二.人となり(2)

 

 

「その自信は、なにゆえじゃ」

「えっ……。いや、何と申しますか、今のは言葉のあやであって、決して私が自信家だというわけでは」

「でもその口振りでは、自信がないわけでもなかろ?」

「それは──」

 鳴海は内心頭を抱えた。

 瑠璃が何故こうも突っ込んでくるのか、その心のうちを理解しかねたからだ。

 なのに、答えを濁すことを許さない雰囲気が瑠璃にはある。

 納得の行く答えを聞くまでは、引き下がりそうにもない。

 鳴海は軽く吐息し、若干の戸惑いを感じながらも口を開いた。

「それは、日々文武ともに鍛錬を怠らぬゆえでございましょう」

 努力ゆえに、自ずと自信も備わるものだ。と、鳴海は答えた。

「自信とは、自らを信じることと著します。それは自惚れとも、単なる見栄や矜持とも異なる。努力を怠らなければ、自信は後からついてくるものと存じます」

 言いながら、全くもってその通りだと、確信にも似たものを感じる鳴海だったが、対する瑠璃の反応は意外なものであった。

「ははん」

「!? んなっ、ははん!?」

 人を小ばかにしたように鳴海を鼻で嗤ったのである。

 口角をにんまりと引き上げて、瑠璃は冷め切った微笑を投げ掛ける。

 ──教養に優れ、幼いながらに先見の明あり。

 気性の穏やかな質で口数は少なく、絵に描いたような大名家の姫君──。

(くっそう、どこが絵に描いたような姫君だっ!)

 瞬間的に苛立ちはしたものの、そこは主従の関係である以上、鳴海はぐっと堪える。

 主従関係もそうだが、何より、十八も年下の童女相手に本気で食って掛かるには、鳴海の矜持は高過ぎた。

 すんでのところで引き攣り笑顔を捻り出したものの、そこには隠しきれない怒気がちらつく。

 瑠璃も馬鹿ではないし、そんな鳴海の表情を読み取れないほど勘が鈍いわけでもない。

 にまにましていた顔をほんのりと曇らせ、覗き込むようにして鳴海の顔色を伺った。

「怒ったか?」

「ふん、何を申される。高がこの程度のことで立腹するなど、私の武人としての誇りが立ちませぬ」

 本当は、力一杯立腹しているわけだが。

 鳴海は億尾にも出さないつもりで、平静さを見せ付ける。

 すると、瑠璃はふっと短く吐息し、まだ木の枝のように細い脚で胡座あぐらを掻いた。

「ちょっ……、姫、胡坐……」

 鳴海は思わず注意をしかけたが、これもまた瑠璃は全く気にも留めずに遮る。

「つまり、そなたは日々の弛まぬ努力の上に自信が生まれる、と言っているわけだ」

「はぁ、そうですが」

「私もそなたと同じく、日々努力をしているつもりだが……、自信なんぞ全く生まれない」

 この差は何だ。と、瑠璃はぼやいた。

 鳴海は一瞬返答に窮したが、側仕えに任じられた日より毎日見てきた、瑠璃の日なかの姿を思った途端、考えるよりも先に口先から言葉が滑り出た。

「それは、他者に強要されてする努力だからではございませぬか」

 言って直後、自ら口走ったことに不敬が含まれていなかったか、鳴海は慌てて反芻する。

 瑠璃も鳴海の一言に、何か思い当たる節でも見つけたのか、目を丸くして鳴海を見上げた。

「私は、我が父のように家老にまでなろうなどという野心は抱いておりません。ただ、常に他に恥じることのない強き武人としてありたいと考えます。だからこそ鍛錬を怠らず、またそれを苦に思うことは一切ない。……人は、心底追い求める理想の己を得るためならば、終わりのない努めをも貫き通せるもの。時に艱難辛苦を味わおうとも、乗り越えてゆけるものです。それが出来ないのは、その先にある自身の姿を、自らが望んでいないことの、何よりの証拠ではありますまいか」

 瑠璃は、呆気に取られたように呆然と鳴海の目を見ていた。

 あんぐりと口を開け、鳴海の論にただ驚いた、といった様子だ。

「勿論、教養を身につけることは良いことではありますが……。姫君は、躾の行き届いた、さも姫君らしい姫君というものに、なりたいと思っておいでか?」

「……」

「ご自身が、どんな人間でありたいか、或いはどんな人間になりたいかで、努力の在り様も変わるものですぞ」

 瑠璃は暫し、ぽかんと鳴海を仰ぎ見ていたが、やがて悄然と項垂れた。

「どんな人間に、か……。私の場合、それはもう決まっていることだ。姫君に生まれたのだから、仕方ない」

「ですから、それが押し付けられたものでございましょう。確かに、姫君であることはどうあがいても覆るものではない。ですが、どんな人物であるかは、自らが自らの意志で築いてゆくもの。姫君の御師匠方のように、ひと括りに教養人といっても、心根優しく穏やかな者もいれば、とんでもない破天荒な者もおりましょう。中には、見せかけだけは気高くあっても、その実、発する言葉は嫌味の数々……といった者もおります。私の言う理想の己とは、肩書きのことではなく、人となりのことですぞ」

「人となり……?」

 瑠璃は鸚鵡返しに言い、未だよく理解できないかのような面持ちで鳴海の目を覗き込んだ。

「左様。真に大切なのは、身分ではない。まして、無闇な教養でもない」

 瑠璃が小さく、だが確かに頷いた。

「姫君は、どのような人物になろうとしておいでなのか。それこそが、何よりも大切なことなのですぞ」

 

 ***

 

 どんな人物になろうとしているのか──?

 大名家の姫君なのだから。

 そう周囲に言い聞かせられ、自らもがまた、己自身に言い聞かせ続けてきた。

(どんな人物に──)

 真っ白な障子戸に、曙光の気配が差していた。

 昨夜の鳴海の、一言一句。

 そのすべてを夜通し反芻し、瑠璃は寝所に横たわりながらも結局一睡もしないまま朝を迎えた。

 早朝の空気はぴんと張り詰め、青白い天井は薄暗い中にもくっきりとその木目を浮き上がらせる。

 そして、その朝一番の鳥が鳴くと、瑠璃は何かに突き動かされるようにして跳ね起きた。

 城下へ。

 まちへ。

 侍女の目を盗み、瑠璃は初めて、誰の許可もなく城を飛び出した。

 誰かに見つかりはしないか。

 叱られはしないか。

 そんなことを気にかける余裕もなく、城の誰かに気付かれぬうちにと、心の蔵が早鐘を打つのを感じながら、瑠璃は早暁の城下町を目指した。

 

 

【三.へ続く】

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