グリスターン神帝記 ―雑兵一人―

戦ノ白夜

第1話 慰霊祭

 涼やかな夜風が、街の喧騒を運んでくる。

 王都レイヴェルド。大陸の東端に位置する大国グリスターンの都である。その中枢、整然と区画され、夕べの明かりに美しく浮かび上がる石造りの街並みを見下ろす黒蓮城──飾り気が少なく堅牢な、城塞然とした王宮の、黒旗翻る尖塔に一人佇む人影があった。

 ──否、異形の影。

 宵闇に溶けるような黒衣に包まれた長身は人並外れて逞しい。その堂々たる偉躯と纏う覇気からも、彼が類い稀なる戦士であり、覇者の風格を備えていることは明瞭である。

 そして彼が人でない証に、質素な衣から覗く肌を暗灰色の微細な鱗が覆っていた。


 目を引くのは何と言っても頭部であった。例えるならば蜥蜴、しかしそこまで華奢ではなく、起伏に乏しい竜頭とも言えるかもしれぬ。裂けた口には牙が並び、額から顎へ、左目を通って一条の刀痕が走り、切れ上がった目、鋭い光を湛える双眸は深紅に輝く。

 彼こそ、このグリスターンを統べる王、レックス=デスラーンであった。

 ──かつて、内政を軽んじた王が撒いた火種は、その王が死した後に大火となって国を襲った。玉座を巡る争乱に全土が巻き込まれ、それまで大陸随一の名を冠していたグリスターンはたった数年の内に滅亡の危機に瀕する。

 豊かな国土は異邦人の馬蹄に蹂躙され、栄華を極めた都は燻る瓦礫の堆積と化した。明かりは灯らず、希望もなかった。甘美な管弦の音色の代わりに辺りを満たすのは、喊声、絶叫、剣戟の響き、そして慟哭、死の静寂──。

 崩れ去った日々に、誰もが己の生に縋りついて生きていた。他人を蹴落とし、憎み合い、殺し合う。強者は弱者を突き放し、彼らを絶望の闇の中に屠る。あるのはただ醜い欲望と闘争であった。

 そんな末世の中、一人の武人が立ち、どこからともなく現れた異形が彼に手を貸し、暴君を打ち倒す。そして武人は将軍、異形は王となって再建の指揮を執り、斯くして風前の灯火であったグリスターンの命運は破滅の淵から掬い上げられ、平和な日常を取り戻しつつあるのだ。

 一見、災厄の化身とさえ思える禍々しい姿のこの王を、しかし民は救国の神王として受け入れた。そう、グリスターンの民にとってレックスは魔でも獣でもなく、神に等しい存在なのである。確かに、滅びかけた国で絶望に打ちひしがれながら生きていた民たちの目に、その姿が神々しく映ったとしてもおかしくはないであろう。

 光に溢れ笑声さんざめく眼下の街を見、彼は暫しの間、そこが常闇の廃墟だった頃を回顧していたようであったが、徐に身を翻し、階段を降りていった。


 幾許かの後、彼の姿は市中にあった。

 古来よりグリスターンでは、十二神の一、冥界の神ユラニスが、夏至の日になると死者の魂を連れてこの世を訪れると信じられている。人々はその日の夜、家の前に青い灯を並べて祖先の霊を迎え、昔を懐かしむと共に感謝を述べ、彼らの魂が安らぐよう祈りを捧げ、守護を願うのだ。その後に彼らの歓迎、かつ餞のための宴を開く。華やかな祭りの中で故人を悼み、末永い繁栄を希うのである。そして夜が明けると、神殿に集ってもう一度、冥界に帰っていった死者の冥福を祈る。

 尚、現在、この夏の慰霊祭は、戦乱の世に散った数多の命の供養という意も帯びるようになった。これはレックスの意向による。

 今はまさに、生者も死者も共に踊り騒ぐ祭りの最中であった。

 黒蓮城に詰める兵たちも、大半が警備を兼ねて街へ繰り出している。通りを行き交う人々の中にちらほらとグリスターン軍の制服が見られた。

(まあ、こいつらは、俺が見張るまでもない──俺は俺で、楽しむとしようか)

『グリスターン軍に悪人なし』と言われるほど、彼らは規律正しく訓練された集団である。上官が巡回して目を光らせる必要もほとんどない。家族と、同僚と、恋人と、思い思いの一時を過ごす兵士たちを微笑ましく見遣りつつ、レックスは悠然と人混みの中に入っていった。

 竜頭を堂々と晒し、馬にも乗らず、通りを歩く。人々は彼に気付いて振り返り、囁きを交わし合った。

 レックスは頻繁に市井に姿を現す。であるから、民が彼を目にすることもさして珍しくはない。加えて彼は、異相と重々しい威厳故に畏怖されてこそいたが、それでも慕われていた。厳(いかめ)しい外見の割には磊落で、庶民に近い感覚も持ち合わせている彼は、良い意味で王族らしさに欠けるとでも言おうか、ともかく親しみやすかったからである。

「陛下だあ」

 はしゃぎながら、恐れ気もなく足元に纏わりついてくる子供さえいるのだ。慌てる母親を尻目に、小さな手でレックスの服の裾を引っ張る。

「元気で良いことだ」

 穏やかに微笑みながら子供の頭を撫でて母親の元に返し、レックスは人波をすり抜けてゆく。

 街はうっすらと哀惜を漂わせているものの、華やかで、賑わしい。着飾った娘たちの髪に、死者に捧げる青い花が良く映えた。道の両端に延々と露店が立ち並び、グリスターン特産の葡萄酒から大陸で広く親しまれる焼き菓子、食べ物に留まらず遠い南国の精巧な硝子細工や装飾品まで、ありとあらゆるものが商われているのではないかという様子である。

 レックスには特に目当ての品がある訳でもない。気の赴くままに、時折ふらりと屋台に立ち寄って軽食をつまみ、人々と他愛ない世間話をする。杯を片手に、串焼きを咥えて談笑する姿は、人ならざる風貌を除けば、全く庶民そのものである。それでいて高貴さを失わぬ不思議な存在であった。

 尚もレックスは歩いてゆく。




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