第42話 天衣無縫の帯

ヘリックとは、長らくぶりの再会―――というわけではない。

あの夜の奇襲からはまだ一週間程度しか経過していない。

しかし、アエの体感では一週間以上の時が経過していたのは確かであった。

それだけ濃密な時間を過ごしたのだ。


「しかし、本当にトゥデのところに逃げ込むとはな。君にしては単調だったな。まあそのおかげで―――こうして、待ち伏せには成功したわけだが」


ヘリックは後ろに控える紅華の兵士たちのほうへと視線を移す。

その六人の兵士は、さきほどアダンを処刑した者たちだ。それを証明するかのように、各々手には血に塗れる剣が握られていた。

アエはそれを見て、ぞわりと嫌な予感が頭をよぎった。


「―――トゥデはどうした!?」


アエは間髪入れずにそう問うた。アエはほんの短期間であるが、トゥデと同じ屋根の下で生活していた。そして彼女はこの世界では数少ない、混血にも理解のある人間だ。そしてそんな二人は勿論、意気投合した。

トゥデはアエにとって、数少ない理解者であり、親友なのだ。


「ああ、、、彼女のことか・・・」


ヘリックはなにやらあらぬ方向を見て、そう言った。その顔は少し困惑した様子であった。


「まさか―――!」

「いや、勘違いしないでほしい。彼女には何も危害を加えていない―――、というか、加えようがなかったんだ」

「は?」


アエはその釈然としない答えにどういうわけだと純粋な疑問が浮かんだ。

ヘリックはそんな胸中を察し、補足する。


「彼女は、私たちがこの場所を使いたいと脅した途端に、“殻”に籠もったんだよ」

「殻?」

「ああ、どうやら彼女が開発した物らしくてね。相当頑丈な避難所シェルターになっている。私たち全員がこじ開けようとしても開けられなかった。だが―――この際それはどうでも良かった。私の目的は君たちを殺すことだからな」


それに、とヘリックは苦笑いを作る。


「彼女、かなり無様に命乞いをしてね。“ここを自由に使ってください。アエとアダンを殺すことには一切関与しないから、どうか殺さないでください。”、とそれはもう鬼気迫る様子でせがまれたよ」

「な―――――――――」


アエはぽかん、と大口を開くことしかできなかった。


アエはそうだった、とトゥデについて振り返った。

彼女は面倒ごとや不都合があれば、それを他人に押し付け、自分だけはさっさと安全圏シェルターに逃げるきらいがあった。

だから今回もアエと、それに同伴する混血のことはトゥデにとって二の次―――いや、三の次くらいだったのだろう。


だが、それは正常な判断と言える。人間誰しも自分の身が可愛くて仕方がないのだ。

しかし、アエはそこはもう少し庇い立ててくれても良いんじゃないのか、ともはや親友ではなくなったトゥデに対し、思わずそんな文句が出てしまった。


「それにしても―――、意外に冷静だな? アダンを殺されたというのに」


ヘリックは話題を転換するようにそう言い、あろうことか、地面に転がるアダンの頭を踏みつけにした。

それは―――アエにとって最上の挑発である。

ヘリックはわかってやっている。

だってほら、アダンの後頭部を踏みにじるヘリックの顔はこんなにも楽しそうなのだから。


どくん、とアエの心臓が大きく跳ねた。言語化出来ない何かが沸き立つ。

アダンの死を悲しまないわけがなかった。そして目の前の男を憎まないわけがない。

しかしそればかりに囚われてはいけない。冷静になれ―――!こんな絶望的な状況でも、生き残るためにはそれが鍍金めっきだとしても、ただ平静を装うしか無い。

この命はアリスに救われ、そして今しがたアダンにも助けられた。

愛した二人に生かされたこの命脈、むざむざと差し出すはずがない。


「さて―――」


と、ヘリックは腰に帯刀していた剣を鞘から抜き、きっさきをアエの鼻先へと向けた。


「次は君だ」


突然、それは死刑宣告であった。


「一応・・・・・・動機を聞いても?」


アエから絞り出されたのは、時間稼ぎのための苦肉の策。

アエには現時点でこの困難を乗り越える手立てが持っていないし、まだ思いつきもしない。だから思いつくまでの時間が必要だ。


「ふん、時間稼ぎか?」


しかしそれは看破された。単純にアエの目論が見え見えだったからだろう。

だめか、とアエは思わず視線を下に向けてしまうが―――、


「余興だ、少し話そう。―――改めて自分のことを話すいい機会だ」


それはアエにとっては僥倖である。しかしそれはヘリックがどれほど優位なのかということをよく表している。

ヘリックの一番の脅威はアダンであった。あの―――殺した人間は二百は下らないウィルに匹敵する、唯一と言ってもいい人間。そんな化け物をなんと無傷で倒すことができた。こうして六人の兵士を動員した甲斐があったというものだ。


脅威は去った。あとは赤子をひねるほどに、か弱い科学者が一人だけ。

ついつい慢心してしまうのも致し方なかろう。


「知ってのとおり、私は混血というものを嫌っている。理由はない。君たちは私の家族が混血に殺されたからだと言うが、そうではない。生理的に受け付けないんだ彼らのことは。おそらく君はそれをどうかしてる、とか、理不尽だ、とか言うだろう」

「――――――」


ヘリックは未だにアダンの頭から足を上げようとはしない。アエはそれを堪えつつ、策を講じる。


「私の記憶の一つに、なぜ自分は混血として生まれてしまったのか、と嘆く混血がいた。人というのは生まれながらに不平等だ。私ももし混血として生まれたのなら、同じように嘆くだろう。生まれは選べない、そう思う。しかしそうなると、私はこうして純血として産まれることを選べたのだろうか? 勿論、選んでなどいない。―――選んでもいないのに、私はこうして純血としての人生を謳歌している」


アエはつい、ヘリックへと視線を向けた。それより先に導き出されるであろう結論に嫌悪を隠せない。


「それだけで―――、混血を虐げる理由としては十分ではないか?」


アエは全く理解できなかった。

確かに生まれる環境は何人たりとも選択できない。それは大富豪の家に生まれた者も、混血として生まれたものもそうだ。

普遍的な、絶対的な法則。ある意味平等だと言っても良い。

しかし、選べないのに、そこに、環境に、差があった。

平等なのに、不平等があった。

―――だから、それを“差別”しよう。


アエはその結びに目眩がした。吐き気がする。まるで脊髄をまるごと引き抜かれてしまったようだ。

思考が白紙化される。


「よって、この世界には君のような、混血とともに歩もうとする異端は排除しなくてはいけない。いいか―――アエ。他種族との交流なんていらない。異なる色同士は交わるべきではないんだ」


そして―――ヘリックは強く、強く、アダンの頭蓋を蹴り上げた。


「―――やめろ! 馬鹿!」

「その体現である混血は以ての外だ。全く・・・蒼種の奴らも面倒なものを生み出してくれたものだ、な!」


ヘリックはまたもその死体を蹴った。

その衝撃で血が舞う。そしてそれはヘリックの服へと付着した。ヘリックはそれに顔をしかめ、まるで汚物を見るかのように目を向けた。


「さて―――、おしゃべりはここまでだ」


ヘリックは一段と声を低くし、そう言った。

急に機嫌が悪くなったのは、アダンの血が付いたからだろう。これに関しては自業自得の間抜けではあるが・・・・・・。

ヘリックはアダンの死体を通り抜け、アエと対峙する。

そして持っている剣の剣尖けんせんを天へと掲げあと、勢いよく振り下ろした―――。


アエはただ、それを見つめることしか出来なかった。動けない、傷が痛むためだ。そしてこの状況を打破するための手立てもとうに見つけられなかった。


三人の旅は―――全員の死を以て終わる。


――――――はずであった。


ヘリックの剣はアエの頭蓋を真っ二つに分かとうとするが、剣の軌道はその途中、何かによって阻まれた。


ぐっと、ヘリックの手首に、不思議な感触と小気味の悪い音が入り交じる。

ヘリックは何事かと思い、振り返り、気づく。自らの手首が―――粉々に砕けていることに。そして手首を握り締めているその正体に――――――。


「な」


そこにはいてはいけないはずの人間―――、いや人間と形容して良いのかどうかも怪しき“成れの果て”が、ヘリックの直ぐ側に立っていた。


「楽しそうだな、本当に」


そう言うと、それは掴んでいたヘリックの手首を片手だけで振り回し、ヘリックごとトゥデの家の中にいる兵士へと放り投げる――――――!


兵士たちは迫りくるヘリックを受け止めた。おかげでなんとか不時着せずに済んだヘリック。だが彼はすかさず、自らの手首の粉砕骨折になど構わず立ち上がった。そして、自らを投げ飛ばした原因のところまで向かう。


「どうして―――、どうしてお前は死んでいない!!! これではあのときと同じだ! 大概にしろ!!!」


そう言った。

まるで子供のようないちゃもんであるが、そう言いたくなるのも賛同できる。


「まさか―――! また死んだふりをしたとでも言うのか!!? ふざけるなよ! お前は確かに殺した!!!!!!!!! なのに・・・―――! なのにどうしてまたお前はここにいる! この混血が!!!」


烈火の如く怒るヘリック。それに相対し、罵倒を一身に受ける者は―――アダンだった。


「―――俺は死ねないらしい。今のところは・・・だが」


アダンは答え合わせのように、それを見せしめた。その表情は―――どこか儚い。


「な―――・・・なんだ、それは・・・・・・・・・」


そこには―――呆気があった。

淀みのない不理解。

ヘリックはおよそ自分の人生の中で遭遇も、想像さえもできない、埒外を目の当たりにした。


「―――――――――」


それはアエも同様であった。その光景に思わず、思考が撹乱された。


「全部思い出した、これまでのこと。そしてこれからのことも―――」


そう語りかけるように話すアダンの体は―――至るところが帯のように解けている。

その帯のゆらめきは―――紅蓮の花を思わせた。

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