第37話 自他
その場の思いは、一つだった。
誰もが一人の犠牲を望んだ。
前方から、かつかつと音を立て、ゾーアが広場の中央を闊歩する。向かう先は混血たちの指先の渦中。
ゾーアの歩く先を阻まないよう、混血たちは恐る恐る道を開けた。
足音が、死の気配が――――――確かに、近づく。
「なるほど、お前が―――そうか」
ゾーアはもうアダンの目前にいる。アダンは俯かせていた顔をゆっくりと上げた。
ここは、―――断頭台の下だ。
吊るされた刃はもう落下しており、当然アダンの首は固定され、逃げることなど出来やしない。
「最後に何か言い残すことは?」
「・・・はっ・・・―――こんなの、、、馬鹿げてる―――! 俺は脱走のことなんて今日はじめて知ったんだ。共犯者なんてありえない・・・―――!」
そこには静かな怒りが内包されていた。
「だが、お前を指差す奴らはこんなにもいるぞ?」
ゾーアは、ほら見ろ、とでも言うように周りを見やる。だが、近くに一人だけ例外がいた。
その
「お前も・・・・・・こいつと同じか?」
ゾーアはその少女にそう言った。
その質問はつまるところ、“脱走の共犯者か?”、と訊いているようなものだ。
返答によっては死が確定する。
「―――ぁ、、、―――」
問われたアリスからは、喉の奥からかすれた音を鳴らすだけであった。
アリスは―――純粋に怖かった。
収容所にいれば、死なんてありふれたものだった。どこにでも死体が転がっている。昨日、血の通っていた混血が明日には冷たい死体になっていることなんて日常的で、それこそ生活に馴染むほど。
ただ、自然的に、機能を終えただけの抜け殻。
それがアリスにとっての死体―――だった。
しかしその認識はこの日を以て、過去形と化す。
アレは――――――別世界の異物だ。
人間の嗜虐心をあそこまで極限化したものをアリスは知らない。
心が打ち震える。関節がガクガクと笑い出す。
アリスはこれから言うことを想像し、吐き気がこみ上げてくるのを感じた。動悸も止まらない。喉がひりつくように、異常なほど渇く。
だがここでそれをしなければアリスはもっと大事なものを失ってしまう。それは緊張でおかしくなった頭で考えた唯一の結論であった。
「わ、私は――――――!」
アリスは声を振り絞る。だが――――――
「もういい!!!」
アダンはアリスの言葉をかき消すように怒鳴った。その声量はアダンの人生で最も大きく、自らの意志を知らしめるようだった。
「・・・早く連れいけ。どうせなにを言っても俺は死ぬんだろう?」
アダンは諦めるようにゾーアを見た。
「そうだな」
ゾーアはその視線―――アダンの意図を察するように、答えた。
「ずいぶんと物わかりが良いようで助かるよ。―――連いて来い」
ゾーアは広場の出口の方へと歩く。硬く、無機質な靴の音をともなって。そしてアダンは何も言わず、ただ付いて行くのみ。
アリスはそれを見つめるばかりだった。なんて言ったら良いのか、全くわからない。
―――どうすればよかったんだろう?
―――今からアダンを救うにはどうしたら良い?
―――いや、それよりももっと事前に、手を打つことは出来なかったのか?
目まぐるしいほどの後悔が、浮かんでは消え、浮かんでは消え――――――・・・
遠ざかるアダンの背中。
その背中にいつか、アリスはおぶってもらったことがあった。
温かった思い出がある。
しかしそれももう終わる。アダンの死という隔たりによって、触れることさえ叶わなくなる。
“嫌だ!!!”
アリスは無我夢中で、アダンの背に手を伸ばす。
その指先には幾重にも折り重なる、刃物の如く鋭い輝きが小さく産声をあげた。
人類に許された奇跡の顕現。
アリスはそれを、一人の
だが――――――
アリスは結局使わなかった。いや、使えなかった。
なぜか?
アリスはその理由を言語化できなかった。
しかし、これだけは言える。
こちらを振り返ったアダンの顔が、なんの曇りも、なんの悔いも感じさせない、眩しいくらいの笑顔だったからだ。
アリスは伸ばした腕をパタリと、力なく降ろした。
また、アリスに孤独が訪れる。誰もいない、誰も分かってくれない世界。
アリスは収容所に来る前に、無縫の加護で髪色を変えて誰かと仲良くなろうとしたことがあった。
だが、満たされることはなかった。
誰かと居たいと自分を騙した末にあったのは、また孤独だった。
嘘偽りのない関係でなければ、満たされない。それを悟った。
そんなとき、
しかしその姿はもう見えない。
アリスは絶望した。
これからの一人ぼっちの世界に。そしてそれしか考えられない、我が身可愛さに。
ゾーアとアダンが去ったことによって、広場は解散と相成る。
召集させられた混血たちはまばらに散った。
アダンを指さした混血たちは、普段どおりの日常に舞い戻ることだろう。自分たちがアダンを殺したなんて露程も思わない。そしてそんな出来事があったことすらいつか忘れるだろう。
結局のところ―――他の死は、自という個体になんの関係性もないのだ。
アダンは“死は共通感覚だ”と言ったが、皆がそう捉えているわけではない。
ただ、群衆が思ったことは一つだった。
―――“自分じゃなくて良かった”、と。
それだけである。
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