2070年12月31日

 1週間後。オンラインゲームのサービス最終日。そして、デモの前日。


「おれはもう無理だ。世界の終わりなんて見てらんねえ。……おまえら明日のデモは来いよ」

 

 Borgは力なくそう言い残し、オンラインゲームとボイスチャットからログアウトした。


 サービス終了まであと10分。グループチャットに残っているのは、ぼくとMoriさんだけだ。


「Moriさん、行きますか?明日のデモ」


 ぼくは聞いた。


「行くわけないじゃないですか」


「ですよね」


「でもAlanくんもそうですよね」


「え?」


「Alanくんは合理的な人ですから。意味のないことはしないでしょ?わざわざ新宿まで行って」


「まあ……」


「そんなAlanくんだからこそ、提案があるんです」


「え、なんですか、急に?」


「このゲームがなくなったら、もうAlanくんと話す事がないかもしれないので」


「はあ」


「驚かないでください。実は私は、ある秘密結社に入っているんです」

 

 一瞬、自分の耳を疑った。


「ひ、秘密結社?」


「Alan君もそれに入りませんか?」


「急にそんなこと言われても……」


「これから話すことは、Alan君だからこそ伝えることです。絶対に秘密にしてくれますか?」


 Moriさんの口調がいつになく真剣だったので、思わず姿勢をただす。


「秘密にすると約束してください」


「……わかりました」


そう答えたのは、Moriさんの誠実な人柄を知っているつもりだったからだ。


「わたしたちの秘密結社は超党派議連の『ヒト胚ゲノム編集技術応用研究会』としてスタートしたものです。それが失敗に終わって、今の形になりました。でも目的は一貫して変わりません。『人類の幸福』です」


「そ、壮大ですね。でもどうやって?」


「おおまかにいえば、能力の優れた人がたくさん子孫を残し、劣った人ができるだけ子孫を残さないようにします」


 とっさに言葉が出なかった。


「……なんだか、ヒトラー臭のするやばさを感じます」


「やばさ、とは?」


「その考えだと、人類の多様性が失われてしまうのではないですか?」


「多様性ですか。でもその『多様性』とやらのための『手段』にされる人たちのことを、考えたことはありますか?」


「……どういうことですか?」


「たとえば背の低い男性。醜悪な女性。頭の悪い人。いろいろいますよね。口ではみんな、多様性が大事って言いますけど、でも実際には就職や恋愛で徹底的に差別します。差別される側の苦しみを考えたことはありますか?」


「それは……」


 言葉に詰まってしまう。今までの自分の人生が、フラッシュバックのように湧いて来たからだ。勉強はできた方だけど、運動神経とコミュニケーション力の方は、ずっと壊滅的だった。小中高といじめられ続け、良い思い出なんて一つもない。正直、自分のような人間が生まれることが、人類の幸福につながるとは思えなかった。


「子供は『手段』でなく、『目的』であるべきなんです。だからわたしたちは、能力的に劣った人ができるだけ子孫を作らないようにします」


「具体的には何をしてるんですか?」


「たとえば、Borgくんには申し訳ないけど、介護報酬の引下げも、わたしたちの大規模なプロジェクトの一つです。能力的に劣った人たちの就く職業、この場合、介護士の給与を減らして、できるだけ子供を作らせないようにしてるんです」


 一瞬、自分の耳を疑った。ずっと博愛主義の紳士だと思っていたMoriさんの口から、こんな言葉が出るなんて。


「……他にはどんなことを?」


「他には……よく分からないけど、やっていることもあります」


「よく分からないことをどうしてするんですか?」


「それは、わたしたちの開発した最終兵器が、そう指示するからです」


「最終兵器?核兵器かなんかですか?」


「そんな物騒なものじゃありませんよ。人工知能です。その名も『次世代シミュレータ・シミュレータ』、略して『次世代シムシム』。この人工知能の仕事は、現実世界にある介入を行ったとき、次世代シムの世界にどういう変化がおきるのか、予測することなんです」


「よくわかりません」


「うーん。たとえば、次世代シムシムが、急に私に、街でハンカチを落とすように指示したとします。たまたま近くにいた女性がそのハンカチを拾います。その女性は、この一瞬のタイムラグがなければ、ある男にナンパされていて、その男と結婚して、不良な遺伝子を持つ子供を産む予定でした。つまり、我々の人工知能の深遠なる計算の命ずるままに私がハンカチを落とすことで、劣った人類が一人生まれなくなったのです……」


 人類という種の未来を操作する人工知能を想像すると、鳥肌が立った。


「……実はこのオンラインゲームの運営会社を買収してサービスを終了させるというのも、次世代シムシムの指示によって行われたことですなんです。これは本当に申し訳ないです。わたしも辛かったですよ」


「何になるんですか!そんなことをして」


「わかりません。次世代シムシムの天文学的な量の複雑な計算の中身は、ブラック・ボックスですから」


「よくわからないのに、20万人がプレイしているオンラインゲームのサービスを終了させるんですか?」


「正直、次世代シムシムがここまで大きな作戦を指示してくることは、あまりないんです。このゲームの存続が、よっぽど致命的な害悪をもたらすのか……」


「たかだか男女の出会いを操作するだけなんですよね?」


「そうですけど、その中に絶対に出会ってはならない男女が含まれているのかもしれませんし」


「……正直、その考えは受け入れられません」


「一晩、落ち着いて考えてみてください。Alanくんは優秀な人ですからね」


「そうは思えないんですけど」


「もう2年も一緒にゲームしてます。Alan君のことはよく分かっているつもりです」


「それは、ありがとうございます」


 ぼくは少し皮肉っぽく言った。


「私たちの秘密結社の会員には、政財界の有力者がたくさんいます。たとえば、Alan君の会社の重役も」


「え?嘘ですよね」


「本当ですよ。そしてAlanくんを、宮崎の片田舎の工場から、東京の開発部の出世コースに乗せることだって、簡単にできるんです。そうしたら、Alan君の大好きな秋葉原にだって、コミケにだって、行き放題ですよね」


「それは……」


「明日の13時です。六本木BDタワーの43階に来てください」


 Moriさんがそれを言い終わった瞬間、ぼくが2年間遊んだオンラインゲームのサービスが終了した。


 ボイスチャットを終え、星空に切り替えたeスフィアの天頂をじっと眺める。Moriさんの言っていることは、今までぼくのイメージしていたMoriさんとは違いすぎて、現実感がわかなかった。でも自分の腹の底の何かが、これは醜い真実なんだと告げていた。


 ディスプレイで次世代シムから通知が来た。AIチルドレンのノアが、ぼくと話したいらしい。初めてのことだ。驚いて次世代シムを立ち上げると、ノアが机に突っ伏していた。


「どうしたの?」


 ぼくは声をかけた。


「あんたには関係ない」


「悩んでること、あるんじゃないの?」


「あんたには関係ない」


「関係あるよ。ノアは悲しそうにしてると、ぼくはとても辛い」


 それは正直な気持ちだった。最初は抵抗があったけれど、毎日顔をあわせているうちに、とても他人とは思えなくなっていた。


 ノアがゆっくりと起き上がった。青い両目の下には、クマができていた。


「コクろうかどうか、悩んでるの」


 コクる?告白?あんなに異性関係に奔放そうだったのに、ギャルが純情というのは本当だったらしい。


「どうして?」


「ただふざけてるだけって思われるかもしれないし。後戻りできないし、もう世界が終わりそうで……」


 ノアにこんな繊細な一面があるとは思わなかった。今までノアという人を知ったつもり、わかったつもりになっていた自分が、少し恥ずかしくなった。


「……そうなんだ。ぼくもそういうことはあったよ」


「え?」


 自分の灰色の少年時代を思い出す。片思いの人に嫌われることは、あの頃のぼくにとって、世界の終りだった。だから遠くから見ていることしかできなかった。


「コクろうって思って、自分の中の勇気をかき集めたつもりでも、やっぱり何もできないんだ。こんな自分なんか、相手にされないだろうって思ってしまって」


「そうなんだ」


「どうせ自分なんかがコクっても、何も変わらなかったって。大恥をかいて嫌われるだけだったって。わかったつもりになって、自分で自分を納得させる。そして何もしない」


「それで良かった?」


「わからない。でも、ずっとそれが心のとげになっている」


「……そうなんだ。うちはどうしたらいいんだろう」


「どっちでもいい。コクっても、コクらなくても。でもね、何があっても、ぼくはずっとノアの味方だから」


「約束する?」


「約束する」


 ノアとの通話が終わり、ぼくは目を閉じた。


 明日はどうしよう。Moriさんの言う「秘密結社」に入って、そこでコネクションを作れば、ぼくの人生は好転するのかもしれない。一方でデモに行っても何も変わらない。デモというのは、そういうものだから。


 でも、本当にそうだろうか。何が無駄で、何が無駄じゃないとか、何が優れていて、何が劣っているとか。自分の話している人が、本当はどんな人なのか。自分の子供はどういう子なのか。自分はどういう人間なのか。


 ぼくはいつから、それらすべてを「わかっている」大人になってしまったのだろうか。

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