第2話 王と詩人

 潮騒が如き声々の中に、歌うために天から与えられたかのような、音吐朗朗たる美声が混じり、流れてくる。冥界神ユラニス、主神アルドロス、建国の英雄、古の賢王──彼らを讃える歌を、吟遊詩人たちが方々で歌い上げているのだ。そう、この慰霊祭は、祖先と戦没者の霊魂を弔うだけでなく、人を生かす神と、国のために死せる英雄を崇め讃えるものでもある。

(英雄、か)

 良く知っている旋律が彼らへの賛辞を運んでくる。それとなく聴き入るレックスの耳に、ふと違う歌が流れ込んだ。


 ──名もなき数多の兵たちよ、忘れ去られし兵たちよ──


 鎮魂歌であろうか、流行りの勇壮な叙事詩とは幾分か異なった趣の、透き通る声音と、美しく、切なく沈む旋律。彼は路傍に佇み、広場の方から聞こえてくるその曲に耳を傾けた。


 ── 死屍累々たる野に横たわり 歴史に埋もれ 忘却の彼方

 剣を取りて粛々と征く 戦士の葬列 死への旅人

 妻を残し 子を残し 親を残し 心を残し

 悠久の時が流れし今 誰が汝の名を呼ぼう

 名もなき数多の兵たちよ 忘れ去られし兵たちよ

 彼らありての英雄 彼らこそ真の英雄

 儚く散りし雑兵たちよ 彷徨える悲壮な魂よ

 汝らに救いあれ  どうか安らかに眠りたまえ


 ──いつの間にか聴き惚れていた。飾り気がなく素直な、心に響く歌──加えてその歌声は、深かった。誰からも顧みられず、野の露と消える雑兵の痛みを知っていたのだ。歌い終わったのであろうか、弦を爪弾く音が止み、レックスは声の主を捜した。

 広場の入口に近いところにそれらしい人影を見出す。石段に腰掛け、籠に銭を投げ入れていく人々に頭を下げている。一通りの餞別を受け取り、場所を変えようかと詩人が立ち上がりかけたときである。

 行く手を塞ぐようにして、彼の前にレックスが立った。

 そして懐に手を突っ込み、無造作に取り出した硬貨を放ったのである。

 いきなり現れた王と、やけに多い投げ銭に唖然としながら、詩人はレックスを見上げていた。

 そんな詩人をレックスは黙然と見下ろした。

 まだ若い。二十歳過ぎほどであろうか。少し焼けた肌に、肩で切り揃えた黒髪、澄んだ黒い瞳。顔つきは柔和だが、どこか薄暗い、青年らしからぬ悲哀の色を帯びている。

(この男、剣が使える)

 しかしレックスは、彼の顔には一瞥をくれただけだった。代わりに、吟遊詩人特有のゆったりとした衣を纏っているために分かりにくいものの、中身は細身である彼が、見かけに似合わず剣術に通じているのを見てとった。

「初めて聞く歌だ。お前の歌か」

「……はい」

 気圧されながら彼は肯定した。

「良い歌だ」

 それは沁々と、レックスは言った。細められた目は、どこか遠い過去へ向けられていた。若き詩人は礼を述べるのも忘れ、その様を見つめる。

「其方、名は」

「は。アルハンと申します」

 両者共に我に返る。と言ってもレックスは常の如く泰然、対するアルハンはレックスの視線に射抜かれ、緊張に身体を強張らせ、滑稽なほど狼狽えている。元来の流麗さを忘れたぎこちない動作で跪き、唾を呑み込んだ。

 畏憚を通り越し、彼は純粋な恐怖を感じた。従容と立っているレックスには、威圧する気は毛頭ないのだが、彼の方は凄まじい重圧を感じ、穏やかな気も強者故の余裕としか思えない。もとよりレックスには幾ら気を緩めようと、人を畏れさせる独特の雰囲気があるのだろう、それが過剰に働いてしまったようだった。

「そう畏まるな。……ところで、この後何か予定はあるのか」

「いえ、特にございませんが」

「差し支えなければ、俺に付き合ってはくれぬか」

 レックスは真顔でそう言った。何も悪いことはしていないのだから心配する必要はない、と思いつつも、あまり良い予感はせず、気が気でないアルハンであった。

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