第17話 初めての買い物
ギルベルトがエリーアスの家に押しかけて行った日、ソファで寝ると言ったギルベルトに、エリーアスはものすごく苦いものでも食べたかのような顔をしていた。しかめっ面に近いその表情で、エリーアスはギルベルトを自分のベッドに招いた。
「寝る場所がないから寝かせるだけですからね」
「分かった。ベッドはもっと大きなものに買い替えよう」
「そういう問題じゃないですよ」
「狭いベッドでくっ付いて寝るのが好きなのか?」
どうにも噛み合ってない気がするのだが、エリーアスはそれ以上追及してこずに、ギルベルトはエリーアスの胸に頭を乗せて眠った。心臓の音が聞こえて安心してぐっすりと眠れる。エリーアスが生きてここに存在するというだけで、ギルベルトにとっては世界が明るく輝いている気すらしていた。
早朝に起き出したエリーアスはギルベルトに問いかけた。
「車の運転はできますか?」
「できるよ。軍用車を運転するために訓練は受けた」
「普通免許はありますか?」
「一応、あると思う」
財布を探って免許証を取り出すと、白銀の義手でそれを摘まんで内容を確認したエリーアスが、ギルベルトを車庫に連れて行った。車庫には電気自動車が停められていた。
「少し型が古いですが、乗れないこともないです。運転を頼んでもいいですか?」
「分かった。どこに行くか教えてくれ」
ギルベルトが言えばエリーアスは携帯端末で少し遠いスーパーまでの道のりをギルベルトに示した。
「覚えた。連れて行くよ」
「もう、覚えたのですか?」
ちらりと地図を見ただけだが、軍の作戦で進行経路を幾度となく決めていたギルベルトは、記憶力がよかった。基本的に見たものは瞬間的に覚えて忘れない。車の助手席に乗り込んだエリーアスが、ギルベルトに小さく礼を言った。
「義手と義足でも運転できるとは思っていたのですが、少し不安だったので助かります。ありがとうございます」
妙な顔をされたり、拒否されたりすることなく、穏やかに微笑むエリーアスの横顔を見てギルベルトは胸が満たされる思いだった。早朝から開いている大きなスーパーに行くと、初めにエリーアスがホットドッグの店に行く。
「ここのホットドッグが美味しいんですよ。小さいんで、二個は軽く食べられるんですけどね」
「エリさんは二個食べるのか……俺も、二個食べる」
「デザートにソフトクリームもありますよ」
注文してケチャップとマスタードのついたホットドッグを受け取って、二人でイートインスペースに座って食べる。噛み付くと肉汁で火傷しそうなくらいジューシーなソーセージにケチャップとマスタードがよく合う。あっという間に二つのホットドッグを食べ終えて、デザートのソフトクリームを注文するエリーアスに、ギルベルトも倣っていた。
山盛りのソフトクリームは溶ける前に食べるのが難しい。エリーアスが舌で舐め取っている光景に、ギルベルトはあらぬことを考えてしまって、股間に熱が集まりそうになったが、溶けるソフトクリームを食べることに集中した。
ホットドッグとソフトクリームの朝食を食べ終わると、エリーアスがショッピングカートを押して店内を歩いて行く。
「エリさんは甘いものも好きなんだな」
「あなたはお嫌いでしたか?」
「いや、エリさんと食べると美味しかった」
兄弟たちと食べたおやつはほとんどギルベルトの口には入らなかった。食べたところで味などしなかっただろう。それだけギルベルトはアードラー家で生きる気力を失っていた。
それがエリーアスと食べると何でも美味しいし、楽しくて仕方がない。
「牛乳を取ってください」
「これでいいのか?」
「そっちの卵は二パックお願いします」
「分かった、二パックだな」
牛乳をショッピングカートに入れ、卵をショッピングカートに入れ、肉類をショッピングカートに入れ、魚類も野菜も、次々とショッピングカートに入れて、大きなショッピングカートは山積みになっていた。
会計ではエリーアスが払おうとするのを遮って、ギルベルトがカードで支払う。どれくらいの金額か見てもいなかったが、ギルベルトの銀行口座には大量の軍の退職金が入っているのだから、問題は何もなかった。
家が一軒どころか、アードラー家の屋敷くらいは買えてしまうような退職金をもらって、英雄のギルベルトは軍を辞めた。残りの一生は働くことなくエリーアスの世話だけをしていければいいと思うのだが、それも何か申し訳ない気がする。
「エリさんは退職金をもらわなかったのか?」
「もらいましたよ。あなたほどの金額ではありませんが」
「それなら、働くことはないんじゃないか?」
左腕と左脚を失った分だけ、エリーアスには多めの退職金が支払われているはずである。その後も傷病手当がずっともらえることになっている。
「そういう問題じゃないんですよ。ユストゥスに特効薬開発は委ねましたが、私の手でまだ救える命があるのならば、研究を続けたいのです」
崇高な理想がエリーアスにはあった。研究医としての仕事を続けるつもりならば、ギルベルトも同じことをすればいいのではないかと気付く。
「俺も、その研究所で働く。それならいいだろ?」
「あなた、医師の資格も薬剤師の資格も持ってないですよね」
「持ってないけど……下働きでもいいから、働かせてくれないかな」
「国の英雄を研究所で下働きなんてさせられませんよ」
英雄という肩書は断ったはずなのにギルベルトの上にのしかかってくる。ギルベルトがどれだけ必要ないと断っても、ギルベルトには国の英雄という文字が刻み込まれているようなのだ。
「それなら、エリさんの護衛をする」
「ただの研究医の護衛をする英雄がありますか」
呆れられてしまったが、ギルベルトにとってはエリーアスはただの研究医ではない。この世で一番大切な存在だった。
初めてギルベルトと真正面から向き合ってくれた相手で、ギルベルトに身を張って愛を教えてくれた。
「エリさんの傍にいたいんだ」
買ったものをエコバッグに入れながら取り縋るギルベルトに、エリーアスは呆れたようにため息を吐く。
「私の腕と脚について、そんなに責任を感じなくていいんですよ。確かに、今日は運転してくれて助かりましたが」
「運転くらいどれだけでもする。エリさんを毎日送り届けて、護衛して、連れ帰るのが俺の使命だ」
その後にはエリーアスと家で二人きりの時間を、甘く蕩けるように過ごしたい。下心も満載のギルベルトに、エリーアスは不思議そうな顔をしていた。
家に戻るとギルベルトが荷物を運びこんで、エリーアスが冷蔵庫に丁寧に納めて行く。規則正しく並べていくエリーアスは神経が細やかなのだろう。白銀に輝く左の手を見て、ギルベルトは呟いていた。
「もう、あのトントンってやるやつは、できないのか?」
「打診ですか? 多少勝手は違うと思いますが、また練習すればできるようになると思いますよ」
「でも、エリさんの指じゃない」
エリーアスの指がギルベルトの肌に触れて、その指をエリーアスが叩いて響く音で診察をしてくれた初対面の日。あのことをギルベルトはよく覚えていた。その後エリーアスが他人に触れるのを吐くほど嫌がる体質だと聞いて、自分が特別だったのだと気付くきっかけでもあった。
「今後は義手が私の手だと思って生きていくしかないですからね。慣れるしかないですよ」
「エリさんにまたあれをして欲しい」
「怪我もしていないのに、酔狂なひとですね」
酔狂だと言われても、ギルベルトにとってはエリーアスがしてくれたことは全て一つ一つ大切な思い出だった。二人の愛を育んだ思い出を、エリーアスはどんな風に捉えているのだろう。
感情表現が穏やかで、淡々としているエリーアスの心の内がギルベルトには読めない。だが落ち着いているからこそ、ギルベルトはエリーアスの傍にいることを心地よくも感じていた。
激しい感情を向けられてしまうとギルベルトは間違いなく委縮する。自分が生きている価値がないと思い込んでいた頃に逆戻りしてしまう。穏やかなエリーアスの傍にいることはギルベルトにとっては心安らぐ時間だった。
「研究所はここなのですが、お願いできますか?」
「俺ができることなら何でもする。何でも言いつけてくれ、エリさん」
「こき使うようで申し訳ないんですが」
携帯端末に表示された道を覚えて、ギルベルトはエリーアスを研究所まで送って行った。研究所の入口でカードを翳すエリーアスについていけなくて、入口のブザーが大きな音を立ててしまったことに、ギルベルトは歯噛みしたくなる。
無粋な研究所の入口が二人を引き裂こうとしている。
「彼は私の……ご、護衛です。本人がそう言っています。カード発行の手続きをお願いします」
閉まったドアにへばりつくギルベルトを見て、エリーアスが諦めたように入口の警備員に説明している姿に、ギルベルトはガッツポーズをしていた。
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