第19話 万象の創造

辺りには火薬の匂いが微かに漂う。男が持つ銃口からは一筋の硝煙が立ち込めている。


アエは―――動けなかった。

アダンが死んだという状況を、理解したくないのだ。


男はそして、アエへと銃口を向ける。引き金は絞られ、死の予感を否応なく掻き立てる。


刹那―――その予感は打ち切られた。

銃を持つ男の手にめがけ、拳大こぶしだいほどの石が飛来する。

それは手の甲に鈍い音を立てて直撃すると、男は銃を落とした。


落とした銃に気を取られた男は、そちらのほうに視線を向ける。そのとき―――黒い影が一気に男まで接近した。恐ろしく俊敏。


―――ウィル?


アエはそれがウィルだということに気づいた。助かった、と思うと同時になぜこんな時間に? と疑問も湧いた。


元々今日、ウィルは紅華の王城へ帰還する予定であった。

帰還する兵士がいる一方、混血の監視のために幾人かの兵士を残すのが普通だ。だが今回は、ウィル以外の全員の兵士もその対象であった。ウィルは違和感を覚えた。

そしてその決定をしたのはヘリックだ。なにか企んでいるに違いないと踏んだウィルは兵士たちと口裏を合わせ、ここに残ることにした。

どうやらこの判断は正解だったようだ。こうしてアエの命を守ることができたのだから。


しかしアエは知る由もない。

それに今はもっと重要なことがある。アリスを連れてこの場を逃げなければならないのだ。

アエはすぐにアリスが眠っているであろう小屋まで向かう。扉まであと数歩のところでアリスが顔を出した。銃声で目覚めたのだろう。


「アリス! 逃げるよ!!!」


アエはアリスの腕を掴み、有無を言わせずに駆け出す。アリスは何が起こったのかまだ理解できていない。困惑し、足がもつれそうになる。そのとき―――


ふと振り返ったアリスは見た。

無残に転がるアダンの死体を。 

アエはアリスを引っ張るが、突然びくとも動かなくなる。アリスがその場で立ち尽くしているのだ。



ウィルはその隙だらけの男に飛びかかる。しかし、ウィルは本能的に右へ身体をずらし、突撃を中断した。

それはまさに第六感と言っても差し支えない。ウィルの脇腹に銃弾がかすれ、通過したのだ。


その男は巧妙だった。

銃を二丁持っていたのだ。

銃を落としたことに動揺したふりをして、近づいてきたウィルに対し、懐に隠していた銃で迎え撃とうとしたのだ。


―――戦い慣れているな


ウィルは相手の評価を改めた。相手は飛び道具を持つ。対してウィルは近接武器しか持っていない。無傷で乗り越えるのは難しい。


ウィルは地をえぐるほどの脚力で、男まで肉薄する。

飛び道具の弱点は距離を詰められることと、弾切れの二つだ。しかし、それは相手も織り込み済みなのだろう、近接用のナイフで対抗してくる。


激戦を繰り広げる中、ウィルは立ち止まるアリスとアエの姿が目に止まった。


「何してる! 早く逃げろ!!!」


アエもそうしたい。だが、アリスがてこでも動かないのだ。

やがてアリスの身体の周りから微かに紅い粒子が浮遊し始めた。その粒子間からは赤い稲妻が走り、弾ける音が鳴り響く。

それは無縫の加護の顕現の合図。


「ふっ、当たりだな」


ウィルと拮抗する男はアリスを見てそうつぶやいた。


「―――! どういうことだ!」


ウィルは問い詰めるように、男の顔の覆いを剥ぎ取った。そこには―――


「―――、!?」


アエとウィルは驚愕した。その男の顔が知ったものだったからだ。

それはアエの家族を殺した男。


思い返せばあのとき―――

アエが男の顔を初めて見たとき、不気味な笑みを浮かべていた。家族の死体を見つめながら。まるで殺戮を楽しむかのように。

そして今も―――気味悪く、口角を上げ、笑っている。


アエは掴む手をアリスからふと離してしまう。それほどの衝撃。


―――そのとき、世界から音が消えた。何も聞こえない。空の、大地の、命の音が。一切合切が途端に―――消えた。


あまりのことにアエとウィル、そしてアエの両親の仇もそこに釘付けになるかのように、静止した。


聞こえるのは自分の鼓動と、血流、そして臓器の活動音だけ。

気色の悪い感覚だった。脈拍も、血流の状況も、どこの臓器がどれだけうごめいているのかも、全てがわかってしまうほどの無音。

自分の体から発せられる音に、その場にいる皆、思わず恐怖した。ただ一人―――アリスだけを除いて。


周りには、深紅の膜がゆらゆらと、うねるようにうごめいている。

触れてくることはない。それは三人の体をすり抜け、自由に徘徊する。


その中でアリスはただ一人だけ、ものともせず歩いていた。アリスの周りだけ明らかにその濃度が高い。赤を通り越し、どす黒い何かに変わっている。ちょうどアリスとアダンのような毛色。黄昏時の夕日を浴び、一瞬赤みが見えるその色。


「(何だ―――、何が起きてるんだ―――? 、これは、おかしい)」


アエは事態を分析しようと図る。


「(無縫の加護はここまで色濃くなることは―――、確認されていない―――。それにこれは音が無くなっているんじゃない―――。相反する音を作って―――本来の音をかき消してる―――?)」


無縫の加護の記録と、目の前の現象はあまりにもかけ離れている。無縫の加護は形あるものにしか作用しない。だが、これは―――


「(もしそうなら―――もう万物の模倣じゃない―――。創造だ――――――)」


アリスはやがてアエの両親を殺した男、もといアダンを殺した男のところまでたどり着く。

アリスの目は充血している。目の周りには数本の血管が浮き上がり、見開かれた目は威圧感を与える。


アリスは男の銃を持つ腕にとん、と軽く触れた。すると、ズルリと骨を残しながら腕の肉がただれ落ちた。


男の悲鳴は聞こえない。悶え苦しんでいる姿は確認できる。だが、この無音の世界では音が波紋することは許されていない、無縫の名において。


そしてアリスは深紅の膜を帯のように引き寄せる。それは自在に変形し、男の周りを囲い、完全に閉じ込めた。


中は―――、一応記しておこう。

そこは光のない世界。そして分解を促す世界だ。視覚は閉じられる。物質という物質は徐々に、徐々に分解を始める。酸素も、肉も、魂も。


ウィルとアエはもう、人知を超えたそれに惑わされるばかりで、傍観するよりほかなかった。


囲いを作り終えたアリスは、次にアダンのもとへと向かった。

アリスはアダンの両頬に自らの両手をあて、目をつぶる。

その周りに、奇妙な現象が起こり始めた。

砂が地面に降り積もる。落ちていた木の葉が枝に昇る。足跡が平らな地面になったのだ。


「(時間が―――逆行している、、、―――)」


アリスが行おうとしていることにアエは気づく。

失った命の遡行。


「―――、ッッ!」


―――だが、それも終わりを告げる。

アリスは思わず口を抑えた。口からだらりと血反吐が流れ、血の塊のようなものまで出てくる。片目は潰れてしまったのだろうか、視界が狭い。

遅れて、体中が針で一斉に刺されたかのような痛みが走り抜ける。


アリスはアダンにもたれるようにその場に倒れ、それをきっかけに世界から音が戻った。深紅の霧も何処ともなく消え去る。

そして男の囲いも解け、中から皮膚がただれた男が登場する。その手には銃がある。銃口はウィルに向けられていた。


―――間に合う―――! 


ウィルはそう思い、体を屈めて回避しようとするが―――

あらぬ方向から銃声が聞こえた。それが鼓膜を震わせたときにはもう遅い。

足に激痛が走る。太ももを貫かれた。

ウィルは撃ってきた場所を見る。

そこには銃をこちらに構えたヘリックが。男が落とした銃を拾って、使っているのだろう。


ウィルはもう動けない。

アダンのほうを見た。そしてその後ろの小屋の壁。"それ"を見てウィルは―――笑みを浮かべた。


「―――逃げろ」


そう言い残し、ウィルは目の前の男によって銃殺された。

二発。

一つはみぞおち、二つは右目を貫き、脳髄を駆けた。


ウィルは崩れるように倒れた。どくどくと血が溢れている。


一夜にして、そこは血に染まる地獄へ。

全て―――この男が現れて数分の出来事だった。

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