2070年11月29日

 生まれる権利、というのが提唱されるようになったのはいつ頃からだろうか。


 かつて貧困のどん底にあった国々では、1人の母親から10人以上もの子供が生まれ、その多くは飢餓の苦しみのうちに短い一生を終えた。そんな悲惨な環境なら生まれなかった方が良かったのではないかと議論され、避妊政策が推進された。


 今はその逆だ。世界は人工知能で豊かになったけど、子供を持つ人は少ない。理想的な養育環境を用意できる財力があるのに子供を持とうとしない人がいれば、そこには生まれる前の子供の「生まれる権利」が発生するという思想は、少子化に苦しむ世界で一世を風靡した。


 その「生まれる権利」を保障するための制度の一つが、次世代問題参画控除制度だ。自分のAIチルドレンと交流した独身者は、子供を持つことになる確率が有意に高いらしい。


 次世代シムは、その人と結婚する可能性の最も高い異性を、膨大なデータの中から探し出す。そして、その異性と結ばれた結果、生まれてくるであろう子供が予測され、それがAIチルドレンになるのだ。


 でも果たして、ぼくと結婚する可能性が少しでもある異性なんて、この世にいるんだろうか。ぼくは、年齢=彼女いない歴の童貞アニメオタクだ。職場も宮崎の片田舎で、工場の生産管理。ほとんど男しかいない。最後に異性と話したのは、1ヵ月も前で、それも会社の事務のおばちゃんだった。ぼくに子供が生まれるという、何万分の一の可能性の計算をさせられる人工知能が、気の毒になる。


 とはいえオタク活動の軍資金は欲しい。お金は欲しい。宮崎から秋葉原や東京ビッグサイトまで遠征すると、とにかくお金がかかるのだ。高すぎる税金の控除が欲しかった。


 次の日には、市役所で次世代問題参画控除の手続きをしていた。


 1週間後、いよいよぼくのAIチルドレンがダウンロードされる日。会社帰りのぼくは、eスフィアに入って、乱れた呼吸を落ち着ける。ぼくの「子供」と言うのなら、きっと相当コミュ障なオタク少年だ。


 次世代シムを起動する。


 ハンドルネーム設定画面が出る。Alanと打ち込み、エンターを押す。


「よ、Alan」


 次の瞬間ディスプレイに映し出されたのは、めちゃくちゃ派手な格好をした……女の子だった。


 年は十代後半だろうか。十字のピアスにショートカットの金髪。オーバーサイズの黒パーカーには、絶対口に出したくないような下品な英単語。見ているだけで、目かチカチカしてくる。


 この不良ギャルは一体何?ぼくに子供ができる蓋然性が低すぎて、AIがバグったのか?


「き、きみ、本当にぼくのAIチルドレン?」


「は?喧嘩売ってんの?」


「い、いや売ってないです」


 元いじめられっ子の本能で、十代の女の子でも強気に出られるとビビってしまう。


「ノアな」


「ノア?」


「あたしの名前」


「本当に?」


 自分がそんなキラキラネームをつけるとは思えない。


「改名した。カナコとか呼んだらぶっ殺すからな」


「わかった、ノア。そんな髪の色で、学校は大丈夫なの?」


「学校?学校は行っておりません!」


 不良ギャルは青いカラコンの入った両目を細めた。カラコンは角膜に悪いからやめた方がいい……と出かけた言葉をぐっと飲みこむ。年頃の娘にウザい父親と思われたら、口もきいてくれなくなる気がする。


 そのときだった。ディスプレイに映し出された玄関のドアが開き、怪しげな男が入ってきた。


「おす、ノア」


 その男はスキンヘッドにサングラスで、タンクトップからのぞく太い腕には髑髏のタトゥーがある。ぼくが一番近寄りたくない人種だ。


「おそい」


「わるい」


 次世代シムの中にいるということは、このスキンヘッド男もAIチルドレンだ。なんなら親の顔が見たい。

 

 スキンヘッド男はディスプレイの向こうから、ぼくの方をじろじろ見てくる。


「あ、Alanね。うちのオヤジ」


 ノアがそう言うと、スキンヘッド男は小さく会釈した。


「どうも。ノアちゃんの友だちのアツシっす」


「よ、よろしく。友だち、というのは一体どういう……」


 しかしぼくが最後まで言い終えるよりはやく、ノアはアツシの丸太のような太腕をひっぱり、ディスプレイの向こうの自室に連れ込んでしまった。


「じゃあな、Alan。邪魔すんなよ」


 ノアはそう言って、自室のドアをばたりと閉めた。


 この子が自分の手に負える気は、一切しなかった。

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