第16話 アエの過去
アダンは一日中浮かない顔していた。ウィルからちょっかいを掛けられても全く反応せず、まるで周りが見えていないかのようだった。そして常に口に手を当て、なにやら思考している。十中八九、アリスのことだろう。
アリスの死。
これを回避する方法をアダンの少ないなりの知識で必死に考えた。が、打開策を見出すことは
それよりも自分がこの世界のことをあまりにも知らないことが如実に現れるだけだった。
もうすぐ日が暮れる。
兵士たちは馬にまたがり、ここを去ろうとするのが窓から見える。抑制薬が切れたんだろう、とアダンは思った。
アダンは知る由もないが、その兵士たちは紅華の王城へと向かう。そしてその日の混血の様子を報告し、仕事を終える。
「もう行ったぞ」
アダンはベッドの上に横たわるアエにそう声を掛ける。
アエはアダンが去ったあと、突然倒れたのだった。
―――"医者ではないから正確なことは言えないが、原因は睡眠不足もしくは過労だろう"
と、ヘリックは判断した。そしてアエが動けない間の看病などはアダンとアリスが受け持つことに。
異族の忌避がない混血にしかできないことだからだ。
「そんなに根を詰めてやってたわけじゃないのにな~、あはは。ごめんね迷惑かけて」
「いや、気にしなくていい。それよりも話してくれ、アエがここにいる理由を」
「ん? ・・・ああ、そういえばそうだったね」
アダンは訝しむ。まるでそのことを言われるまで忘れているかのようだったからだ。
その視線を察してかアエは弁明する。
「ごめん、もしかしたら記憶が曖昧なのかも知れない。確か―――無縫の加護とアリスの寿命については話したよね?」
「あとはアリスが紅華に殺されるというのもな」
その言葉は重い。
「・・・それじゃあ話そうか」
アダンはいま疑心の渦の中にいる。アエはそれをなんとかしてあげたかった。自分は味方だと知らせたかった。これは最初から話すべきだったが、ヘリックの監視もあって、中々切り出すことができなかった。
しかし、最近のヘリックは何処か甘い。なにか心変わりがあったのか。
「蒼種である僕が、なんで紅華にいるのかを」
二人は高名な科学者だった。蒼種国の発展に大きく寄与し、国の重要人物に名を連ねていた。
やがてその二人は結婚した。政略的ではあったが、二人は幸せだった。そして二つの命を授かった。
アエとアピス。双子の、男女の子供。
しかし、成長するにつれて分かったことがあった。アエの心が中性だということに。
男でもなく、女でもない。
アエの両親は珍しい性質だと思ったがあまり気にしなかった。子供のありのままをただ肯定した。
アエとアピスは大きな不運もなく、すくすくと育った。
二人が喋れるようになった頃の、そんなある日。家族四人で出掛けていた。
その日は珍しく混血奴隷を輸送する馬車が走っていた。
両親は急に立ち止まり、その馬車をただじっと見つめていた。
アエはなんだろうと思い、見上げた。
―――"お父さん、お母さん?"
しかし、まだ大人の腰にも満たない背丈では両親の顔を覗き見ることは叶わない。
そのとき、馬車の積み荷から一人の混血奴隷が転げ落ちた。御者はそれに気づいていないのかそのまま馬車を走らせ、消え去った
地面にうずくまる混血奴隷。そこにただ一人残されたのだった。
その混血の手枷は外されていた。自分の歯が欠けるのを厭わず、手枷を破壊したのだ。歯は何本も欠けており、不揃いな歯が見える。
そしてその場には今、その混血奴隷以外に、アエとその家族、四人しか居ない。
両親はアエとアピスの肩を強く掴んだ。
両親の眼には蒼い色が放たれている。早くその場を離れることが得策ではあるが、離れず、近づきもせず、この場にとどまることを選んだ。
だが、アエはその手を振り解き、混血のところまで駆け寄った。
そして混血の手を握り、立ち上がるよう促した。
―――逃げて、と。
アエの行動に混血は驚いた。そして遠くにいるアピスと両親を一瞥し―――
遅々として起き上がり、そのまま患部を押さえながら走り去っていった。
父親はそれを確認し、アエの手を強引に握った。来た道を足早に戻り、家の扉を強く開いた。そして――――――
アエを抱きしめた。
「ありがとう・・・。私にはできないことだ。本当にありがとう・・・」
父親は震える声でそう言った。遅れて着いた母親も同じような言葉をアエに掛けた。
その日、アエとアプスは両親からある話を聞いた。
"命に色はない"。
両親は異族の忌避を理由に、混血を命を弄ぶことは許されない所業だと話した。命というのは常に平等で、優劣はない、と。
両親はあの混血奴隷を助けたかった。しかし異族の忌避の影響で動けず、ただじっと見ることしかできなかった。
だが、アエは違った。混血に駆け寄ったのだ。両親にできなかったことをいとも簡単に。
親から子へ。両親の思いはアエとアプスにも受け継がれた。
平等な世界を作る。
それはアエにとって人生の命題でもあり、両親に植え付けられた洗脳の結果でもある。
ある日。
アエはあの混血と再会した。―――その死体と。
柱に磔にされ、見世物にされていた。脱走したものへの罰だと。周りはそう言っている。
混血の身体には何本も杭を刺されていた。悶え、身動ぎ、抵抗したのだろう。杭の何本かは抜けかけており、そこからは夥しい量の出血がある。
アエの世界に初めての衝撃が訪れたのはこのとき。
アエはきっと両親のような科学者になり、世界を平等なものにすると心に決めた。
両親はアエを対象とした研究を始めた。なぜあのとき、アエは異族の忌避の影響を受けずに混血に近づくことができたのかを知るためだ。
両親は性別が不安定になると、異族の忌避の効果が薄れることを発見した。
しかし、アエの心は中性だが身体は女性だ。成長するたびに異族の忌避の効果が顕著に現れるのは明らかだった。
そこで両親は決断した。
それはアエを実験体として使い、異族の忌避を抑制する薬を生成すること。
体と心の性が同一の人間に、性の不安定を行うのは難しい。だからまずアエで
アエはこれ以上無い
アエは同意した。が、アプスは反対だった。
結局アエはアプスの制止を聞かず、実験の日々を過ごした。
男性ホルモンの投与は苦しく、アエは何度も苦痛に悶えた。アプスはもうやめようと言うが聞き入れることは無かった。
そうして数年が経ち、アエは投与なしで異族の忌避の抑制できるようになった。
アエと両親は喜んだ。アプスはもうアエが苦しまなくていいと安堵した。
これから抑制剤を一般人にも投与できるようにしようと思った矢先―――
三人は殺された。
その夜は目も開けられないほど風が強かった。
家に着き、扉を開けると一人の男が銃を片手に、ただ―――ひっそりと笑っていた。
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