第44話 不一致の折

目覚めるアリスの視界に映ったのは、こちらを心配そうに覗き込むアダンの顔であった。


アダンは自らの膝にアリスの頭を預けさせていた。

アリスは目の前にいる大切な人アダンをついつい二度見してしまう。そしてバネのような勢いで飛び起きた。


―――“大丈夫!?”

―――“もうなんともない!?”


と。アリスはアダンへ立て続けに質問を浴びせた。

一つ目の質問を答える途中で次から次へと質問が舞い込むため、アダンは何がなにやらと混乱している。

アリスはアダンが困っていることに気づき、一旦質問を止めた。いや―――、そんなことをする必要はもうなかった。

なぜなら―――――――アリスを見つめるアダンの顔には、穏やかな笑みがあったから。

それで十分だった。


“ごめんなさい。”


アリスはほっとする心をすぐさま切り替える。そして拳をギュッと握りしめ、謝罪した。そうしなければならなかった。

しかし、当のアダンはそれが何に対する謝罪なのだろうか、と不思議に思うばかりであった。

―――アダンは自分に何が起きたのか、全く覚えていなかった。

いや、それだけに留まらなかった。

アダンは自分の名前さえも覚えていなかった。この世界の成り立ちも、収容所のことも、―――全部。

産まれてから得た情報をすべて失っていた。

しかし―――どういうわけか、アダンはアリスの名前と、そしてアリスと家族だということだけはしっかりと覚えていた。


アリスは驚愕のあまり、ただ呆然とするしかなかった。

しかし、ちょうど遠くから蒼種の監視員たちがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


アリスはアダンを連れ、素早くその場を去った。蒼種とは関わらないほうが身のため、というのは当たり前すぎる訓戒だ。


「ここまで来れば、いいかな―――」


アリスは混血がいるところまでたどり着き、そう言った。

しかし今更―――本当に今更であるが、アリスはまたも驚愕した。


誰も―――アダンを見ても―――注目すらしていないのだ。

どういうことだ、とアリスは思った。

アダンが今も健在ということに誰も疑問視しないのは、こちらにとって幸いの運びであるが、これはあまりにも都合が良すぎる。


アリスは近くの混血に近づき、今日一日何があったのかを問いただした。

すると、帰ってきた返答はアリスの全く知らない物語偽物であった。


全て改竄されていた。

―――脱走した混血も。

―――それによる全員の召集も。

―――であるからアダンの殺害も。

全て存在しなかった。


それからというものの――――――

アリスは地面ばかりを見つめていた。

こうなった理由。それが全て、この能力無縫によるものであるということは明らか。


アリスは―――雲ひとつない空の先を見上げた。


最も恐れるべきなのは自分無縫であることを、アリスは改めて実感した。

だから―――アダンに言い出す機会を逸してしまった。

言い出す勇気が―――まだ足りていなかった。


そしてそのまま明日を迎えてしまった。恐ろしいほど普段どおりに。悲劇など最初から無かったかのように・・・・・・。


―――迎えてしまった今日。アダンは普段どおりに生きている。収容所を歩き回っても誰も驚かない。いつものように睨め付けるような、好奇の目が向けられるばかり。いつもどおり過ぎる日常。


それから数日が過ぎた。アリスはまだ言えない。あのとき誓いを立てたというのに。


また数日が経過した。

アリスはこの日、―――このままではまた同じことの繰り返しになってしまう、とのことでついに決意することが出来た。


“もうなりふり構っていられない―――!”


アリスはアダンを探す。

開口一番にこの能力を見せつけ、説明せざるを得ない状況を作り出す。それがアリスの作戦であった。

“強引だけど、確実よね。”、とアリスは収容所中を駆ける。


そんな―――ある日のことだった。


アダンはすぐに見つかった。しかしその姿は正常ではなかった。が、その光景はいつもどおりとも言える。

アダンの全身には―――人為的な悪意が、殴られたあとが広がっていた。


「―――――――――」


アリスは無言で近づき、思い出していた。いつもアダンに暴力を振るう“二人組”と直前にとすれ違ったことを。

アリスは強く歯を食いしばり、怒りをあらわにする。


「あ――――――」

「アリス」


アダンと言いかけるアリスであったが、アダンのその言動によって打ち消された。

アダンは傷のことなど感じさせないほど、すっくと立ち上がった。

その負傷の度合いとは不釣り合いな―――ちぐはぐ軽やかさに、アリスは少し動揺を覚えた。


「―――最近、記憶が曖昧なんだ」


アリスはその言葉に、どきりと胸を震わせた。

そして図らずもそうさせたアダンの眼差しは―――どこかぼんやりと遠いように見える。


「でも―――ついさっき思い出したんだ、この世界が理不尽だってこと」


息を呑むアリス。なんだか胸騒ぎがする。


俺たち混血は純血に迫害される。だから少ない者同士で協力しなくちゃいけないはずだ。でも、そうなっていない。俺がまさにそうだろ?」


嘲るようにそう言う。


「底辺には―――更に底辺があったんだ。これ以上落ちようもないと思っていたとしても、そこにはまた下があった。みんな、“人生を歩む”って形容するが、俺には地に足をつけた感覚なんてない。俺は“落ちて”いるんだ」

「どういうこと? アダン・・・?」

「アリス、これからも差別は続く。そして俺たちはその果てに死ぬ」


これからの未来を思うアダン。そんなアダンの胸中を、アリスはなんとなく察することが出来た。それはアダンとの、長い共同生活のたまもの

―――アダンは今、悲観的になっている。先ほどの二人組に酷い目に合わされたからだろうか。だが、それにしてはアダンはなんともなさそうだ。

最近のアダンの体は以前のように病弱では無くなっていた。あの蘇生以来―――。


「これじゃあ、不幸になるために生きているようなものだ。そう思わないか?」

「・・・・・・―――」

「いっそ死ぬことができるなら―――どれだけいいんだろうな・・・・・・」


その言葉に、アリスの心が―――軋んだ。

アダンのその吐露は、アリスにとって最上の責め苦であった。


「だから――――――アリス」


アダンの顔には不自然な笑顔が張り付いている。


「一緒に死のう」

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