38話

「え、なんで……」

 フィオネさんは笑うと、魔王へと目を向けた。

「どうも」

「なんだてめェ……」

 魔王は不機嫌そうにフィオネさんを睨む。

 ピリピリとした空気が辺りを包んだ。まだ地面に座ったままの自分に気がついて、俺は剣を支えに立ち上がる。

「マスターさん!」

 アサツキさんが俺のもとへと駆け寄ってきて、声をかけてくれる。

 大丈夫だと返事をしつつ、俺は改めて剣を構えた。

 油断したら、またああなる。次助かるかは分からない。

 そう思えば自ずと、剣を持つ手に力がこもる。

「ただモンじゃねェなお前」

 魔王は言うと、フィオネさんの方に左手を突き出した。

 途端に魔王の目の前に、彼の身長ほどある魔法陣が浮かび上がる。黒いもやのようなものが魔法陣から吐き出されると、それが一点に収束する。

「《イリミネイトシャドウ》……!」

 彼がそう口にした途端に、魔法陣から黒い光線が放たれた。衝撃波がこちらまで伝わってくるような勢いで、フィオネさんに向かってそれが突き進んでいく。

 さっきフィオネさんが放っていたものとよく似ている。確か、フィオネさんはイリミネイトライトと口にしていたから、それと同系統の魔法なのだろうか。

「《イリミネイトライト》」

 フィオネさんは特に構えたりもせず、自然体のまま魔法の名を口にする。

 彼女の眼前に現れた魔法陣から、さっき見たものと同じ光線が放たれた。魔王が放ったものとは対象的に、フィオネさんが放った光線は白く光り輝いている。

 真正面から、魔法同士がぶつかった。

「やばっ……」

 衝撃で巻起こった爆風が俺を吹き飛ばす勢いで吹き付ける。空間を抉りながら拮抗する二つの魔法から目が離せない。

 思わず、声が漏れた。

 今まで魔法を見たのは、リオと出会った時と、それとダンジョンでソラさんがダンジョン内を照らすために使ったときくらいだ。なんだかんだ、こういう攻撃的な魔法は見たことがなかった。

「いやあ、強いね」

 フィオネさんは存外余裕そうにそう言うと、魔王はチッと舌を鳴らして答える。

「名を名乗れ」

「ギルドマスターのフィオネ。あなたは?」

「俺は魔王だ」

 同時に二人の魔法が途切れ、一瞬お互いが目線を交わしているように見えた。

 ……フィオネさん、強すぎないか? 魔王と撃ち合って互角っぽく見えてるんだが……?

「《イリミネイトライト》」

「《イリミネイトシャドウ》ッッ!!」

 互いに放った魔法がまたぶつかり合って、辺りに爆風を散らしながら暴れだす。

 というか、なんでフィオネさんがここにいるんだろうか。魔法同士が激しく衝突するのを真正面から見つめつつ、思わず考えてしまっていた俺に。

『マスター、呆けてる場合じゃないわよ!』

 リオに言われて、俺ははっと気を取り直す。

 ほんとにその通りだ。まだ窮地を脱せたわけじゃない。

「っ……!」

 気合を入れ直すと、俺は剣を前方に倒して構える。

 今、魔王とフィオネさんが戦っている。魔王の注意は完全にフィオネさんに向いているはずだ。

 完全なチャンスでしかないこれを、逃すわけにはいかない。

『ギルドマスターがどれくらい強いのかは分からないけど、彼女も魔力は無限じゃない。早く行動を起こさないと危ないわ』

「行くしかないよな」

 呟く。

 が、脳裏に浮かぶ数十秒前の光景。目の前に迫る刃を思い出して、思わず足が止まってしまっていた。

 白百合が俺を守れないなんてこと今まで無かった。リオの刃が通用しないなんてことも一度もなかった。

『ごめんなさい、マスター。私が、守れなくて』

 白百合の声が頭の中に響く。

『私は……私は、全力で戦うことしか、できない』

 弱々しい声色でそんな風に話す白百合に、俺は言葉を返すことができない。こんなに自信なさげに話す白百合を見るのは初めてだった。

 どうすればいいんだ。

 逃げるか? どこへ? 今はフィオネさんが戦ってくれているからどうにかなってるけど、その後は?

 なら戦うか? けど、リオの攻撃が通る保証もなければ、白百合の防御が貫かれれば覚悟する暇なく死んでしまうだろう。

 もはや正解なんてあるのか? だが、このまま呆けてても問題は解決しない。

 俺が、選ばなければ。

「……マスターさん」

 ふと、声をかけられる。

 アサツキさんだった。隣を見ると、心配そうに眉を下げ、俺の様子を伺っているようだった。 

「私なら、一撃くらいなら入れられるかもしれないわ」

「……え?」

 思わず間抜けな声が漏れてしまう。

 一撃くらいなら入れられる、って。マジか? リオの攻撃は軽々と受け止められたのに……?

『……そうか。アサツキなら』

 リオもそう呟くと。

『やるべきだと思う。ごめんなさいマスター、何回も口を出してしまって』

「いや、それはいいんだけど。……マジで言ってるのか?」

『いい? 状況的に詳しくは説明できないけど、よく聞いて』

 そう言うと、リオは俺に説明口調で話し出す。

『魔王が持ってる黒百合には、代償があるの』

「代償……?」

『ええ。使えば使うほど、自らの身体を傷つけるのよ』

 自らの身体を傷つける。

 というと、自傷効果みたいな、そういうやつだろうか。

『それが対価となって、黒百合は力を発揮できる。つまり、何回も何回も黒百合を振るってるアイツは、魔王と言えどかなりのダメージを負っているはずなの』

 理屈は分かる。

 俺が頷くと、リオは話を続けた。

『それに、フィオネさんとも魔法で戦っているから魔力の消耗も激しいはず。魔王は今、攻めるか退くかの瀬戸際にいるはずよ』

 なんとなく、話が見えてきた。

 疲労困憊の魔王にアサツキさんで一撃を入れれば、魔王も撤退を余儀なくされるのではないかってことか。

 そうすれば、一旦は安寧が訪れる。

「攻撃こそ最大の防御ってことか」

『なんか違う気がするけど、まあ、そういうこと』

 俺は、アサツキさんへと目線を移す。

「すいません。自分でもやれるかわかんないですけど、現状それしかないんで」

 足も手も、震えているような気がした。

 けど、そんなのは無視して、俺は前だけを向く。逃げるにしろ戦うにしろ、前を向いていないと走れない。

「お願いします」

「ええ、任せて」

 俺が頼めば、アサツキさんは頷いて手を差し出す。

 言わずとも分かる。剣状態にしろってことだな。

 リオを腰に当てると、赤く綺麗な鞘が現れる。腰に下がったリオから手を話して、俺は強く、彼女の手を握った。

 見慣れた一瞬の閃光の後、俺の手には刀が握られていた。

『こうして、使われるのは初めてね』

「そういや、そうですね」

 ダンジョンで見つけてから、アサツキさんと戦闘をしたことはなかった。

 初戦闘の相手が魔王とか、結構厳しくないか?言ってても仕方のないことだけど。

『あんまり喋ってる暇はないわよ』

『そうね』

 リオに急かされて、アサツキさんは話し出す。

『私の能力は……まあ、説明するより使ったほうが早いかしら。ともかく、とりあえず私を腰に帯刀した状態にして』

 説明するより使ったほうが早い、か。どっかで見た流れだな完全に。

 俺は言われたとおり、抜刀しやすいように腰の左側へとアサツキさんを鞘に収めた。

『後は、詠唱を言いながら、目標を定めて抜刀するだけ』

「詠唱ですか」

『ええ。系統的には、リオと同じ感じかしらね』

 なるほどな。

 納得しつつもイメージは湧かないが、まあ、もうやってみるしかないだろう。

『準備ができ次第教えて。私が詠唱を言うから、それに続いて言って頂戴』

 俺は、魔王へと目を向ける。

 彼は未だに、フィオネさんと魔法を撃ち合っていた。その視線は俺には向いておらず、完全にフィオネさんを捉えている。

 ああ。チャンスだ。ここしかない。

「できました。お願いします」

『それじゃあ、剣をゆっくり抜きながら、私に続いて』

 剣に手を当てる。

 俺が鞘からゆっくりと刀身を引き出し始めると、アサツキさんも同時に詠唱を口にし始める。

『目覚めよ』

「目覚めよ……」

 言われたとおりに、俺は同じように喋る。

 と。

 剣が淡く光りだすと同時に、俺の体がつられて動き出した。前方へと緩く身体全体を倒し前傾姿勢を取ると、アサツキさんをゆっくりと鞘から引き抜いていく。

 不快な感じはしない。白百合のオート防御と同じ感覚だった。

 何もすることはないとわかっている。ただ、俺はそれに身を任せた。

『雷霆の精剣』

「雷霆の精剣……ッ!」

 直後、剣から光が発せられた。

 いや、違う。光なんかじゃない。

 雷霆……ということは、雷なのだろうか? 

 激しく迸る電撃が俺の身体に纏わりつくと、それが全てアサツキさんの刀身、刀に全て流れ込んでいく。

 そのまま、地面を思い切り、蹴った。

「――――なっ」

 それは、一瞬の出来事だった。

 精剣の力を得た俺の身体は、とてつもない速度で空間を駆けていく。

 周りの景色が流れていってしまって見えない。風を切る感覚が直に分かるほど。それほどまでに速い、まさに雷のような速度で、俺は魔王へと一瞬で接近した。

「…………なァッ!?」

 魔王が俺に気づくと、黒百合と呼ばれている影を纏ったそれを、焦ったように俺に向かって振り下ろす。

 それと同時に……いや、それよりも速く。

 俺は、アサツキさんを抜き去った。

「うおおおおおおおッッ!!!!」

 雷が、迫る。

 光のような速度で打ち出された質量が魔王の持つ剣とぶつかると、甲高い剣戟の声が響いて。

「ぐォッ……!!」

 その速度に押し負ける形で、魔王の剣が吹き飛ぶようにして弾かれる。

 それは、魔王が初めて晒した、明確な隙だった。

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