第32話 出会い
それは――――――アダンが忘れてしまった過去の記憶。
アダン自身、その在るべき記憶が無いことには漠然と気づいていた。
しかしなにを忘れてしまったのか―――
だが―――闇に呑まれ、アダンは思い出した。
―――その正体はまだ収容所にいた頃の記憶。
「ッッオラァ!・・・―――!」
鈍痛。アダンは慣れ親しんだ痛覚に目をつぶった。後を引くその痛み。それは右頬にじわじわと残り続ける。
「へへッ―――オイっ! 立てよアダン。殴りにくいだろ」
アダンは胸ぐらをつかまれ、無理矢理に立たされ、そのまま壁際へと追い込まれた。
その場にはアダンを含めて四人。
胸ぐらをつかむ者。そしてそれをニヤついた顔で眺める者の二人。
まさに
これから先は言うまでもないだろう。
それから数刻――――――アダンは天を仰ぎ、ただじっと空を眺めていた。
見るも無惨。
アダンの体はところどころ腫れ上がっており、内出血している部分が如実に見て取れた。
アダンは弱い。それも虚弱。
ましてや、
―――人体に風穴を開け、
―――上半身と下半身に引き裂き、
―――人の頭蓋を蹴り飛ばす
など、そんな化け物じみた怪力など持ち合わせていない。
だからこうして無抵抗で殴打されるしかなかった。
目をつけられたらそこでオワリ、そんなどうしようもない日々をアダンは過ごしていた。
アダンは自分の心音が落ち着いたのを確認して立ち上がる。まだ少々関節に痛みが残っているが、“もう慣れた”、と言わんばかりに強引に歩き出す。
ここは収容所。
生み出された混血たちが一定の年齢、もしくは、働けるようになるまで収容しておく施設だ。
収容所の混血の年齢層は多様だ。
ここでは健常者は早くに働かされ、障害者は遅く働く。
なにせ体が丈夫で幼いうちから労働に耐えうるような者もいれば、アダンのように軟弱な者もいる。
ここで言う“労働”とは、世間一般と混血とでは少し意味が異なる。
混血にとってのそれは、すべからく死を意味する。馬車馬のように働いた末に死ぬ。これが混血の必然の未来。
そうすると一見、遅くに労働をする障害者は得をしているように見える。
しかし得ばかりではない。働けるようになるまで出来るだけ経過は観察されるが、その兆しがなければ問答無用で処分される。
アダンは障害者に区分された。生まれ持っての重度の喘息と貧血。少しの肉体労働をするだけで息が上がり、倒れ込んでしまう。だからここに残る特例を受けていた。
まあ、一時的な身の安全ではあるが・・・。
しかし―――それでも健全な者の目にはそれが疎ましく見えた。結局のところ、長く生きられるのは障害者のほうだからだ。
なぜ健全で十二分に働ける者が早くに死ななければならないのか?
彼らはそんな妬みとも言える怒りを溜めていた。
鬱憤を晴らさなければどこか気持ちが悪い。そう考えた彼らはアダンに目をつけた。
アダンは虚弱体質で特例を受けている。そして―――あの髪色だ。
混血は様々な色の集合体。混ぜ者ゆえ、生まれ持ったその色にはどこか濁りがある。
―――しかし、
アダンのその濁りは他の混血に比べて度合いが違う。
濃度が濃すぎるのだ。
アダンの髪色は黒薔薇のような、いや―――全てを覆い尽くすような、深い黒であった。
異分子は格好の的。たった二つの言いがかりで人は残酷になれる。
アダンをいたぶるのは彼らにはとても愉快なことだった。アダンを加虐するたび、死の恐怖を忘れられた。
麻薬にも似た中毒性。止められるはずもなかった。
それにアダンの体は意外に丈夫だった。虚弱体質ではあるが、外傷には強い。それはこれまでの
ならばその行為により拍車がかかるのは必定。
そして今に至る。
夜半前。
アダンは今日何度目かの暴力を耐え、床に就いていた。
体の至る所が熱を帯びている。まだ痛みが引いていない。アダンは眠れなかった。
自殺。
なんどもその言葉が浮かんだ。終えることで解放される。だがその過程で耐え難い苦痛に見舞われるのはアダンは避けたかった。
“痛いのはもう嫌というほど知った。”
痛みのない死を―――アダンは所望する。今際に、激痛は必要ない。
アダンの生きる目的は苦しみのない終わりを見つけること。死ぬために活動する。そういう論理で動く
しかし、その原動も今日で終わる。
そこには新しいモノが加わるからだ。
そう――――――、あくる日。
いつもどおりの朝。いつもどおりに新しい混血がやってくる。
その混血はどれも幼い。彼ら彼女らは生後から六歳までは別の施設で育てられる。そして六歳を迎えると、このように、収容所へと移管される。
そして――――――ふと、アダンは見つけた。―――見つけてしまった。
漆黒に塗りつぶされたかのような髪を、ふわりと靡かせた少女を。
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