第22話 傀儡の偽物

アダンは森の中をひたすら駆けていた。アエとアリスを抱えて―――。

何処に向かえば正解なのか、それはアダンにはわからない。だが今はただひた走るしかない。


駆けるアダンの足裏に小石や木の枝が刺さる。裸足で駆けるには森の足場は辛いだろう。しかし、安全だと確信できるまで足は止めることはできない。


足の痛みが麻痺してなにも感じなくなってきたころ。アダンは思い出していた。それはいつかの日。ゾーアが襲撃してくるずっとの前のことだ――――――。



「アダン、もし自分よりも強いヤツと会ったらどうする?」


ウィルはそう問いかけてきた。


「逃げる、だろ?」

「ああ、そうだ。だが逃げる隙もないとしたら、どうする?」


アダンは考えた。どう対処すべきか。


「・・・刺し違えても相手を倒す」

「未練のないやつはそれで良い。だがな、お前にはアリスがいるだろ? お前は生き残らなくちゃいけない」


それは過去に、アエにも忠告されたことがあった。

―――もっと自分を労れ、と。


「相手を油断させろ。前の五本勝負の最後みたいにな」


油断。

それはさきの五本勝負で、刀を持つ手を相手に誤認させたことを言っているのだろう。


「あれは・・・自分でも驚くくらいだった。またあんな機転を利かせろなんて言われても難しい」

「あそこまでとは言ってねぇ」

「じゃあ、ウィルだったらどうする?」


相手を油断させる方法。もしかしたら不測の事態が起きたときの参考になるかも知れない、とアダンは考えた。


「一番やりやすいのは死んだふりだな。案外、人っていうのは、生死の確認を怠るもんなんだよ」



ゾーアによって腹部を撃たれたとき、反撃する余力はアダンには残っていなかった。

その瞬間、ウィルとの会話を思い出した。

死んだふりをする。これのおかげで生き残れた。そう言っても過言ではない。


だが、そのウィルは―――。


「アエ、ウィルは死んだのか?」


アダンは銃弾の致命傷を躱した。だがそれでも額がえぐれるほどの傷を受けている。

アダンは痛みによって気絶していた。ゾーアがこちらに近づくまでずっと。

だからそれまでのこと―――ウィルが殺される瞬間をはっきり確認できていない。

しかし逃げるとき、ウィルが血まみれで地に伏せる姿を視界の端にわずかに捉えていた。


アダンの質問を受け、アエはアダンの額の傷に気づく。そしてアダンがこうして生還している理由もなんとなく察した。


「うん、ウィルは死んだ。僕を、守ってくれた」

「・・・・・・・・・・・・・・・そうか」

「どうして―――こうなってしまったんだろうね」


ふと、アダンは足を止めた。アダンは目の前の大きな木を見つめた。その根の部分には何人か入れそうな空洞があることが分かった。


アダンはそこに二人を入れたあと、自分も入る。空間にまだ少し余裕がある。身を隠すのに適しているだろう。

それからアエは白衣の中に忍ばせていた包帯や治療薬を使って、アダンとアリスの治療を行う。


アダンは額の傷、そして足の裏を。

アリスは潰れた片目。そのほかの傷も包帯で覆う。


「アリスは―――大丈夫なのか? なにがあったんだ?」


アエは、アリスがこうなった理由を説明した。


アリスは無縫の加護を昇華させたのだろう、とアエは考えた。

アリスの使ったあれは、言うなれば―――"万象の創造"。

模倣に留まることのない、創造。これがあればどんなことだってできる。そう―――"神"にたどり着くことも。

しかし、その代償は大きかった。


「そうか―――、アリスはみんなを守ろうとしたのか」


アダンはアリスの頭を優しく撫でる。


「それに比べて、俺は――――――」


アダンはウィルの死に自責の念を感じていた。

―――もっと早く目覚めいれば、と。

そうすればウィルが死ぬことはなかったかも知れない。

ウィルは純血の中で初めて友情を感じられる人間だった。悔やんでも悔やみきれない。


「アダンは悪くない。比べて僕は、あのとき動けなかった。だからアダンは悪くないよ・・・・・・」


アエは顔をうつむかせる。


「―――そう、だな・・・。そもそもあの男さえいなければこうはならなかった」


あるいは―――ヘリックが裏切りさえしなければ、こうはならなかったはずだった。もしも、もしかしたらそういった未来もあったのだろうか?

いや、それは考えても詮無きこと。


「アエ、これからどうする? どうしたらいい?」


アダンは過去の出来事より、未来の行動に注目することにした。


「そう、だね」


アエもアダンに倣う。いつまでも立ち止まるわけにもいかないのだ。


「それじゃあ、まずは状況を整理しようか」




場所は打って変わって―――紅華の王城。その奥深く、国の重鎮しか立ち入ることができない部屋。

部屋の中では長い机を挟み、幾人かが眉間にシワを寄せ、ある議題について話し合っていた。


「ヘリック少尉の報告によれば、その混血の少女は確かに無縫を継承していたそうです」


あれから数日が過ぎた。

ヘリックは事の顛末を国に報告した。ありのまま話したわけではない、蒼種であるゾーアと手を組んでいたことは伏せて、だ。


「ふんっ! だから見つからないわけだ。蒼種の奴らめ、いつ王族を誘拐したんだ」


少し腹の出た中年の男はそう言い、机を叩く。その衝撃か、灰皿が音を鳴らす。


「やはり、百年前の行方不明になった王族でしょうね。その方が蒼種に拉致されたと見るべきでしょう」


細い体格の男がそう言う。


「それで蒼種に攫われ、無縫の混血を産んだと。はた迷惑なことだ」

「口、悪いですよ。"一応"、ヘンリクス王の御前なんですから」


今代の王―――ヘンリクス王は同席し、今なお沈黙する。

臣下たちはヘンリクス王に忠誠を誓ってなどいない。無縫の継承者ではない、それだけの理由でだ。


「まあ原因はともあれ、蒼種は国の宝である無縫を簒奪し、こちらに不利益をもたらした」

「戦争のきっかけとしては十分だな。蒼種との貿易も止まるらしいし」

「正直避けたいですね、戦争なんてお互い消耗し合うだけ―――ですけど」


男は席を立ち、窓際に立つ。見つめるのはその先、王城の外では民衆が群をなしている。


「こうして民にまで波及しては、我々も世論になびくしか無い」


民衆は戦争に乗り気のようだ。元々、蒼種と紅華の関係は悪い。

選民思想蒼種と、世界の警察紅華。軋轢は多い。


「それより―――無縫の混血はどうする?」


話題が転換した。


「もちろん殺します」


それは満場一致の意見だった。みなの目的は、権威の回復だからだ。


「今の我々には無縫の加護が必要です。それに―――」

「捕縛しろ」


臣下の話を遮り、ヘンリクス王は口を開く。


「捕縛・・・ですか? 暗殺ではなく?」

「ああ、そうだ」


ヘンリクス王の近くに座っている男はため息をつく。


「なんの合理性もありませんね、それは。これ以上混乱を増やす道理はありません。無縫あっての我々ですから」

「お前たちには人の心がないのか? 混血も人だ。丁重に扱う。それが私の道理だ」


ヘンリクス王の眼光は鋭くなる。まるで見るものを射抜かんとするようだ。


「・・・またか」


離れたところにいる臣下が呆れるように言う。ヘンリクス王のこの言動はこのときだけではない。


「今回ばかりは邪魔をしないでいただきたい。混血は道具です。我々は慈善行為で奴隷解放宣言を出したのではありません。あれは蒼種と対抗するための措置で、不本意ながらのもの。もしもまだ戯言を言うのであれば―――おい」


男は側に立っていた側近に声をかける。

側近はそれを受けて部屋から出る。そして数分で戻ってきた。


ヘンリクス王は目を見開いた。

その側近が王族の子供を連れていたからだ。子供の首には容赦なく、刃物が突きつけられている。子供に動じた様子はない。だが、微かにその眼には恐怖が垣間見えた。


「人質―――ということか?」

「そうです。あなたには我々の傀儡になっていただきたい」


どうやら彼らには本当に人の心がないようだ、とヘンリクス王は思う。


「戦争の指揮も、混血の暗殺も。そしてこの国の行く末も我々が決めます」

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