三.城下へ(3)
日々の稽古を苦痛に感じながら、それでも抗うことも出来ずに堪えてきた。それが無駄なことだったのかと落胆しかけていた瑠璃だったが、栄治の一言で幾分救われた思いがした。
「そう、思うか」
「思うも何も、それが事実だ。俺は単なる慰めで言ったつもりはないぞ」
熱い茶を顔色一つ変えずに啜り、栄治は瑠璃を見遣る。
差し向けられた視線に呼応して、瑠璃も反射的にその双眸を見返した。
割合に体格も良く、無骨そうな印象の青年だったが、よく見ればその目つきは鋭く、見ようによっては切れ者にも見える。
栄治は茶を飲むのをやめ、ことんと静かな音を立てて湯呑を置いた。
「因みに問うが。おまえは俺を不真面目だと言ったが、それが俺の人となりというやつなのか?」
「分からぬ。一見、楽天家で自信家で、ついでにいかにも……いや、少々不真面目そうには見えるけど、それ以上は私には分からぬ」
瑠璃としては正直な印象を述べただけだったが、栄治の顔は露骨に心外そうな表情を浮かべる。
「ハァ、全く、口の減らない御子だ」
栄治は目に見えるほどにわざとらしく肩を落とした。
歯に衣着せぬ率直な物言いに、多少機嫌を損ねたかもしれなかったが、それでも瑠璃は構わなかった。
「私は今まで、そなたのような者に会ったことがない。だから、そなたのことも、そなたのような者の人となりも、──よく分からない」
尻すぼみになった。
言ってから、本当によく分からないのだと、改めて自覚した。
自分自身のことも、他人のことも。
またぞろ肩を落とした瑠璃だが、栄治はその浮き沈みなど然して気に留めるでもなく続けた。
「そうだろうさ。本当のところ、俺自身の人となりなんぞ、俺にだってよく分からん」
「そう、なのか? だって、そなた自身のことだろう?」
「ははっ、嬢ちゃんも年頃だな。悩みあぐねるのも良いもんだ」
「茶化すなっ! 私は真面目に尋ねておるのに!」
「まあまあ、俺もおまえと同じだということだ。人ってのは一筋縄じゃいかん。俺やおまえだけではない、誰も皆そういうもんだ」
人がこの世で最も理解しがたいと感じるものは、他でもない己自身なのかもしれない。そう言って、栄治は一つ息をつく。
「人から見た自分と、自分で思う自分というのは、案外かけ離れているものだ。俺はこういう人間だ、と思っていても、他人の目にはそれとは真逆の人間に見えていることも
「……なんだか難しいことを言うんだな」
「フフン、俺も不真面目なばかりではないってことだ」
栄治は得意げに鼻を鳴らすが、瑠璃はそれには上の空で軽く同意を示しただけだった。
栄治の持論が、より一層に瑠璃の困惑を深めたのだ。
「それじゃあ、私はどうすれば良い。そなたの言うのが本当なら、理想の己というのを思い描いたところで、そこには一生辿り着けぬように思う」
「ああ。思う通りの完璧な自分になんぞ、恐らく生涯なれはせんのだよ、瑠璃殿。死ぬまで手探りだ。自らどういう人物でありたいか、それを考え目指すことも大事だが、まずは──」
「まずは?」
「おまえにあえて苦言を呈してくれるような、信頼のおける人間を身近に見つけることだな」
そして、その意見に耳を傾けることが出来なければ、理想の己というものには到底近付けはしない。
栄治は言い、残りの茶を一気に煽ると、瑠璃の返答を待たずに席を立った。
二本を腰に差し直すと徐に懐を探り、勘定を飯台の上に置く。
「まあ俺なら、おまえに人となりを説いたという奴にこそ、全幅の信頼を置くだろうがな」
投げ捨てるような口調で言い、栄治は席を立つ。
瑠璃もつられて席を立ちかけたが、栄治はそれを遮り、にんまり笑いかけた。
「ああ、礼なら、おまえがもうちょっと大人になってからでいいぞ」
「!? んな、何……」
「ではな」
別に礼を言おうとしたわけではなかったのだが、ごく当然のように言い切られたために、瑠璃は迂闊にも呆気に取られ、口籠ってしまった。
悠々と長楊枝を咥えながら栄治が去ってしまうと、まだ朝も早い甘味処には瑠璃だけがぽつりと残された。
店子も栄治を見送り勘定を手にすると、そそくさと店の奥に引っ込んでしまい、座敷は急に寂寞とする。
座敷席の片隅で、囲炉裏の火に炙られた鉄瓶が、しゅんしゅんと音を立てて湯気を上げていた。
【四.へ続く】
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