第43話 一人の人間として

ずっと―――

永久にも思えるように―――ずっと、一人の少女が泣く声が聞こえていた。

俺はその少女を元気づけたい。でも、それは出来ない。

その少女の願いが、俺の願いとは真逆だからだ。

だから―――どうしようもない。何もできない。

でも、だとしても―――そんな風に泣いてほしくない。


その少女は俺に無茶を言ってくる。その通りにすれば笑ってくれるのだろうか?

しかし、俺は口を噤む。思ってもいないことを、願ってもいないことを、今更吐き出すことは出来ない。


俺にはもう―――嘘を発する器官がないのだから。



アリスは目の前に転がる―――アダンの頸を見た。

現実感がない。アリスは錯乱していた。わけも分からず、兄妹だと思っていたアダンから扼殺されかけた。しかもその実、彼との血の繋がりなど無かった。


アリスは首に残る、締め付けられた跡をなぞるように触れた。


どくん、どくん――――――。

動悸が鳴り止まない。

人を殺すのは、これが初めてであった。

腹の奥に何かが沈殿しているように気持ち悪い。体中が常に炎症を起こしているような緊張感がほとばしる。吐き気が―――止まらない。

胃酸が逆流する。喉を通過した。もう堰き止める弁はない。ただただそれを口外へと撒き散らした。

それはまるで融かされた鉄のように熱く、もう全部吐き出したいとすら思ってしまう。


―――“アダンは私に嘘をついていた。”


だから別にアダンを殺したことを気にする必要はない。


―――“ずっと、自分のためだけに私を騙してきた。”


だから殺してよかったんだと思う。


“でも―――どうしてこんなに心が苦しいの?”


けれどこの苦しさはどう説明する? 根拠が、根源が―――見当たらない。

これもまた、アダンに掛けられた呪い―――消えぬ炎と同じものか? 否、それは違う。彼女が抱く感情の根幹は明らかだ。

これは――――――


「―――、ッ―――うぅッ、、、」


悲しみだ。

一筋の涙が、アリスの頬を伝った。その涙は―――ぽたり、とアダンの顔に落下する。


単純な話だったのだ、これは。

アリスは初めからアダンのことを家族として見ていなかった。

アリスにとってアダンは―――それ以上の、大切な人間だった。そこに、家族という制約などは関係なかった。


人の存在価値というのは皆平等で、そこに優劣など無かった。

アダンもそう―――。家族でなくとも、こんなにもかけがいのないくらい、愛おしい。

愛していた―――ただ一人の人間として。


だから、苦しい。失ってしまった今。


“もう―――家族なんてどうでもいい。私はただ、アダンと一緒にいたい。だから神様、どうかお願いします。私にもう一度、奇跡の顕現を―――許してください。”


それがこの物語の―――起点であった。


アリスが行う蘇生は先ほどとは打って変わっている。肉の再生ではなく、アダンを原点とした局所的な時間の遡行だ。これであれば、肉と心は同一存在として、正常に蘇ることが出来る。

それは意識か、はたまた無意識によるたまものか、それは定かではないが、アリスは再び、アダンの蘇生に取り掛かる。


そして―――アリスは誰に言うでもなく、誓った。


―――“もうお互い、隠し事はしない。”


なぜそんな誓いを立てたのか、それははかれない。

ただ―――アリスはそうしなければならないと感じていた。

相互理解。これが進んでいないがためにこの一連の悲劇が生まれた。

近しいと思われたアダンとアリス。しかしその実、そうではなかった。

近いのはその濁った色だけ。決して心の距離が近かったわけじゃない。

結局、似た者同士の寄せ集めだったのだ。

心と心を通じ合わせることが本質だというのに、二人は色が同一ということに充足感を覚え、胡座をかいた。

やるべきことを放棄した。


だから次は、―――もう同じてつは踏まない。

揺るぎのない決心。アリスはそれを抱き、頸と胴体がつながるアダンを見守った。


そのとき――――――――――――

がくん、と意識の折れる音が聞こえた。

アリスはこの感覚を知っている。これは無縫の加護を行使しすぎた反動だ。


アリスは全身から自重を支える、諸々の力全てが一気に失われていくのを感じた。まるで誰かに持っている全ての生命力を抜き去られたようだ。

アリスは受け身も取れず、頭から地面へと落下する。これは痛いだろうな、アリスは俯瞰的に思う。


しかし―――――――――、

何か、ひんやりと冷たい何かが、アリスの後頭部を押さえ、落下を未然に防いでくれた。その感触はどこか冷血ではあるが、その思いや意思がよく伝わってきた。


―――“温かい。”


アリスはそう思い、閉じられる意識に身を委ねた。

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