第15話 漆黒の思惑
アダンは勢いよく椅子から立ち上がった。
その衝撃で椅子は後ろへガタッと倒れる。
「十九歳で死ぬ・・・だと?」
「どの代の継承者も必ず十九歳で崩御されている。まるで神が加護の独占を取り締まるかのように」
「そんな見たこともない神の話はどうでもいい! 十九歳・・・・・・アリスは今何歳だ? アエ」
アダンは普段の様相からは考えられないほど取り乱している。
この場でアリスの正確な年齢も、誕生した日付を知っている者はいない。アダンも、そしてアリス本人でさえも。
それはなにもおかしいことではない。混血奴隷は自分が何処でいつ誰から生まれたかなど、誰ひとり知らないのである。
「アリスの年齢は多分十一もしくは十二くらいだと思う。生きていられるのはあと七、八年・・・くらいだ」
「――――――。」
アエは普段の身体検査などから、そう目算した。
目を見開くアリス。その顔からは驚きが見て取れた。
「納得できないのは分かる。いきなりあと七、八年で死ぬと言われてもそんな理不尽、誰だって許容できない」
「いいや、アエにはわからない」
アダンの口から、思いがけずそんな言葉が出た。
「アエ、お前は一体何なんだ? 異族の忌避をこの世からなくして、平等な世界を作るんだろう? だけど今のアエがやっていることは俺たちを殺すことに他ならない」
アダンはこれまでの思いをアエに吐露した。
アダンから見れば、アエの立ち位置は不明瞭だからだ。
混血の末路はヘリックから聞いた。
混血から純血を活かすための薬を生成できれば、その時点で二人の存在は無価値に成り下がり、処分がくだされる。
それは今日かも知れないし、明日かもしれない。
―――"まずは異族の忌避をこの世から消し去る"。
アエの言葉から嘘の気配を感じなかった。しかし、実際のところはどうだろう?
アエはアダンとアリスを研究し、紅華の思惑に加担しようとしているようにも思える。
「違う、君たちを貶めるつまりは毛頭ない。それに―――僕も紅華の駒だ」
アエはアダンに微笑みかけた。
そのとき、アダンはアリスに裾を引っ張られていたことに気づいた。
ふと我に返る。
―――今ここでアエを糾弾しても仕方がない。それにアエは今も悪意ある嘘を付いていない。
アダンは倒れた椅子をもとに戻し、再び座る。そして悪かったと口にした。
それを見て、アエは話を本題に戻す。
「確かにアリスはあと数年で死ぬ。これは避けられない。でももっと確実な死がすぐそこまで迫っている。それは紅華そのものだ」
アダンは考えた。無縫の加護は代々継承されたもので、それを権威に継承者は王として君臨し続けていた。しかし、それが今の紅華にないのだとしたらどうだろう?
その権威は失墜し、王族は信用を失う。そして―――
「紅華は瓦解する・・・か」
アダンは推測を口にする。
「今は無縫を継承できていないことを隠蔽している―――けど、時間の問題だよ。すでに他国も、無縫を継承していないのではって思ってる」
アエはアダンの予想にそう答えた。
他国に露見すること。それは紅華の望むところではないだろう。
ついに紅華は神に見放されたのだ、と他国に付け入らせるのは国害に他ならない。だから紅華はなんとか無縫を取り戻さなくてはいけない。
アダンの思考は止まらない。そこから先にあるものが見えてきたからだ。
もしそんなときにアリスの存在が明るみに出たらどうなるだろう?
王族の血を引いた混血。紅華からすればそれすなわち―――
「無縫の加護の
アエは瞼を下ろす。肯定を示しているのだろう。
一瞬、アリスは無縫の継承者として紅華に丁重に扱われる、そんな希望的観測を抱いた。しかし、この世界は混血に到底の慈悲もない。殺される他無いのだ。
アリスは死ぬ。十九歳で。無縫の呪いによって。
アリスは殺される。紅華の権威のために。
―――"誰だって死ぬ"。
それは深く身に染みた観念だ。
アダンはあるものはある、とすぐに納得する。どんなものにおいても。
たとえそれがどんなに信じがたいことでも、生き残るためにはそれを正しく認識し、対処しなくてはいけない。これこそがアダンが人生の中で会得した処世術だった。
だが―――アリスの死は、到底受け入れられない。
アダンのその姿は努めて冷静を装っているように見える。だが、膝の上で作っている握り拳からは血が滲み出ている。
アダンからはまるでこの世の理不尽を燃やし尽くす、
アリスはそれに気づいたのか、アダンの手を優しく握る。アダンを安心させるように。
アリスは不条理な悲劇の渦中にいるというのに。
「アダン、アリス。このことは誰にも言ってはいけない。特にヘリックだ。彼は混血に家族を殺されている。だから君たちのこともよく思っていない」
もしアリスが無縫を継承していると知ればヘリックがどう動くか、それは全く予想がつかない事態になる。
「色々思うことがあると思う。整理の付かないことばかりだけど、まずは今日を乗り越えよう。そうして明日を迎えるんだ」
窓の外を見ると、紅華の兵士が馬でやって来るのが分かる。
話はここまでだろう。
アダンは不服そうな面持ちで出口まで向かう。自分の中で処理しきれていないことが多い。
扉の前でアダンは立ち止まった。
「アエが何故紅華にいるのか、あとで全部話してくれ」
そう言い残し、アダンはその場を去った。
アエがどういう動機で、どういう哲学で、ここに居るのか。
アダンはそれを知る必要がある。
アリスはアダンの背中を心配そうに見つめている。
「アダンはすごいね。自分の死よりなにより、アリスのことを優先している。尊い愛情だと思う」
アエは残ったアリスにそう言う。
「アリス、もう一つ気になることがある」
アリスはなんだろう? と、アエの方へ向き直る。
「君たちは―――」
それを言おうとしたとき、アエの視界は黒と白の明滅を繰り返した。
気づいたときには床に倒れていた。意識が朦朧としている。
微む視界には、
それを見つめ――――――アエは深い眠りについた。
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