第36話 指差す先
共依存。
あれから―――アダンとアリスには次第に笑顔が増えた。
それは家族という温かみを知ったからか、それとも同じ血を持っているという安心感からか・・・。
両者の心情の根底は何一つ合致していないが、それでも寄り添い、笑いあった。
しかしアダンはアリスと向かい合うたび、その純粋な瞳に映る自分の姿に吐き気がこみ上げてくるのを感じていた。
兄を騙る
それが自分の正体であることを、アダンはいつも思い知らされていた。
こんな
それに例え、本当にアリスと同じ血縁だとしても、アリスのように強くはなれない。それはアダン自身も理性ではきちんと理解している。
しかし――――――感情はそれを拒んだ。
アダンはもう、後には戻れなかった。
だって――――――
『兄さん!』
こんなにもアリスが楽しそうに笑うのは・・・・・・
アダンが本当の兄だと伝えてからのことだったから―――。
この笑顔を消し去りたくない、できるならずっとこのままで居てほしい。
そんな我儘を、アダンは抱いた。
だから、アダンは決心した。
“この嘘は生涯明かさない。”
アダンはアリスの兄であることを選んだ。
例えそれが茨となり、動くたび、笑うたび、
こんなにもアリスの笑顔を望むのは、こんなにもアリスに尽くそうという思いは、それはきっと――――――家族の愛。
血の縛りを超えし絆。
「アリス、俺は死んでもお前を守るよ」
しかしやはり嘘は嘘、虚構は虚構で。
もとより支えなどなく、どうやって瓦解せずに済んでいたのかと思うほど、―――――――――脆かった。
ある日、アダンたち混血は広場に召集させられていた。
広場は元々、その混血が労働に耐えうるかどうか検査するために使われる場所である。だがその検査はつい先日に行われたため、連続して行われることはないはずだ。
だから、こうしてここに集められたことにみな、当惑していた。
広場には今まで収容所で
その数、およそ五百。
そしてその全てを見下ろせる高台に一人の男が。
足音も、存在感も、薄すぎるその男はいつの間にかその高台に立っていた。
いつそこに立っていたのか――――――、それさえわからないくらい気配に溶け込む希薄さ。
「諸君、この収容所から一匹の混血が脱走した」
しかし、その言葉によって誰もがその男の存在を意識せざるを得なくなる。
これからなにを言うのか、その全て集中しなくてはいけない。でなければ死ぬ。
それは本能からの警告であった。
高台に立つ男は、緊張に固まる混血の顔を見て、にやりと笑った。
その男の名前は“ゾーア”。
未来の話にはなってしまうが、ゾーアはアダンたちが連れてこられた拠点に襲いかかり、ウィルを殺害した。
そして過去には、アエの両親とその弟をも殺害している。
そんな彼は現在、左遷させられていた。
彼は優秀な兵士、暗殺者、偵察兵であった。その万能さは戦争の際、大いに活躍した。そして彼自身も戦場を生きがいとして好んだ。
戦争人はまさに適職であった。
しかし時代が進むにつれ、世論は戦争にはもう疲れたと
その際、戦争犯罪人を全て清算し、まっさらな状態に戻すことをケジメとして求められた。
当然、彼もその処分の対象であった。彼自身もそれに準じ、人生を終えようと思っていたが、彼を慕う者たちによって生き永らえてしまった。
そして現在。彼はこの糞溜めのような場所で、灰色の日々を過ごしていた。
心の火に
戦場の
「ちなみに―――脱走した混血はもう捕らえている」
ゾーアはそう言い、周りの蒼種に合図を送る。
すると、高台から楕円形の“物体”が投下させられた。それは地面に落下し、大きな音を立てるかと思われたが、そうはならなかった。
その物体には縄がくくりつけられており、混血の頭上五メートルの辺りで止まった。
皆、その“物体”がなんなのか、よくわからなかった。
アダンは視線を斜め上にして、目を凝らす。
そのとき――――――
ぴちゃり、とそんな音がした。
その音はアダンの足元から聞こえた。
アダンは、なんだ、と思い、そこを見つめると、赤い染みが一点。
血だ。
その血さっきまではなかったはずであった。それを証明するかのように、その血は今も生き生きと生命に満ち溢れるように輝いている。新鮮な証。
「――――――・・・ッ・・・キャアアアあァああああああアアああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
悲鳴だ。
それは高台近くに居た女の混血の声。その女は高台から宙吊りになっている“物体”を、アレ―――! 、あれ―――・・・!、と指差しながらずっと叫んでいた。
アダンはその“物体”はもう一度よく見る。
縄はぴんと張り詰めている。その先端にある“物体”には確かな重みが感ぜられた。
だがその縄が、脈打つ鼓動のように動いたのをアダンは見逃さなかった。
そしてそれは下に行くほど蠢いているようで、ついにその“物体”がなんなのかを、アダンは理解した。
その姿はさながら・・・・・・“イモムシ”を思わせた―――。
手足がなく、顔も曖昧な、そんな形。
それは確かに―――人、だったのだろう。
だがもう見る影もない。
両手は肩から断絶しており、左足は根本からごっそりと無くなっている。右足には太ももだったであろう肉片が薄皮一枚でぷらりと追従していた。
断面からは焦げたように真っ黒になった骨身が見える。それは焼いた形跡であった。
止血するために傷を焼き、溢れ出る血を止める方法。
しかしそれは止血を狙ったものではなく、単純に痛めつけるだけを目的とした行為。
焦げて固まった断面には、
顔に関してはそれが誰なのか、判別することが難しいほどまっ平らであった。
両目を塞ぐ機能を果たす瞼は破り取られ、
そもそもそこにはめ込まれていたはずの眼球はとうになく、
唇はこ削ぎ取られ、
あんぐりと開かれた口から見えるその中は赤一色で
毛という毛は全てかきむしられて毛根のその先の種々の肉肉が外気に曝され、
両耳は綺麗に刈り取られていた。
その奇跡に、誰もが戦慄した。
あんな悲惨な状態でも、まだ生きているという奇跡。
しかしそれは死んだほうがマシだという、陳腐な言葉をありありと視覚化させた。
「この混血の脱走計画は巧妙だった。そこで、我々は共犯者がいるのではと考えた」
ゾーアは更に恐怖に歪む混血に対して、更に言葉を投げかける。
「そして――――――」
まだ辛うじて人の面影があるイモムシに括り付けられている縄が、ゾーアの持つ刃物によって切断された。
それはなんの面白みもなく落下し、ばしゃりと、あたりに
「こうなりたくなければ、その共犯者を指で示せ。もし共犯者がわからなければ、一人ずつ
人というのは冷静に、残酷だ。
広場の混血が指差した先は、一点に集中していた。
その先には、濁りきった、汚泥のような髪と瞳。特例によって、何年も労働に出されていない例外。
ゾーアはその満場一致の光景に、ほくそ笑むのだった。
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