第2話 丁寧に音を奏でて

 そっと鍵盤に手を置き、一度深呼吸をすると僕は出だしのメロディーを弾き始める。


「Summer」は多くの人が知っている曲だ。しかし僕が今弾いているのは、子ども向けにアレンジされた「Summer」である。簡単な内容になっている分、メロディーに対して伴奏の役割をする左手の動きがほとんどないので、原曲を知っている聞き手は物足りなく感じるかもしれない。


 せめてもっと上手く、そして格好良く弾けたらよかったのに。

 そうは思いつつも、ピアノと向き合っているうちにそんなことを考えるのをやめて、丁寧に音を奏でることに集中していく。


 久しぶりに弾いたからだろうか。それとも緊張しているからだろうか。少し指がもつれる。テンポがずれそうになるが、それを何とか堪えて、一所懸命に「Summer」を奏でた。


 この曲を弾くと、大きな入道雲と真っ青な空を思い浮かべる。太陽の強い力を感じるが、清々しさが心地よい。

 そして聞き慣れたサビの部分に入ると、たっぷりと湿気を含んだ空気と、じりじりと照り付ける日差しを肌に感じ、日本の良き夏を思い出す。


 冬に演奏するのは変な感じかもしれないが、心を柔らかくしてくれるようなメロディーが好きなので、ピアノに向かうときは必ずと言ってもいいほど弾いている。

 僕はこの時間を心地よく感じながら、最後の音の鍵盤をそっと押す。

 余韻がなくなり、鍵盤から手が離すと、女性はパチパチと惜しみない拍手を送ってくれた。


「お上手ですね。とても良かったです」

「いえ、そんなことはなくて……」

 そうは言ったが大して上手くもない演奏に、温かな拍手を貰ったことがとても嬉しかった。僕の演奏に対して、女性の真摯な気持ちを感じ、体が火照ったくらいである。


 普段は数曲弾いてから帰るのだが、今日は一曲弾いただけで気持ちがいっぱいだった。そのため、もういいかな、と思ったのだが彼女はさらに追加注文をした。


「良かったら、もっと弾いてもらえませんか?」

「えっ!」

 僕はまたまたびっくりする。

「是非、聞かせて下さい」

 女性がそう言って、僕が次に弾くのを待つ。僕は満更でもなく「……今度はどうしようか」と、数少ないレパートリーの中、まともに弾けるものを何とか探す。

「じゃあ——……」

 次に僕が選んだのは「ワルツ#5」という曲だった。


「ワルツ」。それは、4分の3拍子で構成された舞曲である。18世紀末もしくは19世紀の初めころにヨーロッパの社交ダンスとして広まった。有名な曲としてはヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」や、チャイコフスキーのバレエ音楽「『くるみ割り人形』より『花のワルツ』」だろう。

 しかしこの「ワルツ#5」はきっと、ほとんどの人が知らない。曲を知っている人でさえ、きっとこのような素っ気ない曲名が付いていることすら知らないだろう。これは僕の妹が、幼い頃に観ていた、アニメに出てくる曲だったのだから。

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