第14話 無縫の加護

男はその見慣れた光景をただ眺めていた。

それは自分よりも大きな岩を束になって運んでいる。

休みのない労働を繰り返していく内、やがて動かないものが現れる。

そのときには鞭を打ち、再び起動させる。

それを繰り返していくと、次第にそれの反応が鈍くなってやがて地に伏せる。そして何も言わなくなるのだ。

そうなってしまったものはもう使えない。だからゴミの山へと放り込む。


その山はちょうど男の身長を上回っていた。

ここ何日分のゴミが放置されていたからなのか、周囲には筆舌に尽くしがたい異臭が漂っている。


「おい、最後に焼却したのはいつだ」


男は近くにいた者に声をかける。相手の髪は男と同じ蒼色だ。


「ああ、これですか。多分三から四日くらい前ですかね」

「臭くてかなわん、それに感染病の危険性もある。今日中に全て燃やせ」


ええ、この量をですか~! と声を上げるが、男は気にせずにその場を去った。


男は近くにあった木箱に座り、顎に手を当てた。

"あれ"を見たときからずっと考えている。


紅華がこのバベルの地に侵入してきたときから―――ずっと。



男はそのとき、小屋の中で備品の確認をしていた。備品の数やその状態の確認作業中、それは否応なく耳に入ってきた。


―――紅華が侵入してきた。


男の耳にはそれだけが聞こえた。

男は好奇に駆られ、外へと向かおうとするが―――


小屋の裏手から何やら声が聞こえてきた。

男は立ち止まり、小屋の壁の僅かな隙間を利用して声の正体を覗き見ようとする。

声の正体は一人の男によるものだった。そしてその男は少女を抱えている。


それは―――まさにアダンがアリスを連れて脱走しようとしているところだった。

普通なら脱走を見つければ阻止する。

だが、男は"もったいない"と思った。


何故だか知らないが、今、紅華がこの地に侵入している。

過去に紅華がここに立ち入ったのは、これを含め二度だ。

一度目はずっと昔。

蒼種がバベルの塔の再建を表明し、塔がまだ普通の家と同じくらいの高さだった頃。

紅華はバベルの塔の建設反対のためにここに立ち入り、抗議した。そのときは武装しておらず、あくまで対話による接触を図ってきた。


だが今回は様相が違う。武装しているのだ。


―――今まで口だけで反対していたが・・・ついに実力行使に及ぶつもりか? いやそれにしては数が少ない・・・


男は小屋の中からその様子を眺めていた。

紅華は勝手知ったるように堂々と歩を進めている。まるで蒼種のことなど見えていないかのようだ。

一触即発の事態。戦争のきっかけはここかも知れない。

蒼種はみな、それが頭によぎったのか混乱している。


紅華の意図はわからない。しかしこれは、奴隷にとって脱走する唯一の好機。


男は単純に興味があった。

この混血が脱走したらどうなるか。

それにこの奴隷のことをなぜか知っている気がする。

記憶は定かではない。だが―――衝動的に捕えるべきではないと思った。


男は静観することにした。

干渉はしない。

小屋の隙間から、ただ傍観していた。


アダンの戦いを、そして―――アリスの"それ"も。


アリスの手から放たれる紅い粒子。

男の記憶するところによれば、それは無縫の加護に相違ない。


無縫の加護。

かつて戦事いくさごとに直接関与することがなかった紅華の王が、長き百年の戦争に終止符を打つために用いたことで有名だ。

たった一人で百年にも及ぶ戦争を終わらせ、一瞬の内に幾万もの命を葬り去った。


―――混血が無縫を!? それはつまり、あの混血の血縁には・・・


男は自分の中に異常な熱が籠もるのを確かに感じた。


「これから楽しくなるな―――」


男は静かに、口角を上げる。そして、食料と最小限の荷物を馬に乗せ、バベルの地をあとにしたのだった。




アダンとアエが、アリスの無縫の加護を目の当たりにしてから数刻。


アエはアリスのそれにおおよその予想がついていたからすぐに把握できた。

だが、アダンにとってそれは突拍子もない事で、全てが理解の埒外らちがいなのだ。


「無縫の加護はこの世の全ての物を模倣できる」


アエはそんなアダンを察してか、アリスが見せたそれについて説明する。


「全ての物・・・だと?」

「この世の全てと言っても、形無いものは模倣できない。それは例えば魂とか。無縫の加護は人の体は模倣できる。でも魂までは模倣できない。生み出すことができるのは肉の塊だけさ」


まあ本当のところは、全ての物を模倣したっていう正確な記録はないんだけどね、とアエは付け加えた。

だがアリスが目の前でやってみせたのだから、物体を模倣できる、というのは本当なのだろう。


「そして無縫の加護は代々紅華の王族へと継承される。無縫の加護の歴史は長い。それこそ人類の誕生から続いている、と歴史学者の間ではまことしやかに囁かれている。そして無縫の加護の継承者は授かった加護のもと、人々を導く王となる」


そこでアダンはピンときた。

たまに聞く紅華の王というのは無縫の加護を受け継いだ者のことを言うのかと。


「しかし、今の紅華の王は無縫の加護を継承していない。いや正確に言うと、継承できなかった」


アエはアリスに視線を向ける。


「まさか―――アリスがそれを継承したから・・・なのか?」

「うん、無縫の加護はこの世で唯一無二のものだ。だから同時期に二つ存在することは決してない。無縫の加護は継承者の死を以て、次の子孫へと受け継がれる。そういう仕組みになっている。そしてこの連鎖こそ―――」

「王族の血を引くものにしかできない、か」


そうだ、とアエは首肯する。アダンもだんだんと理解してきている。

王家の血と、無縫の加護を行使するときに発せられる紅い粒子。

この二つを材料に、アリスが無縫の加護を継承していると断定するのは実に容易いだろう。


「ある代の王は言ったそうだ。"無縫の加護は神からの祝福であり、天啓でもある。我々はこの神より賜った恩恵を私利私欲に使うことはしない。選ばれし者の使命として、世界の公安に努めてみせよう"、と」


選ばれし者。

その通りだろう。

人類には何十億もの命がある。そしてその中でたった一人だけ、特異な性質を宿すのだから。


「確かに神からの祝福、ではある。だけど―――」


アエはアダンとアリスを交互に見つめる。


「無縫の継承者は十九歳を迎えると――――――まるでそうなることがはじめから決定していたかのように、心臓の鼓動をめるんだ」

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