第33話 快か、不快か

そのアダンと同じ髪色をした少女は―――アリスという名前だった。


収容所へと移管されたアリスを、周りは好奇の眼差しを向けていた。


アダンと同じ髪色をした少女。

凛とした目つき。吊り上がった眉。堂々とした立ち振舞い。

アダンとは違い、芯のある力強さがあった。

アダンとは全く真逆の人間。

それは誰もがひと目で思った。それはアダン自身例外ではなかった。


“どうして―――あんなに強いんだ?”


彼女を一目見たとき、アダンは何故かそう思ってしまった。

それは直感。しかしそれが正しかったことを、アダンはこれからの日々で知ることになる。


少女は注目の的。いい意味ではなく、悪い意味で。

理由は先に述べた二つ。

一つはアダンと同じ髪色だということ。

二つは幼さを感じさせない態度と振る舞いをしていること。


初日―――アリスは早速、柄の悪い奴らに絡まれた。

仕掛けてきたのは、いつもアダンをタコ殴りにしていた三人組。その三人組はアダンだけを甚振いたぶるのにそろそろ退屈していた。

そこに新しい玩具アリスがやってきた。三人組にとっては僥倖。

そうしていざ、三人組はアリスに接触したのだが―――、


その三人組はこれ以上無いくらいに返り討ちにされた。それも自分たちよりも年下の少女にコテンパンにしてやられた。

一人は腕の骨を折られ、もう一人は鼻を粉砕された。そして最後の一人は一瞬で気絶させられ、その時のことを全く覚えていなかった。


“アリスとかいう新入りは規格外の化け物だ。”


その噂は収容所に瞬く間に広がった。

興味本位、野次馬、腕自慢、などなど。

この数日間、アリスに近づく者が殺到した。


一方、アダンはそんな光景を脇目に、穏やかな日々を過ごしていた。

アダンに乱暴を働く三人組がアリスによって再起不能にされたからだ。


“まあ、どうせすぐ鬱憤晴らしに来るだろう”、とアダンは諦観していたが、心はこの安寧を満喫していた。こんなに平和な日々は本当に久しぶりであった。


苦痛のない毎日は、“自殺”という単語を忘れさせてくれる。

だが、それも一瞬のことであった――――――


「ッ、、、ゥ―――――――――!」


目の前で火花が散った。

アダンにとっての日常が舞い戻ってきた。暴力を受けるだけの日々。アダンはまたこれが続くのかと思うと、涙が止まらなかった。


“こんなことなら―――中途半端な希望を見せつけられるくらいなら―――ずっと痛い目にあったほうがマシじゃないか”、とアダンは思った。


アダンは初めて怒りを露わにした。

それは三人組に対してではない。アリスに対してだ。

アリスがこの三人を打ち負かしさえしなければ―――そうすれば、この暴力も作業のように受け入れられた。


暴力という煮え湯は初めは痛いが、慣れてしまえばなんてことはない。

―――だから痛い。


ずっと麻痺していたほうが良かった。

―――だから痛い。


だが、アダンはそのぬるま湯から一時的に引き上げられてしまった。

―――だから痛い。


そこから引き上げたのはアリスという少女。

―――だから憎い。


―――それは理不尽な、醜い人間による、狂った怒りの発露であった。


そのとき――――――来るべき衝撃がしばらく途絶えていたことにアダンはふと気づいた。

アダンは瞼を開けようとするが、夕焼けが眩しく、目を細めることしか出来なかった。

蜃気楼のように揺れる視界。そんな中、アダンは一つの、小さな像を認めた。

アダンは瞳に差し掛かる夕焼けを手で遮り、その像をしかりと見た。


そこには――――――くだんの、アリスがいた。その足元には気絶した三人組が倒れ伏している。

少女は夕焼けを背にし、アダンをただじっと見つめていた。まるで後光が差しているよう。


「あんた、なんで抵抗しないの?」


その少女はそう言った。その声はどこか冷淡で、年齢以上の貫禄を感じさせられた。


「あのままだと、いつか死ぬわ。自分の身は自分で守らないと・・・」


アリスはアダンに手を差し伸べた。だがアダンはその手を握ろうなんてこれっぽっちも思わなかった。

苦しみの元凶は目の前の少女のせいだからだ。


だが―――アダンは反射的にアリスの手を強く、素早く握りしめ、こちらへと強引に引き寄せた。


「っな、なにすんのよ!!!」


アダンの胸に引き寄せられたアリスは、突然の不逞に憤る。しかし後ろの気配に気づき、アダンの意図を察した。


「くっっそ! 邪魔すんじゃねェよ!!!」


そこにはアリスが倒した三人組の一人。そいつが片手にこぶし大の石を手にして立っていた。

その男はアリスが油断した隙をついて、後ろから襲いかかろうとしていた。

もしもアダンの咄嗟の行動がなければ、アリスは後頭部に致命的な傷を受けていただろう。


「くずが」


アリスは立ち上がり、凍てつくような声でそう告げた。


「るッせえェぞ! ガキが!」


男は持っていた石をアリスの顔をめがけて投擲し、それに遅れて男が突進する。二段構えの攻撃。


だが―――アリスにとってはなんの支障にもならない。まずは飛来する石を避け、突進してくる男の鳩尾に拳をえぐりこませる。


これで終わり―――――――――のはずであった。

しかしこの勝ち筋には一つの犠牲が生まれる可能性がある。それはアリスが飛んでくる石を避けた際、その先にいるアダンに石が衝突してしまうことだ。


アリスは迷った。

今は夕焼けによる逆光で視界が眩んでしまう。そんな状況で飛んでくる石をアダンが避けるのは難しい。

だが―――そもそもアダンにこの石が当たるということ自体、正確に把握したものではない。それにアダン自身が避けてくれる可能性だってある。


しかし、アリスはそんな―――アダンが傷つくという少ない可能性をどうしても許せなかった。

―――誰かが理不尽に傷つくということをアリスは受け入れられない。それがアリスにとっての矜持。


アリスは空を切り裂いて飛来するその石を、左手の甲で撥ね退ける。そして目の前の男に視線を移すが―――――――――


「くッッッ、―――――――――!」


衝撃。

アリスは男に首を締められ、組み敷かれた。


「ハハハハハッ、苦しいかぁ? ええ!?」


男はケタケタと笑いながらそう言う。

男は興奮と、それから恐怖していた。その感情の大本には未知への挑戦がある。


―――初めて人を殺したらどうなるんだろう?


初めてのことは誰だって緊張する。

男は人を殺したことがなく、そうしようと思ったこともなかった。だがこうして今、人を殺めようとしている。

脳が人を殺すということを愉快か、不愉快か、判別しようとしている。だから、こうして興奮と恐怖が明滅するように、チカチカと繰り返される。


人の脳は一つ一つの行動に対し、無意識的に快か、不快かを判別する。

今のように・・・人を殺すときだってそうだ。


だが――――――この場に人を殺すことに、快も不快も、なんの反応も示さない人間が、ひっそりと存在していた。


男の唯一の失策は、まずは“それ”を先に排除しなかったことであった。

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