エピローグ1 人はそれを・・・
―――“・・・!”
突然―――それは懐かしい声だった。
本当に久しい。その声をまた聞きたいと思っていた。だがそれはもう聞くことが出来ないだろうと落胆もしていた。
―――“・・・、!!!”
また、声が聞こえてきた。もうとっくに五感は閉じられてしまっているというのに、その声だけは妙に、耳に届いた。
思わず目を開ける。すると、煌々と輝く光が瞳に侵入してくるのを感じた。しかし、それは眩いばかりではなかった。どこか、優しさがあった。
目の前に―――アリスが立っていた。
そしてアダンは、ここが現実ではないということにすぐに気づいた。
濁りのない、真っ白な空間。すべての光を反射し続ける無限の空間。まるで、あの諧謔の影と対話した空間とは真逆な様相だった。
ここは死後の世界なのだろうか? と思った。だが、これは違う。そんな確信があった。そもそも本人の知覚上には死後の線は存在しない。在るのは死の点だけだ。
「・・・どうしても、死んでしまうの?」
目の前のアリスがそう問いかけてきた。今、目の前にいるアリスは本当にアリスなのか、という疑いがある。あるのだが―――アダンはなんとなく、本物のアリスなんだろうと思った。
「・・・ああ、それはどうしても変えられない」
アダンはここがどこなのか、そしてどうしてアリスがいるのかという疑問は一旦保留にし、そう答えた。
そして―――アダンとアリスはしばし、見つめ合った。
なんとなく、これがアリスとの―――最後の会話になるような気がした。
だからだろうか、その思いは意外にも、するりと口から出た。
「ごめん、アリス。俺は・・・最低だった。俺は自分の弱さを隠すために、アリスを利用した。家族を騙った。俺は本当に、弱い人間だ・・・―――」
アダンはそう言って、頭を下げようとする。
が―――、アダンの鼻先までアリスの手のひらが急に近づいてきた。
「謝らなくていいのよ。私、そこに関してはなんとも思ってないの。だって―――それが家族じゃなくても、アダンのことが大事だって思いは変わらないもの。他人を利用する、そんな弱い部分も含めて、ね」
アリスはなんでもないような顔で、きっぱりと、そう言った。
「――――――――――――そう・・・か、、、」
思わず、何かが溢れてしまいそうになった。
「そう・・・・・・だったのか・・・」
胸を衝かれるような思いであった。
膝を折り、その場でうずくまってしまう。もう立ってなどいられなかった。
その言葉には、それだけの衝撃があった。
「俺もだ・・・・・・、俺も! アリスが家族じゃなくても、大事な人間だってことに変わりはないんだ――――――!」
もとより―――この所業に救済など、あるはずがないと決め込んでいた。しかし、違った。だってそれを証明するように、ほら――――――
アリスはうずくまるアダンの背中を優しく抱きしめてくれている。
安堵した。心が軽くなった。その言葉で満ち足りてしまった。
話はもっと単純だったのだ。
「最初からこうやって―――打ち明けれていれば良かったんだな・・・・・・」
そう言わずにはいられなかった。
「うん―――私もそうするべきだった・・・、ごめん・・・ごめんね、アダン」
「いいや、違う・・・! 違うんだ―――! アリスは何も悪くない・・・・・・! 全部、全部―――・・・俺が悪かったんだ。俺が始めてしまったことだったんだ! ごめん、ごめんなさい・・・――――――」
こんなにも思いを曝けるのは、これが初めてだった。それに、涙を流すのも恐らくこれが初めて。体が化け物だとしても、心は脆い。
アダンとアリスは泣く。全てを込めて―――。
それから、二人は語らい合った。これまでのことを。欠如していたものを補い合うように、言葉で紡いだ。
もう全てが手遅れであることは、言われずともわかっている。だが、二人はどこか幸せそうに見える。
そうして――――――ひとしきり話し終わり、アリスは一つの変化に気づいた。アダンの体が
「やっぱり、来ちゃうんだね」
アリスはどこか、悲しみを帯びるように言った。
「ああ、もう・・・・・・満足したらしい」
安らかな笑みを浮かべるアダン。憑き物が落ち、吹っ切れたように見える。
「アリスとこうして話し合えた。それだけもう十分なんだ。足るとはまさにこういうことだったんだ・・・。本当、なんで家族なんて嘘、付いたんだろうな」
「ふっ――――――」
アリスは優しく微笑んでくれた。
優しい時間だった。もっと話したいことがあった。もっと―――一緒にいたかった。
だが――――――
「俺は―――あの世界に戻りたくない。だからそっちに行くよ」
時の流れは無情だ。アダンの体の消失は確実に進行する。
「異族の忌避があるのに、傷つくことはわかってるはずなのに、どうして人は関わり合うんだろうな・・・・・・」
アダンはどうしても、そこを理解できなかった。
誰だって傷つくことを忌避する。であるならその原因―――他人という異物を排すれば良い。
全ての苦しみは他人が運んでくる。そこに善意も悪意も関係ない。他の意志そのものが凶器となる。
―――現実は傷つけ合いの地獄だった。
「だから、やっぱり俺は生きていたくない。許してくれ、アリス。俺はアリスの願いを叶えられない」
「――――――そう・・・。でもね、私の願いはそんなことじゃないわ。それはあくまで過程の一つよ」
「え?」
アダンはその言葉にきょとんとしてしまった。
「私は――――――アダンに幸福になって欲しい。ただそれだけよ」
アリスはアダンのもとまで近寄り、その両手を握った。アリスの手は温かった。まるでその温もりがそこから伝播してくるようだ。
「だからね――――――私はその果てにあるのが死でも構わないと思ってる。幸福の死。私はそれがきっとあると思ってる。恥も、後悔もない人生。そういうふうに終われるのなら、きっと最後のときだって満ち足りているはず。私はそういう人生を歩んでほしかった」
「―――――――――そう、か。俺はずっと履き違えていたのか・・・・・・―――」
アリスが想う幸福の形を、その全容を、アダンは一部分しか見ていなかった。
よくある話だ。認識上の視野狭窄。それは人の生まれ持った欠陥だ。
「アダンはいつも生きていたくないからって理由で自殺を選んでた。それは私の願いとは程遠い。消極的な死で―――終わってほしくなかった」
アダンはその思いになんて言ったら良いのかわからなかった。
「アダンはここで本当にここで終わってもいいの?」
「え?」
突然の問いかけにアダンは一瞬、困惑した。質問の意図を掴めなかった。
「アダンはヘリックの、異族同士は関わるべきでじゃないっていう考えに賛同した。だったら―――どうして異族の忌避を消そうとするアエを守ったの? 本当に異族同士は関わり合うべきじゃないって考えるなら、アダンはああはしなかったはずよ。ねえどうして、アエを守ったの?」
「それは――――――」
思わず言葉に詰まる。思い当たる言葉がないから―――というわけではない。その動機がアダンにとっては当たり前すぎて、今更言葉にして言うには少し違うような気がしていたからだ。
「ねえ、アダンは知ってるはずよ。私たちがどうして他人と、異族と関わろうとしてしまうのか」
そう語りかけるアリスの顔はどこか、本物の家族のような温もりがあった。
アダンは考えた。どうしてアエを守ったのか?
―――しかしその質問はアダンにとっては愚問だった。とっくに答えは出ている。
「俺は―――アエにはただ、幸せに生きてほしい。だってそうだろう? 今まで迫害されるばかりだった俺たちを初めから平等に接してくれたんだ。アエみたいな人間は純血では初めてだった。そんなアエに、幸せに生きてほしいと想うのは、当然のことじゃないか・・・」
アダンは訴えかけるようにそう言った。果たして誰への訴求か、もしくは世界へのものなのか・・・・・・。
「ほらやっぱりわかってるじゃない。私も同じ思いだった。自分でもない、他人にこそ本当に幸福になってほしい。そうして私たちは寄り添った」
―――“そうか。”、とアダンは気づいた。
目の前のことがあまりに身近すぎて、具体的すぎて―――――――――
なぜ人類が干渉し合うのか、その抽象的で大意的なそれを把握できなかった。
おそらく、原理原則的な理由などはそこには無いのだろう。
人はどうして集合するのか。
それはずっと近く、深く、すでに有していた。
「アダンは―――この選択に、本当に後悔が無いって言えるの?」
アダンはその問いかけに、■■■■■。
―――やるべきことはもう決まっていた。
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