一時の雨の迷い

鳩芽すい

本編

 ぴちゃぴちゃ、ぽたぽた。

 どんより、じめじめして、おまけにこれから雨脚はつよくなるそうだ。

 ぶつぶつ、ざーざー。

 ほら、予報通りだ。お空さまの機嫌まで大人に決めつけられたようで、なんだか悔しくなってしまう。たまには逆らってもいいのだぞ、雨さんよ。

 傘をさして行き交う黒スーツの会社員や灰のブラザーの学生は自然と早足になる。人に踏まれ雨粒に叩かれ、路面のアスファルトは憂鬱で重たそうだ。路肩の植え込みの小さな植物たちも、落ちてくる水滴を受け流して、深緑色でつまらなそうにしている。私が座っている色褪せた元茶色のベンチも、はやく撤去されないかなあ、だなんて思っているのかもしれない。動けなくて、ずっと人の尻を乗せられて。大層暇を持て余していらっしゃるのだろう。

 こんな天気が好きだって人前で言ってのける人はちょっとやばいやつ、そんな天気。

 でもきっと、そんなおかしな人もいるのだろう、世の中広いのだから。かくいうこの私がその1人。

 さらに私は滑稽で、雨の中傘も差さずに濡れ鼠になっていて、しかも家に帰る様子もなくベンチに座ったまま。どうしてかって、そんなことは聞かないで欲しい。そして私の口角は自分への嘲笑だろうか、控えめに醜くあがっているらしかった。ただいま批判殺到残念中な私に街ゆく人がつける評価は、見るに堪えないかわいそうな子どもなのだろう。


「私、変な人だと思いますか?」

 雨音にかき消されなかったか心配したけれど、どうやら話しかけた相手はこちらのほうを向いてしまったのでちゃんと届いたようだ。幸か不幸か、もちろん不幸のほうだけれど。

 勘違いしないで欲しい。べつに私は普段からこんな大胆に知らない大人に話しかけたりしない。きっと雨の熱にあてられた、それだけなのだろう。しかし傘も差していない私から、雨粒は非情にも私の体温を奪っていくので、そんな言い訳を述べることさえ許されないのだ。どちらにせよ、人に話しかけてしまった私に逃げ場はない。

 さて、こういうときの大人の反応は、哀れむような視線をむけるか、それか面白がるかのたいてい二択、それもだいたいは前者だろう。でも私が話しかけた相手の反応は後者だった。

 でも、これも私の予想通りだ。私が話しかけたのはこんな雨の中、私とは違って傘は差しているけれども、ベンチで楽しそうにぼんやり考え事をしているような大人だ。目の前でおこった面白いことには必ず飛びつく。きっとユーモアあふれる素敵な大人なのだろう、うらやましい限りだ。うらめしいともいう。

「普通の子だと思うけど?」

 ようやく投げかけた私の言葉が、相手の思考に溶かされ、別の形にぐにゃぐにゃにされて、最終的にお上手に調合されたようで返ってきた。おかえり、元私の言葉で現あなたの言葉。ひとまず意思疎通がとれたことに喜ぶべきなのかもしれないけれど、私はとても憤慨したい。帰ってきた言葉が残念無念。そうか、私は「普通」なのか。なに言ってんだ今は個性を大事にする教育だぞ私たちにはこの国の将来がかかってんだぞ、という怒りはほんの数パーセント。そんなに広い話ではなく、私が怒っているのはこの女の人とこの私の二者の問題だ。プライドとメンツ。この女の人に何かの折れ線グラフで負けた気がして、歯ぎしりをしたくなるのだ。むかつく表情を浮かべるその人を睨み付けると、女の人はこんどは別の、それでもむかつく表情をした。私は怒っているので、もう起こる対象の一挙一動が憎いのだ。この人は表向きは困ったように笑みを浮かべているけど、中身は面白い出来事に勇んで飛びつく獰猛な草食動物だ。ひゃあ、なんて恐ろしい。


 それから数分経っただろうか、その間省略された私と女の人の睨み合い、というか私がにらんで女の人は大人の余裕を見せつけるというなんとも大人げない戦いだったのだけど、ようやく女の人が口を開いた。先手必勝、という言葉もあるからしっかり身構えなくては。いや、なんの戦いでなにがかかっているのか、というのは今はどうだっていい。全てはメンツと危機管理なのだ。

「まあ、どうだっていいんじゃない?」

 それは最強の一撃だった。ぱっと私の頬を張るようで、それでいてこの言葉は私を突き放すような気持ちはこめられていない。これは身構えた私を包みこむように、そして的確に心臓へ直接言葉が刺さることとなる。どうして、なにが私に刺さったかを述べるのは、野暮というものだ。というか、話せやしないのだけど。

 いまさら羞恥の方が私を押し殺そうとしてきて、体がすこし熱い。

 女の人は微笑ましそうに私を見ている。私の脳みそはその顔にもうむかついたりはしないらしい。だって勝負は決したもの。

 女の人とまた会おうライバルよ、みたいなやりとりはしなかった。またね、じゃなくてさようなら。頑張れよ、みたいな餞別の言葉があってもいいじゃないか、とは思わなくもないが勝者にそれを言われてもむなしくなるだけだ。女の人もそれを分かっているはず。だから大きなグーパンチをたたき込んだあとにただ静観して私を観察していいる。

「さよなら」

「はーい」

 そののんきな返事にも、もうむかついたりはしない。

 さ、おとなしくおうちへ帰ろう、全身びちょびちょのせいで凍てつく体をゆっくり温めよう。

 いつのまにか、雨は止んでいたけどまだお日様は顔を出してくれないみたいだ。

 おとなしく、おうちへ帰ろう。

 ゆっくりと、それでも着実に個人的な事件の現場を離れる。

 明日の空模様は、どうなっているだろうか。そんな未来のことは知らないお話。

 頭の中で、さんさん輝く太陽を思い浮かべる。

 この水に濡れて重ったるい服も、お日様が出てきて速乾してくれればいいのに。

 そう願っていれば、太陽を目視できる日も遠くないのだろう、と明日の天気予報を見ながら思う。

 そうか、明日は晴れ。でも、たぶん違うんだろうな。

 ま、どうでもいいや。天気予報アプリをとじた。

 雲に割れ目がないか、何度も確かめながら暖かいおうちに帰るとしよう。

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一時の雨の迷い 鳩芽すい @wavemikam

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