろう。


ずっとそう思っていたんだ。

ずっと、ここにいちゃいけないと思っていたんだ。


だって、じぶんはわるいこなんだから。


だからさ、俺が子どもになるまで生きていていいよって世話してくれた誰かに感謝したんだ。誰かは知らないけれど。

産まれてこなきゃよかった。そう思うことは止まなかったけど、もうちょっとだけ生きてみてもいいかな。そう思ったんだ。


その時、やっとそう思えたんだ。







父さんは何も言わなくなったけど。

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