37話

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 流石に思考が追いつかない。

 目の前にいる男が、魔王?

『間違いない。あいつは、魔王』

『……なんで生きてるのかは知らないけどね』

 二人もそう認めてしまえば、俺が反論する余地なんて無い。

 だって……こんな嘘、みんなでつく必要ないだろ。それに、みんなの焦りようを見ればそれが事実なのだというのがはっきり分かってしまう。

 だとしても、意味が分からない……。

 だって、魔王は前のマスターが、命をかけて戦って倒したんだろ? それは間違いだったってことか?

「ていうかよォ」

 魔王と呼ばれた少年が、口を開く。

 黒い服の上から黒く薄手のコートのような服を身にまとった、俺よりは少し小さいであろう体躯。手に持っている黒い剣は所々に赤い装飾がなされていて、より剣の禍々しさを増している。

 切れ長の赤い目が俺をじろりと睨むと、その整った顔を歪ませて笑った。

「お前たち、生きてたんだなァ。この空間にてめェらが入ってきたときは驚いたもんだぜ」

 彼は何が面白いのか、笑いながら一人で話し始める。

「ついさっき、俺は目を覚ましたんだがよォ。自分が生きてただけならまだしも、てめェらもとかクソだりィぜ」

 何も、口を挟めない。

 どうすれば良いのかが全くわからない。目の前の魔王と呼ばれる存在に、どう切り込めばいいのかが想像できない。

 いや、もはやこれは、逃げたほうが……。

「んで、てめェがマスターってのもおもしれェよなァ」

 魔王が、俺を見て笑う。にやりと口の端を歪ませた彼は、手に持った剣で地面をコツコツと叩く。

「……何が言いたい」

 拳を握りしめて、アサツキさんが魔王を睨む。

 それを意に介さない様子の彼は、あえてそうしているのか、挑発的な口調で。

「死んだんだろ? あのクソ野郎はよォ!」

 楽しそうに、嬉しそうに、悪意を湛えた笑顔で彼は爆笑する。

 大広間に彼の笑い声がよく響いた。

「そんで、てめェらは早々に鞍替えってこった。流石だねェ」

「てめえ……!」

 その発言に、思わず俺も口を出してしまった。

 精剣達は、数百年もの間一人だったんだぞ? 早々に鞍替えって、そんな孤独を経験した人に言うセリフなのか……!?

 脳裏に浮かんだのは、出会ったばかりの白百合の姿。あれを見て、俺はその発言を許すことはできなかった。 

「あァ?」

 わざとらしく首を傾げる彼に、俺は溢れ出る感情を押さえつけた。深く呼吸をして、俺は思考を巡らせる。

 これから、どうするべきだ。アイツを倒すか? それとも逃げるか? 逃げるってどこへ? どうやって?

「言っとくがなァ、てめェなんざ殺そうと思えば――ッ!!」

 魔王の姿が揺らいだ。

 かと思えば、彼は地面を蹴ると数瞬で俺の眼前へと迫る。

「簡単に殺せんだよ!!」

 漆黒のオーラを纏った黒剣が、俺目掛けて振り下ろされた。

 一瞬で反応した白百合が、白銀の刀身でそれを受け止める。途端に、全身に深い衝撃が襲いかかってきた。

「がっ……!?」

「てめェが持ってるのがその精剣じゃ無けりゃあ、一瞬で消し炭なのによォ……!」

 至近距離で、剣と剣が交差する。

 ギリギリと剣同士が激しくぶつかり合う中で、明らかに押し負けている感覚があった。

『う……っ!』

 今までは、白百合の防御は絶対だった。

 なんだかんだ不安になりつつも、最後の所では白百合が守ってくれると思っていた。

 けど。

「ぐっ……おおおッッ!!」

 左手で持つ白百合で剣を受けつつも、俺は全力で右腕を振るう。

 業火を纏ったリオで前方を薙ぎ払うと、そこには火炎の軌跡が残った。

「その白い精剣、邪魔くせえなァ……前もそうだったがよォ」

 忌々しげに白百合を見て、魔王はそう吐き捨てる。

 前とは、即ち前のマスターと戦った時の話だろう。

「こっちの攻撃を全く通しやしねェ。その上、その炎の精剣は喰らったらまずいことになるわ、そこに突っ立ってるヤツもめんどくせえわ……」

 魔王の口調から、その苛立ちがはっきりと伝わってくる。

 だが、手元の黒い剣を眼前へと持ってくると、彼はにやりと口の端を吊り上げた。

「けどよォ。どうやらこいつは使えるみてェだな」

 魔王の目は、爛々と赤く輝いていた。

『まさか……!?』

 リオの声が頭に響いた。続いて、白百合の叫び声が響く。

『黒百合!!』

「黒百合……?」

 あの、剣のことなのか?

 俺の言葉に、魔王は不気味な笑みを浮かべたまま。

「てめェらはようやく気づいたようだがなァ」

「なんであなたが持って……黒百合を使えているの!?」

「……なあ、なんなんだあの剣」

 俺が問うと、その言葉にありったけの怒りを滲ませながら。

『精剣よ。黒百合っていう、超攻撃特化の』

「あれが、精剣……!?」

 リオの言葉に、俺は驚きを隠せない。

 あの禍々しい剣が精剣ってどういうことだ!? なんでアイツがそんなもの持っているのかも全くもって分からない。

 俺の疑問を知ってか知らずか、魔王は語りだす。

「あったんだよ、この城になァ。大方てめェらとは違ってどっかには行けなかったみてェだったから、俺が使ってやることにした」

「……私達と違って、黒百合は魔王城に残ったままだったのね」

「まァ、原理はどうあれ、俺にかかりゃあ精剣を無理やり従わせるくらい簡単なことだからなァ」

 言うと、魔王はまた剣を振り上げる。

 ギラリと黒い光が煌めいて、黒百合と呼ばれたその漆黒の剣はよりドス黒いオーラを増した。

「ふはッ……いいねェ」

『来るわよ、マスター!』

 リオが叫ぶ。

 俺が構えると同時に、魔王はゆらりと一瞬姿勢を崩した。

「ふハ――――ッ!!!」

 かと思えば、そのまま地面を踏み切って俺へと向かってくる。

 黒い斬撃が、その影を湛えたまま俺へと降りかかる、体が勝手に動いて、俺はその剣を真正面から受け止めた。

「ぐっ……!」

 全身が沈むようなとてつもない衝撃。白百合がなかったら俺なんか消し飛んでいたであろうそれを受けながら、魔王に向けてリオを振り下ろす。

 リオの刀身が激しく火花を散らす。辺りに熱波が広がり、灼熱を纏った精剣が魔王に迫る。

「はッ!」

 だが、魔王はそれを鼻で笑うと、黒百合を振るって真っ向から迎え撃ってくる。

 大広間に、衝撃音が重く響く。剣同士がぶつかっているだけなはずなのに、手に伝わってくる感覚はまるで砲弾を打ち込まれたかのようだった。

「くそっ!」

「黒百合が無けりゃァこの俺が負けることも無かった……他の精剣共の攻撃なんか、俺には通んねェんだからよォッ!!!」

 リオの攻撃が受け止められた。

 今まで、あらゆる敵を簡単に倒してきたリオの攻撃が。

「ぐっ……!!」

 これが、魔王。

 いや、黒百合と呼ばれていた精剣の力なのか?

 もはや、勝てる未来が見えなかった。

「楽しかったぜェクソ野郎……さっさと死にな」

 魔王は言うと同時に、より力を増して剣を押し込んだ。

 勢いよく振り抜かれた黒百合にリオが弾かれて、俺の体がよろけてしまう。

 その隙を逃さずに、魔王は一直線に俺の喉元目掛けて黒百合を振り下ろす。

「なっ」

 抵抗するすべもない。

『マスターっ!!』

 白百合が必死に受け止めようと宙を滑るが、それも間に合いそうになかった。

 光景が、スローに見える。

 リオの刀身で燃え盛る炎も。

 自身の身に迫る刃でさえも。

 視界内に映る全てが。

「じゃあな」

 はっきりと、魔王の声が聞こえる。

 ……俺は、死ぬのか?

「マスターさん!!」

 アサツキさんが叫ぶ。

 彼女の目は見開かれ、手は俺の方に伸ばされていた。髪が靡いて、着物がひらりと舞っている。

 首筋に剣が迫って、俺は――――







「《イリミネイトライト》」







――――誰かの声が聞こえる。

 突如、魔王が表情を変えた。

 焦ったようにその場から後方に飛び退くと、俺の目の前をとてつもない勢いで何かが通過する。

 光線のように見えたそれは地面を抉りながら突き進むと、城内の壁を破壊し大穴を開けて突き抜けていった。

「な、なにが……」

 助かった。

 今のが無ければ、確実に死んでいた。

「誰だァ、てめェ……!!」

 魔王の視線は俺から逸れ、別の方向を向いている。

 何があったんだ。さっきのあれは、一体何が……!?

 俺も、そちらへと目線を移せば。

「久しぶり、マサヒトくん」

 一人の人が立っていた。

 腰に手を当て、にこりと事も無げに微笑んでいる彼女は。

「フィオネ、さん……!?」

 見慣れた顔が、そこにあった。


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