第23話 出発

紅華がアリスを暗殺する。それはアエとアダンにも簡単に予測できることだった。

これから紅華から刺客が迫ってくるのはまず間違いない。


「私たちは逃げ続ける必要がある。でもいづれ限界が来る」


アリスは無縫の加護を行使すると、大きな反動を受けてしまう。紅華からの刺客から逃れるために毎回そんなことをしていては、いづれアリスは死んでしまうだろう。


「だから確実に休息を取れる場所を確保する必要がある」

「そんな場所あるのか? アエだけならともかく、俺たちは・・・」


アダンの懸念するところは最もだ。混血にとっての安全地帯などそうそう無いのだから。


「一つだけ心当たりがある。トゥデという、研究者がいる。彼女は異族の忌避を消し去ることに同調してくれた数少ない人間だ。僕の研究の助手も務めてくれたからよく知っている。匿ってもらえるかもしれない」


アエがそう言うのなら、とアダンは快諾した。


「でも、そこまでは遠いから、貿易所で馬を確保しようと思う」

「貿易所?」

「貿易所はいろんな種族が交易するところでね、蒼種も紅華も、いろんな種族が入り混じって色んな商談を持ちかけたりする場所のことなんだ。まずはここで馬を確保する」


アエは羽織っている白衣の裏をまさぐり、ポケットから巾着を取り出した。中には金が入っているのだろうか、そんな音がする。


「これで馬は買えるはずだ」

「その貿易所までは歩いてどれくらいだ?」

「たぶん、丸二日かかる」


となると―――と、アダンは思案する。

その二日間を耐え忍ぶため、水や食料をこの森の中で調達する必要があるだろう。それにこの森を素足で歩くのは危険だ。足を保護する物を一から作らなければならない。


そしてこれらの用意にはそう時間を掛けることはできない。いつ紅華の追手がここまで迫ってくるのかわからないからだ。


「アエ」

「うん、すぐに取り掛かろう」


アエとアダンは顔を見合わせ、旅の準備を始めるのだった。


食料に関してはアエが担当した。食べられる植物の選定はアエのほうが目利きだ。

そして、アダンは木の蔓を利用して食料を詰めるかごと、足を保護する草履のようなものを作った。作り方はアエから教えてもらい、テキパキと組み立てている。

アダンは意外に器用で、難なくこなしていった。


やがて日が暮れる。淀む影。もうすぐ当たり一面闇と化すだろう。

アエとアダンはそうなる前に、アリスがいる木の根元の空洞まで戻っていた。


「今日の作業はここまで、かな」


アエは身体をぐーんと伸ばす。背骨がポキポキと鳴るのが、アダンにも聞こえた。


「明日の午前中には出発したい。流石にこれ以上は時間を掛けられない」

「そうだな。それより、貿易所にはどうやって入るんだ? さすがに俺たちは入れないだろ?」


いくら貿易所で様々な種族が交流しているからと言って、混血もそうであるはずがない。もしもアダンとアリスが見つかれば、問答無用で殺されるだろう。


「そうなんだよね・・・。馬を買うのは僕だけで出来る。だからアダンとアリスには外で待ってもらって、それから馬で拾おうと思うんだけど―――交流所の周辺は昼夜問わず、各国の人間が行き来している。見つかる可能性は十分ある」


貿易所に入るのは不可能。しかし外で野宿するのもまた危険。


「貿易所に入るよりかはそっちのほうがマシだと思う。それでいこう」


アダンはそう答えた。そのとき、眠っていたアリスが身じろぎをし、目をわずかに開ける。


「大丈夫か? アリス?」


アダンの声にアリスは頷いた。その様子はどこか力ないように見える。まだ本調子でないことは明らかだ。

ふと、アリスは震える手を伸ばした。それはやがてアダンの頭に触れた―――。


すると、どういうことだろう。アダンの髪と瞳の色は、薄黒から赤へと変化した。

その赤は紛れもなく、紅華の赤だ。


「アリス!? いいのか、使っても―――」


アダンはアリスの身を案じる。それ対してもアリスはまた頷いてみせる。

アリスは無縫の加護によって大きな代償を払わされた。だが、今回はなんともない。

どうやらあのとき―――ゾーアの襲撃のときのような大規模な行使をしなければ大事には至らないようだ。


「―――なるほど。万物の模倣を使えば、髪と瞳の色も変えることができるのか」


アエは独り言をこぼす。


「アリス。馬を模倣することは出来る? もしできたら貿易所を介さずにトゥデのところに行ける」


なるほど。無縫を使えば、危険を犯すことなく、目標までたどり着くことが出来る。


「でも無理はしてほしくない。できなさそうだったら首を振ってくれ」


アリスはアエの手のひらを掴み、そこに人差し指を滑らした。

文字だ。アリスは文字を書いている。

アエの教えが活きたのだろう。アリスはスラスラと書いていった。


「―――"まださわったことない"」


と、アリスは記した。


無縫の加護万物の模倣は普通、目視するだけで行使できる。だが、アリスの場合は少し違うようだ。混血と純血のそれでは条件が異なるのだろうか。


どちらにせよ、貿易所で馬を確保しなければいけないことに変わりはない。この状態でアリスが馬を模倣しても、アリスが無事でいられるかどうかもわからない。


「アリス。ありがとう。もしかしたらみんな貿易所に入れるかも知れない」


アエはアダンの髪と瞳の赤を見てそう言う。


「この状態でも異族の忌避は発現してしまうだろう?」

「いや、軽減することは出来る。現に抑制薬が無かった頃は髪を染めて、異族の忌避を抑えて貿易していたんだ。でも瞳の色を変える技術は今でもない。だからそのせいで異族の忌避が発現することもあったんだ。髪を染める方法は本当に気休め程度でしかない」


アエは急にアダンの顔に近寄り、瞳を覗き見る。


「―――しかしこれなら、かなり効果があるのかもしれない。でも、油断は禁物だよ。相手に触れたら異族の忌避は発現してしまう。だから気をつけてね」

「ああ、わかってる」


アエとアダンはその後も貿易所について話し合ったあと、早めに眠ることにした。


そして―――翌朝。

アダンとアエは出発の準備を完了させた。

アリスはまだ歩けそうにない。アダンはアリスをおぶるための補助具を作り、それを使って歩くことにした。


これから丸二日間、歩き通しになる。いくらアダンが体力に自信があると言っても、人をおぶりながらでは厳しいだろう。補助具はその負担を減らしてくれる。


「よし―――準備はいいね。アダン、アリス」

「ああ、アリスも大丈夫そうだ」


アダンは背にいるアリスを見てそう言う。


「じゃあ、貿易所へ出発だ」


アエはアダンの先を歩き、アダンもそれに着いていくのだった。

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