第45話 無縫の大過

「どうして、、、そんなこと言うの?」


それは―――何度目の自殺願望だろうか・・・。


「どうして、か・・・。俺自身もよく分からない。ただ―――生きる苦しみが、死の苦しみを上回っていることを思い出したんだ。・・・なんでだろうな、俺は一度も死んだことがないのに」


と、アダンは疲れたようにわらう。

なにかも投げやりになった、そんな開けっぱなしの態度から本気なのだとアリスは悟った。


「でも、誤解しないでくれ。無理に付き合う必要はない。もしかしたらアリスも俺と同じ考えだと思って心中を提案したんだが・・・・・・その様子だと―――やっぱり俺とは違うんだな?」


アダンはアリスを横目にして、そう言う。

アリスはその態度が少々癪に障った。思わず眉がピクリと痙攣する。


「さっきの提案は忘れてくれ。最後に―――アリス」


アダンはそう言って、アリスに手を伸ばした。

別離の握手だ。


しかし――――――アリスはその手を握らない。

激情に身を任せ、その手を強くはたいた。


「ふざけないでよ!!! 自分は勝手に死ぬって、どうしてそんなことが言えるのよ!!? この世界にはまだ希望があるわ! アダンはそれを見つけることが出来てないだけよ! どうしてそんな簡単に手放すことが出来るの!? わけわかんない!!!」

「―――アリス・・・」


アダンは思わずたじろいだ。


「希望は必ずあるの! でも―――! アダンはそれを見落としてるだけなの!!! 幸せは態度から始まるの、わかる!!?」 


アリスは勢いそのままにアダンへと迫る。そしてどんどんと、アダンは気圧されるように後退った。

そうして―――ついに壁際にまで追い込まれた。

―――もう逃げ場はない。


「今死ぬってことは! これから訪れる希望も全部、なにもかも! 自分から手放すってことなのよ! いい!!? !!!」


アダンは眉をひそめた。


「それに―――、、、それに! 残される私はどうすればいいの!!? ――――――・・・、だから、いかないでよ・・・・・・・・・」


アリスはアダンの胸にしがみつき、嗚咽を漏らしながら、そう懇願した。

だが――――――

アダンはその言葉に全く心打たれなかった。何も響いてこなかった。

―――それよりももっと重大な“もの”があった。


「アリス―――、」


アリスはふっと、顔を上げた。するとそこには―――アダンの無感情な顔があるだけだった。


「ここで死んでしまったら、次がないのか?」

「あ、・・・!」


アリスは自分の体に異様な重みがのしかかるのを感じた。アダンの質問になにか、猜疑心のようなものが含まれているからだろうか。


「それじゃあ・・・俺たちは家族、なんだよな?」

「―――う、! どうしていまさらそんなこと聞くの・・・よ?」


背中に嫌な汗が伝うのを感じた。

そして―――凍えるように冷たい、アダンの視線はまるで―――これからアリスを断罪に掛けるよう。


「そうか――――――」


アダンはやけに納得したふうに面を上げ、アリスから離れた。

アダンという支えを失ったアリスはその場で転ぶように、壁へと凭れた。


「あ、アダン――――――、、、? さっきから変よ? どうしたの!?」

「そっちこそ、どうして嘘をつくんだ?」

「――――――」


気づかず、アリスは呼吸を忘れていた。


「なんでなんだろうな、本当に。別に、確証があるわけじゃない。だがどうしても、そういう気配がするんだ。“嘘”の気配が―――」


―――他者の偽りをあばく。


「嘘――――――・・・」


アリスは確信した。アダンにはその権能がある、と。

ハッタリではない、アダンのそれは正真正銘の神秘。

その気配を間違えるはずもない。自らも無縫という全能の神秘を所持しているのだから。


「ああ、嘘だ。アリスの口から出たものは全てまやかしだ。アリスは・・・死の先に何があるのか知っているのか? それに、家族が嘘とはどういうことだ? アリス、本当のことを教えてくれ」


立場が反転し、次はアリスが壁へと追い込まれた。

アリスはアダンの言葉に、自ら立てた、ある一つの誓いは思い出した。


―――“もうお互い、隠し事はしない。”


アリスは、全て理解した。

砕けた過去が、定理が、辻褄を合わせるように、歪にていを成した。

あの誓いはこのように、不合理に果たされた。


しかし、理解はできたが、何一つ納得できなかった。

咀嚼はできるが、正しく嚥下できない。

そんな―――破綻を感じた。


「嘘、うそ・・・か。―――これも・・・報い、なのかもね」

「?」


アリスは諦観するようにそう言った。アリスの副次的な願いは、隠し事をしないこと。それは今達成された。しかし――――――


「アダンは死にたいのよね」

「ああ、そうだ」


そこには確固とした意志が見えた。

アリスの主目的はアダンとともに、幸福になること。そのために何度もナンドモ蘇生を繰り返した。だがそれはアダン自らの手で、討ち果たされてしまった。


俯くアリス。アダンはさすがにこれ以上は焦れったいと思い、真実の告白を迫ろうと口を開く―――。

が、その光景を目前にして、それは阻まれた。


「――――――ッゴフッッゥ・・・――――――!!!」


どこからともなく、アリスの口内から、血が溢れ出していたのだ。

アダンはすぐさまアリスへと駆け寄り、その小さな体を支えた。何の前触れもなく、吐血するなどそうあることじゃない。


「だ、大丈夫か!? アリス―――!?」


そう言って、アダンは気づいた。これから死のうというのに、家族―――いや他人の心配するのはどういうわけだ、と。

―――しかしアダンのそんな心境を、アリスは知る由もなく、近づいてきたアダンの頭部に触れた。


アリスはもう声の出なくなった喉で、ただ―――“ごめんなさい”と、告げていた。

記憶の改竄。それはアリスにとって手慣れた作業であった。



それから―――数ヶ月が経過した。

しかし、そんな酷薄な行為をした蒼種はまだ特定できていない。もしもそんな輩を発見できたのなら、アダンが殺すだろう―――。

――――――が、それは今日を以て、いよいよ達成されなかった。


アリスとアダンの両名は、バベルの地への労働が決定されたからだ。


バベルの地行きとは、それ即ち―――死である。

蒼種の乱雑な記録によると、バベルの地で強制労働させられた混血の死亡率は十割。生存という例外はない。

そして、そこへこれから向かう。


そもそもバベルの塔とは、世界に色による違いと、異族の忌避を齎した元凶である。

そんな、最も忌避すべきものをどうして蒼種は再建しようとするのか? その理由は単純明快だ。

世界の原理を解明するため。それだけだ。


この世界には不可思議なものが多い。

蒼種は日毎夜毎ひごとよごと、その研究に明け暮れているが、謎が明かされる気配は一向にない。

しかし、そこに一筋の光が差した。異族の忌避や無縫の加護。これらのあらゆる神秘が全て“ある一点”に収束していた。


そのある一点とは―――最初のバベルの塔が崩壊した日だった。

つまり、それを解明することは、世界の神秘を知ることと同義となる。


そしてその手がかりは宇宙の、これもまたある一点の場所に浮遊している。

それは“全知の点”と呼称された。

蒼種はここを目指すために、バベルの塔の再建を決定した。

しかし、この再建計画は何度も失敗している。その度に大勢の混血が死んだ。だが再建計画は終わることを知らない。労働力の補填のため、無尽蔵のように混血が産まされ、また死ぬ。その繰り返しであった。


そして―――そんな使い捨ての駒である、一個のアリスは―――バベルの地への移動の直前に、ある決意を抱いていた。


―――“どんな手段を用いても、アダンを幸福にして見せる。自殺したいなんて思わないくらい・・・・・・・・・。”


例え――――――家族という歪んだ嘘を利用してでも。


「ねえアダン。私、死んでもアダンのことを幸せにするよ」


そうして―――アリスとアダンは、バベルの地へと向かう馬車の荷台へ乗り込むのだった。

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