二.人となり(1)

 

 

 翌日も、翌々日も、その更に翌日も。

 瑠璃の過ごす日常は、初日と何ら代わり映えすることも無く過ぎて行った。

 ちくちくと刺されながらの稽古を重ねる当人にとっては、至極耐え難いものだろうが、稽古ばかりの人物を警護する身にとっても、それは耐え難い日常だった。

 日がな一日、城に籠もっている上に、常に誰かに厳しい稽古をつけられているのでは、護衛など居ても居なくても大差ない。

 それでも、高が十の幼い姫君に言い放った通り、それが己の職務である以上、どんなに退屈な閑職であろうと放棄することは出来ない。

 未だ若い鳴海には、日を追うごとに身を持て余すことが苦痛となっていた。

 瑠璃がたまには師範の嫌味を撥ね付けるだとか、そんなことの一つでもあればもう少しましなのだろうが、それも初日からこれまで一切無い。

 どんな底意地の悪い嫌味にも、瑠璃はただ肩を落として見せるだけだ。

 そんな様を見せられたのでは、鳴海のほうが苛立ってしまう。一日中手持無沙汰なだけでも堪えるのに、瑠璃の態度にも如何にもすっきりしない。

 一体、何のためにこんな役目に就かなければならないのか。

 そんな不満が沸々と鳴海の心中を占めていった。

 

 ***

 

「はー、今日も疲れた……」

 どっと溜息をつき、瑠璃は身なりの崩れるのも構わずに畳の上に倒れ込んだ。

 傍らに鳴海がいることは承知しているはずなのだが、その存在は全く意に介さないようだ。

 いや、寧ろこれは、元々護衛役などいないものとしている態度で、ほぼ無視に近い。

 日中の稽古では常に態度を変えない瑠璃だが、部屋に戻ると毎日この様なのだ。

 姫君が聞いて呆れるほど、だらしなく寛ぐ。

 それもこれも、長い間気を張り詰め続けているせいだとは、鳴海も察している。

(しかし。いくら何でも、私の居る前でこの寛ぎ方はなかろう!?)

 強がりを言うわけではないが、無視されているらしい事に腹が立つわけでも、まして悲しいわけでもない。

 まだ彼女は幼い。だから、姫君のだらしのない様子を目の当たりにしても、目のやり場に困るということは、別段ない。

 それでも、だ。

 瑠璃に丹羽家の姫君という肩書きがある以上、その寛ぐ姿を見ることは、不敬なことでは有り得る。

「せめて私が一日の役目を辞するまで、ごろ寝は我慢出来んものですか、姫君!」

 少々刺を含んで注進すると、瑠璃はこちらに背を向けて寝転んだまま、うるさそうに手の甲を見せてひらひらさせる。

 まるで野良犬でも追い払うような仕草だ。

 この、掌を返したような昼夜の態度の違いには、はじめこそ同情も覚えたものだ。

 だが、こう毎日ぞんざいな扱いを受けていれば、流石に鳴海の堪忍袋の緒が千切れかけもしようというもの。

「姫君……っ! 確かに御身と私とは、主従の関係ではあります。が、しかしっ! 私も丹羽家古参の重臣家の嫡男! その私にそのような醜態をお見せになるとは、一体なにゆえの──!」

「私はそなたを従えた覚えはない」

「!? 何を今更! ご挨拶申し上げた折、確かに姫君はよろしう頼む、と仰せになられた!」

「でも、私に護衛は要らん、と付け加えたはずだが?」

「! しかしその上で、好きに致せと……!」

「そうじゃ。だからそなたが勝手に護衛についてるんじゃないか。私は別に護衛なんか要らないのに」

 ああ言えば、こう言う。

 まるで子どもの口喧嘩だ。

(……あ。いや、相手はまだ子どもだったか)

 蓄積した鬱憤に起因してか、鳴海は迂闊にも幼い姫君相手に、本気になって言い返していることに気付く。

 まだ十の姫君と、もう二十八をも数える我が身。どちらが大人気ないかは考えるまでもなかった。

 急に気まずさが込み上げ、鳴海はまだ睥睨を向けつつも、それ以上言い返すことをやめた。

 瑠璃も、鳴海の態度の変化に気付いたのだろう。

 鳴海に向けて、ふと訝しげな視線を投げ掛けると、微かに首を傾げる。

「……どうした、返す言葉ものうなったか」

 瑠璃も多少は狼狽している風であったが、それでもやはり、その語調に可愛げはない。

「お言葉ですが、姫君。私だとて、家中では文武に秀で、将来を嘱望される身。好き好んでこのような閑職に就いているわけではございませぬ」

「嘱望されてるとか、普通自分で言うか……」

(──っ!!)

「文武にも秀でている、とな?」

「……」

「随分と自信があるらしいな?」

 瑠璃の薄ら寒い視線が注がれる中、鳴海は反論材料に困窮する。

 確かに自ずから言うようなことでは、ない。

 己の実力に自信がないわけではないが、つい今し方の言動では、妙に自信家のように思われるのも、無理からぬこと。

 しかし発言の要点は、決してそこではない。

 鳴海は、好んで護衛役に収まっているわけではないことをこそ、伝えたかったのだ。

「いえ、要するに私はですな、決して自ら望んで護衛の任に就いているわけではないと……」

「どうしてそこまでの自信が持てる?」

 鳴海の言い分を最後まで聞くこともなく、瑠璃は問い質す。

 その目はきらりと光を宿し、真剣かつ真摯に鳴海へ向けられていた。

 

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