第8話 五本勝負③
アダンは、ウィルが自分の成長を促しているということをなんとなく察していた。
それは四本目においてもだった。
ウィルはアダンに工夫の余地を与えるように立ち回り、どう動くかを見ていた。
だが、アダンにとってはどうでもいい。
ウィルから一本を取ること。ただそれだけに専念していた。
いい加減、負けてばかりもうんざりなのだ。
「4-0だ。この調子じゃ、俺には届きそうにないな」
ウィルは二本目のタバコを咥える。
「随分余裕そうだな」
「実際余裕だからな。まだまだ俺には届かない。正直面白みがねえんだよなぁ・・・そうだ―――」
そこでウィルはなにやら良いことを思いついたという顔をする。
「こうしてみないか? お前がオレから一本も取れなかったら、アリスを殺すっていうのは。お前嘘が分かるんだろ? これは―――どうなんだろうな?」
ウィルは不敵な笑みをアダンに向ける。
しかし、アダンはあまり驚かない。
なぜなら命は
バベルの地を脱走するときの蒼種の監視員、ヘリック。そしてウィル。
アダンは色々な経験から、自然の摂理を改めて理解していた。
初めはなんとなくの感覚だった。だが、今は言語化してちゃんと言える。
"強き者が生殺を決めることができると"。
生き残るためには強者になるしかない。
弱者を食い物にして生きていく。
それがもっとも自然で、合理的な摂理なのだろう。
アダンはここで強くならなければならない。
アダンはウィルの
ただ硬貨を上空に投げて試合開始の合図を送るだけ。
「(本当にくだらない―――)」
アダンは―――この世界の
硬貨がチリンと音を立てて地面へと落下した。
意外―――
仕掛けてきたのはウィルだった。
今までアダンからの初撃を待っていたウィルだったが、アダンの顔つきが変わったことが起因したのか。
ウィルは最速でアダンのみぞおちを狙う。
だが、読み切ったアダンの回避も早い。アダンはウィルの真横に立つ。
がら空きになったウィルの側頭部へと木刀を大きく振るう。
「(はっ、成長してねえ)」
アダンには悪癖がある。
こちらが隙を見せると、アダンはそれ以上の隙を作るのだ。
懐に忍ばせていたナイフをアダンの腹へと投げつけたのだ。
物を投げつけ注意をそらす。
これは三本目の勝負でアダンがウィルに対して行った戦術だった。
それにアダンはどう対処するのか、ウィルはそれを見たくなったのだ。
まあ理想を言えば、それを反省にして自分の悪癖に気づくきっかけを与えたかったのだが・・・
この思惑は
アダンはナイフには一切反応を示さない。ナイフは腹に抵抗なく、深く刺さる。
アダンはウィルに一太刀浴びせにかかる。
ウィルは咄嗟に地面を蹴りつけ、大きく後退した。
さすがのウィルでも距離を置きたかった。
だが、間髪入れずアダンは接近してくる。
「(こいつ―――痛覚がないのか!?)」
その驚きはもちろんだ。
アダンから痛がる素振りも、動きが鈍ることもない。
まさに狂人。
幾重にも重なる斬撃を避けながら、ウィルはアダンの腹に刺さるナイフを執拗に狙う。
ナイフを抉り出して、なんとか痛みによる
アダンはこれを正確に対処する。
ウィルがナイフに指一本触れることを全く許さない。
「逆にわかりやすいな」
アダンは冷静にそう評した。
やがて、ウィルは壁際へと追い込まれた。
ウィルは壁伝いに蹴り歩き、その場から脱出を図ろうとする。
そのためにもう一歩後退し、後ろへと一瞬視線を移すが、ザクリと足に痛みが走る。
「―――、!」
よもや、とウィルは思った。
アダンは腹に刺さっているナイフを抜き出し、そのままウィルの足へと投げ刺したのだ。
ウィルの動きは止まった。
アダンはここだとばかりに右手で木刀を振りかぶる。
ほらまただ、とウィルは呆れた。
アダンの悪癖は未だ健在だ。最後の最後でこれは本当にもったいない。
ウィルは嘆いた。
その余りある素質――――――
「(生かせないというのなら、もう死ね―――!)」
ウィルは背後の壁を思い切り蹴った。
その衝撃を推進力として、アダンに突撃する。
そして自分の足に刺さっているナイフを抜き取り、アダンの心臓めがけてナイフを突き立てる。
今の隙だらけのアダンにはこれを避ける余地はない。
ウィルはアダンの動きに違和感を抱いた。
なにかが軽い、と。
そして気づく。
アダンの右手には――――――木刀が握られていない。
振りかぶる動作によって、右手はアダンの背後に完璧に隠れていた。
だから、右手が見えるまで木刀がないことがわからなかったのだ。
ということは―――
隠れていた左手。
そこには確かに木刀があった。
木刀を逆手に持ち、柄をこちらに向けている。
ウィルはもう止まれない。
アダンは刀の柄をウィルの顎に向けて、下から殴る。
そしてそのまま上へ上へと押し上げ、壁に打ちつける。
ウィルは壁にすがりつきながら、ズルズルと崩れ落ちる。
「さあ、一本だ」
「へっ、や、るじゃねえか・・・」
ウィルはなんとか意識を保っていた。
「正直・・・見くびってたぜ。最後にあんなハッタリかまされるなんてな。お前、自分の隙の大きさにはいつ気づいたんだ?」
「本当に直前だった。もし気づかなったら俺は死んでいただろうな」
アダンはウィルが手に持っているナイフに目を見やる。
「お前。最後、俺を本気で殺そうとしていたな?」
「ああ、そうだ。・・・オレを殺すか?」
「いや、しない。結局お前はこうして俺を成長させてくれた。それには素直に感謝してるよ」
アダンは倒れているウィルに手をのばす。
「それはどういたしまして」
ウィルはアダンの手を取り、思った。
確かにこの世界には強者と弱者が存在する。
しかし目の前の男は、その範疇で本当に推し量ることができるのだろうか?
否―――
この男はその二つ、どちらにも属さない。
もはやこれは狂人の域だ。
人としての根源が破綻している不良品。
それがアダンだと、ウィルは認識した。
そのとき―――ウィルの体に何かが
アダンとウィルにとって、五本勝負は短かった。
しかし、それは体感の話。
実際は一時間半以上は経過している。
ウィルが抑制薬を打ったのは、確か二時間半以上も前のこと。
そして、抑制薬の効果時間は四時間。
つまり今、その効果が切れる頃合いだ。
「アダン―――避けろ」
「―――は?」
ウィルはアダンを手繰り寄せ、いきなりナイフで斬りかかった。
アダンは寸でのところで避けるが、頬に一筋の朱い線が浮かぶ。
「なんの―――!」
つもりだ、と言うが早く、気づく。
ウィルの目は赤く紅く、強い色を放っている。
異族の忌避。
それが発現する時、瞳はその種族の色を強く放つ。
誰もが知っている常識だった。
「はっ、ここに来てこれか・・・」
ウィルはそれを必死に抑えているのか、声が震えているようだった。
「アダン、オレはお前の強さを認める。お前を殺させはしない。オレが保障する」
ウィルは持っていたナイフを逆手に持ち直す。
「いいか・・・・・・抑制薬がない以上、異族の忌避を抑えるにはこうするしかない。すぐにアエを呼べよ」
そう笑い、ウィルは自分の腹にナイフを突き立てるのだった。
鮮血が舞い散る。
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