第39話 擬似奇跡
無数の、赤い瞬きが辺りに散る。
その中心にて、炭化したアダンの躰は四肢の末端から、徐々に生者の
幻想的なそれは―――死者の蘇生である。
しかし、アリスはそれを残酷な行為だと気付いていない。
ここに、一つの哲学がある。
―――
―――
二つは異なる位相にある。よって、同一ではない。
けれど、繋がっている。
次元の違うそれは触れ合うことはないのに、どんな因果か、連携している。
―――本質の心、
実存の肉―――。
運動の第三法則―――作用反作用の法則のように、心と肉は互いに作用し合う。
死のときも、死後も、それは例外ではない。
肉が停止すれば、心は霧散する。その逆もまた然り。
死は二つを分かたない。
よって、心と肉は同一であり、同一でない。
相反する結論は、幾星霜の月日が経ったとしても、変わらないだろう。
そんな心と肉の関係性は、生まれた頃から誰でも知っている。
だから当たり前すぎて、
しかし――――――その関係は、アリスに手によって破壊された。
その蘇生は根本から間違っていた。
アリスはアダンの肉のみを再生させた。これは本来同時にあるべき心を度外視した行為。
心と肉は常に、同時に存在しなくてはならない。
だから、修正しなくていけない。書き換えなくてはいけない、あるべき姿に戻らなくてはいけない。
万物には修正力がある。
この世界に存在する万物万象には世界の規範に倣わなくてはいけない。もしもそれを許してしまえば、ひとたび世界は崩壊してしまうからだ。
そしてその修正力を、どんな物、生物も内包している。
我々は
アダンも例外ではない。
規範に則り、アリスによって崩壊させられた法則を正さなくてはいけない。
普通であれば、心の死に連動して、肉も死ぬ。
だが、アリスの
アダンは完全な死という修正をとれなくなった。だから、消去法で、生を選んだ。
―――自らで無理やり心を生み出し、整合を取る。
それがアダンが行うべき修正。
そして―――アダンは完遂した。その修正を。
死んだ心をゼロから生み出し、完全に生き返った。
所要時間はおよそ二秒。恐ろしく短い工程であるが、恐れることなかれ。この修正力は生きとし生けるもの全てに備わった機能だ。
アダンの瞼が、ゆっくりと・・・開かれる。
アリスは歓喜に打ち震えた。
今まで死者の蘇生をしたことがなかった。だから成功するか、失敗するか、自分でも全く未知数であった。
だがこうしてアダンは生き返った。
アリスは喜びからアダンに抱きつこうとするが、それよりも先に、やらなくてはいけないことがある、と自らを自制する。
アリスはあのとき、アダン本人の命の心配よりも、アダンがいなくなったあとの自分の心配をした。
それはアリスが理想とする家族像とはかけ離れている。だからまずはちゃんと謝る、そしてこれからは隠し事をしない。そう心に決めたのだ。
しかし―――、自制したとしてもやはり待ちわびてしまう。
アリスは今か、今かとアダンが自分の名前を呼んでくれる瞬間を待ち望む。
アダンの目が完全に開かれた。そして、アリスと目が合う。
そのとき――――――
アリスは、ふと、アダンから一歩引いた。
アダンの眼差しが家族に向けるそれではなかったからだ。
“なに、その目・・・?”
そう思うのも束の間、アリスは壁に叩きつけられる―――!
「―――、っぁ!―――」
衝撃で、肺に充満していた空気が抜ける。眼窩に火花が散る。
アリスは何が起きたのか、と思い、アダンを見ようとするが―――、
「いっ―――・・・!!!」
左腕から激痛が走った。確認すると、そこには不自然に折れ曲がる左腕が。
“痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!”
アリスは苦悶の表情を浮かべ、その痛みにのたうち回る。
そのとき、アダンの顔が視界に入った。
アダンのその形相はまるで、地獄の業火を思わせた。
―――人を殺す。
そんな、圧倒的な殺意は包み隠されることなく、直線的に叩きつけられた。
アリスはアダンに蹴り飛ばされた。その力は病弱なアダンからは考えられないほどの威力。
アダンの中でなにか、異変が起きている。
アリスは折れた腕をかばいながら、立ち上がる。が――――――、
アダンはその隙を見逃さない。
「aaaaaaaaaaaaaaaa、ああああああああああああああああああああ―――!!!!!!!!」
トチ狂った吶喊。天地がひっくり返るような衝撃であった。
あのアダンからは考えられないほど、野蛮な叫びを上げならがら突進してくる。
アリスはその
アリスはなすがままにその衝突を受ける―――!
「――――――オぇ、―――!」
迫りくるアダンの肩口は、アリスの鳩尾を貫いた。
その衝撃に足が浮き、吹き飛ばされ、またも壁に追いやられる。
「―――――――――――――――!!!!!!」
これ以上は声も出ない。すでに取り込んだ空気は全て抜けてしまい、新しい空気を取り込む暇もない。
「―――ガアアぁaaaaaaaaaaaああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
アダンは悲鳴にも近い声を上げながら、壁に打ち付けられたアリスの首をつかみ、締め上げた。
「―――、、、ゴァッッ・・・・・・・!」
唐突に気道を塞がれ、喉からくぐもった音が鳴る。
徐々にアリスの視界が高くなる。
鷲掴みにされたアリスの首がアダンによってどんどんと、上に持ち上げられているからだ。
アリスは酸欠によって充血する目を下方に向ける。そうすることで、アダンの表情が間近に見ることができた。
そして、アリスは思った。
“誰?”
それはアリスの知るアダンではなかった。
アダンは確かに生き返った。しかし完全に戻ったのは肉だけで、心は全く違う。
アダンの心は万物が持つ修正力によって、“ゼロ”から構築された。
しかし、さすがになんの参考もなしに、適当に作られたわけではない。肉に残る特性や習性などの情報を参考に、アダンの心は設計された。
しかし、人の心というのは繊細で難しい。
たった一本の交差を違えれば、それは全く違う人格になる。
つまり、肉の情報のみで構築されたアダンはアダンではない。
目の前にいるアダンはもう、アダンの肉を借りた何者かだ。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
それはアダン(?)が発狂している理由だ。
人格が変わるだけであれば、アダン(?)はこうしてアリスを殺そうとはしない。
ところどころ、記憶が抜け落ち、人格も多少異なってしまうが、それでも以前のアダンの人格を忠実に再現するはずだ。
しかし今現在、アダンは全くそうなっていない。むしろ殺そうとしている。
―――なぜこうなるのか?
それは単純な理由だった。
「aaaaaaaaaaaaaaa、、、コッ、!!! コ、rセ、、! コロシテクレeeeee!!!!!!」
アリスの首を絞めながら、そう叫ぶ。
アダン(?)は耐えられないのだ。体中に蔓延る痛みに。
心をゼロから構築する際、アダンは自らの肉の情報を参照した。
だが、その肉の直近の情報には――――――死があった。
それは死の間際の情報。
狭く、暗い密閉空間に閉じ込められた。どれだけ扉を叩いても、鍵をかけられているのか開かない。外から嗤う声が聞こえる。間をおいて、上から火が投下された。それは瞬く間に広がり、中の酸素が全て消えた。肺が燻された。もう呼吸が出来ない。そして炎が全身を舐め尽くした。
“―――熱い、熱い、熱い、ここから出してくれ。”
どれだけ懇願しても、扉が開くことはなかった。ただ、嗤う声だけが絶命する寸前まで聞こえていた。
そのようにして―――アダンは死んだ。
―――
―――
さりとて、二つは繋がっている。
死の痛みは、蘇生されたあとも引き継がれることとなった。
燃えてもいないのに燃えている。幻の炎が今もなお、体を灼く。
アダンは―――壊れてしまった。
その理性はとうに潰えてしまった。
残ったのは、この消えぬ炎から解放されたいという思いだけだ。
アダンはアリスの細い首を、雑巾を絞るようにして、強くひねった。
「はやく早くハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤク、、、、、、、、、、、、、、、、、、――――――――――――――――――コロせ――――――――!!!」
悲痛な、死の切願が響く。アリスはそれを小さな体で受け止めていた。
「く―――、苦し―――ッ、、、兄さん。もう、、、・・・止めて・・・兄さん―――・・・!」
パキリと、アダン(?)の中で何かが壊れた。それは心の悲鳴。
アリスは“兄さん”と呼んだ。
しかしそれはアダンがでっち上げた嘘の関係だ。
“全くもって醜い。”
それは生前のアダン自身も十分にわかっていた。
そして―――そう思うのは、ここにいるアダン(?)もそうである。
自らの行いをようやく俯瞰できた。
“全くもって歪だ。”
またしてもアダンは壊れる。その心は砕かれた。自らの所業の愚かさを目の当たりにして。
灼かれても、焼かれても、焼尽せぬ“肉”。
過去の愚劣さを俯瞰し、罅割れた“心”。
二重の責め苦であった。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!」
更に狂乱する。それは嘆きであった。
―――“もう死にたい。”
―――“その目もやめてくれ。”
―――“それは家族に向けるものだ。”
―――“騙していたんだ、ずっと。”
―――“だから殺してくれ。”
―――“何の躊躇いもいらない。”
―――“俺たちは―――家族じゃないんだから。”
その思いはアリスに伝播した。言葉ではなく、心で理解した。
もう十分だった、アリスは。これ以上残酷な真実を知りたくない。
だというのに・・・・・・
「・・・―――家族ッ、、、ジャ、あ―――ない、くせに!!!!!! ドウシテ、ッ―――!!!」
アダンのその言葉は―――決定的だった。
アダンの心が壊れたように、アリスの心もまた、壊れた。
「――――――ッガぁ――――――・・・・・・」
そのとき――――――、
アダンの喉に不自然な衝撃が走った。―――何だ?
いつの間にか、大地が回転を始めている。―――これは・・・。
やがて、その回転が止んだ。―――そうか。
―――“アリス・・・。”
そこから見えたのは、あるべき首を失った
―――“殺してくれて、ありがとう。”
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