36話
もう、この世界に来てから何度も通り抜けたであろう平原を、俺たちは馴れた足取りで歩いた。
街を抜ける時から、アサツキさんは久しぶりに外を見れたと感動していて、なんだか嬉しそうだ。そんな光景を見守りながら、俺たちは歩を進める。
柔らかい風と、温かい陽の光。大きく広がる平原に、風に吹かれてその体を倒す青草。
しばらく歩けば、その先に大きな建物が見えた。
それはまるで、中世やファンタジーなどで見たことのある城のようで。
「あれが魔王城ね」
リオの言葉に、やはりかと俺は頷く。
「ほんと、久々だわ。あれを見るの」
「……うん」
城は、この辺りの風景に似合わない黒で統一された外見。かなりの大きさがあり、そこそこ遠くから見ている俺ですら圧迫感を覚えてしまうほどだ。
だが、所々が崩れていたりするのが、この距離からでも見て取れる。年月の侵食によるものなのか、それとも激闘の末そうなったのかは分からないが。
「すごいな……」
あれが、白百合たちが命をかけて戦っていた場所。激闘の末相打ちになって、そして、先代のマスターが死んだ場所。
思うところがないわけがない。思えば、今まで前のマスターのことを聞いたりはしてなかったな。
「なあ……」
話しかけようと横を見て、俺は思わず口をつぐんでしまう。
「…………」
彼女達は黙って、魔王城を見つめていた。何も言わずに、ただ、神妙な面持ちで。
何を考えているのだろうか。自分たちが散り散りになり、前のマスターが死んでしまったその場所を見て、何を。
風が通り抜けていく。彼女達の髪が柔らかく揺れている。
俺は、黙って歩を進めた。
少しすれば、後ろから草を踏む音が聞こえてくる。
少し歩くと、魔王城の入り口辺りについた。
大きく口を開けた城の玄関の前に、鉄の防具を身にまとった人が二人立っている。その手には槍を一本ずつ持っていて、ここを警備しているのだろうというのがすぐに分かった。
「そこの冒険者」
呼び止められて、俺は立ち止まる。
「え、はい」
「すまんが、ここはCランク以上は立入禁止になっている。カードを見せてくれないか」
そういやそうだった。とすると、これは検問みたいなものだろうか。
カードっていうと、俺の冒険者ランクとかが諸々書いてあるあれだよな。
ポケットからそれを取り出す。ランクの部分はDからCに変わっていたので、安心してそれを提出。
「……ふむ。Cランクの冒険者であることを確認した。ご協力感謝する」
どうやら、大丈夫だったようだ。
何もやましいことをしていなくても、こういうのってドキドキしちゃうんだよな。ほっと胸をなでおろしつつ、俺たちは魔王城へと近づいていく。
すぐ目の前にある入口をくぐれば、もうそこは魔王城だ。
「なんか、緊張するな」
「そうね。でも、大丈夫よ」
リオは俺の方を見ると。
「魔物が出たりしたらすぐ、私達を剣にして」
「ああ、もちろん分かってるよ」
そう答えると、後ろに居たはずの白百合がいつの間にか俺の横に居て。
俺の手を、しっかりと握ってくる。
「私が、すぐ近くにいる」
「私もあまりマスターさんから離れないようにするわ」
アサツキさんもそう言ってくれて、なんだか俺が厳重に守られているみたいだ。
まあそれだけ、この場所を警戒しているんだろう。
「ごめんな、頼む」
俺は、白百合の手を握り返す。
そのまま、俺たちは城の中へと入った。
相変わらず暗く黒い内装だったが、窓や天井の隙間から陽の光が入ってきていて照らされている。真ん中に大きな通路が一つあって、右端と左端にも通路が一つずつ見える。
中心の道には大きく赤い絨毯がまっすぐと奥まで引かれていて、俺はそれを辿るように歩いた。
すごいな。ほんとにファンタジーの世界の光景を見ている。城になんて入ったことなかったぞ、俺。
思わずキョロキョロと見回してしまっている俺だったが。
「思い出すわね」
アサツキさんがそう言うと、彼女はどこか遠くを見ているように目線を移す。
「ここを歩いた時のこと」
「そうね」
ここを歩いた時……つまり、魔王と戦った時の、その前か。
この道を、赤く染められたカーペットの上を、数百年前に彼女たちは歩いていた。その事実に、なんだか不思議な気持ちに襲われる。
「なあ、その時のこと、詳しく教えてくれないか?」
思わず、そんな質問をしてしまう。
「いや、嫌だったら全然良いんだけど」
発言したあとで、こんなところでそんな話を聞くのはあれかな、と思ってしまいそういう風に保険をかけた俺だったが。
アサツキさんは微小を浮かべると、俺に聞き返してくる。
「詳しくって、どんな風に?」
「いや、どんなんだろう。……前来た時、ここがどんな感じだったのか、とかですかね」
「そうねえ……。まず、このカーペットはもっと綺麗だったかしら」
彼女の表情からは哀愁がはっきりと感じられて、俺は何も言えなくなってしまう。
「それに、今は陽の光が差し込んできてるけど、昔は魔王城近辺は黒い雲で覆われていたから、すごく暗かったわ」
「黒い雲、ですか。そんなことがあったんですね……」
「そう。不思議な形をした明かりで照らされていた城内を、私たちは今みたいに入り口から歩いてきたの」
想像できるな。
創作物で描かれているように、彼女たちが堂々とこの道を突き進んでいくアサツキさんたちが。
「……私達も、マスターも。みんな勝てると信じて、ここを歩いた」
彼女は天を仰ぐ。
その視線の先はどこに向けられているんだろうか。
「結果は……少なくとも、快勝と言えるものではなかったけれど」
誰も、何も言わない。俺も口を挟まずに、ただ頷くことしかできなかった。
彼女たちにとって、前のマスターを失ったという棘は未だに心のうちに刺さったままなのだろう。
とりわけ、アサツキさんからはそういう感じを強く受けた。まあ、あくまで俺の個人的感想でしかないのだが。
そんな風に、聞いた話を胸の内で反芻しつつ考えながら歩いていると。
「うお、なんか広いですね」
赤いカーペットが途切れ、その先には大きな空間が広がっていた。
「大広間ね。私達が戦った場所よ」
俺の手を握る白百合の力が、僅かに強くなる。
黙って、俺はその小さな手をしっかりと握り返した。
「ここが……」
大広間と言われたそこは、何もない殺風景な場所だった。
机や椅子とかの簡素な装飾すら無く、明かりが点々と付けられているだけ。明るく照らされた地面は建物の材質であるはずの石が露出していて、冷たく寂しい印象を受けた。
石造りの壁や地面には所々に穴が空いていたり、崩れていたり、欠けていたりしていて。
「あの壁の大きな穴は、魔王の攻撃が当たったときにできたのよ」
リオはそう言うと、少し俯く。
「何も変わってないわね」
どうやら、この建物に付けられた傷は、当時の激戦によってできたものらしい。
沢山付けられた傷跡から当時の激戦を思い浮かべる。とはいっても、想像できないな。魔王と、精剣たちと、そして前のマスターと言われる人が戦っていた光景なんて。
なんとも言えない感情に襲われて、俺はなんとなく大広間を見渡す。
「……あれ?」
よく見ると、奥の方に人影が見えた。
この大広間から何処かへ繋がるのであろう通路の前に、一人誰かがいる。
「なんか、先客がいるみたいだぞ」
「あら、ほんとね」
言えば、アサツキさんは意外そうに俺に同意して。
「私が言うのもなんだけれど、こんなところに来て何をしているのかしら」
「観光とか、そういうのだったりするんじゃないですか?」
俺がそう言うと。
「それも、そうよね……」
と、言葉では納得しつつも、表情がどう考えても納得していない人のそれだった。
でも、俺なんかもろそれだしな。リオが来たいって言ったとは言え、俺自身はほぼほぼ観光みたいなもんだ。
それに、かの魔王が滅んだ場所――なんてキャッチコピーがあれば、色んな人が来たがりそうなもんだし。人が一人いるくらい不思議なことじゃない。
「ねえ、マサヒト」
ふと、リオに呼ばれる。
「なんだ……って、え?」
今俺、名前で呼ばれた?
いつもマスターって呼ばれてるから、不意打ちで名前を呼ばれて思わずびっくりしてしまった。
「ど、どうした……?」
一体どんな心変わりが合ったというのか。
俺がリオの方へと視線を移すと、彼女は笑顔を浮かべて俺の方へと手を伸ばしてくる。
「いーえ、なんか、手をつなぎたいな―って」
「……はいぃ?」
突然どうした??????
俺の脳内ではてなマークが量産され、無限に浮かんでは消えていく。
リオにこういう風なこと言われたの初めてだし、というか今までそこそこ関わってきてこういう風なこと言われたこと無いんだけど。
「いや、別にいいけど……」
意味がわからなかった。
白百合みたいに心細かったのかな……? リオはそういうことするタイプじゃないと勝手に思っていたけど、案外寂しがりやなんだろうか。
「…………」
いや。
おかしい。
何かがおかしい。言いようもない違和感を感じる。リオが俺をからかっているのかと思ったが、どうもそういう雰囲気ではない。
彼女の表情は笑っているように見えて、なんとなく、目が笑っていないような気がした。
「……なあ」
「マサヒト、いいから早く」
リオはそう言って俺を急かす。
彼女の頬に汗が伝っていた。白百合が握っている方の手が、ぎゅっと押さえつけられる。
目線を移せば、彼女はどこか焦ったような様子で俺の方を見上げていた。
「……ま、マサヒト」
「ちょ、なんなんだよ急に」
白百合まで、俺のことをそんなふうに呼ぶ。
気がつけば、アサツキさんも俺の直ぐ後ろまで来ていた。精剣たちが俺にぴたりとくっつく。
まるで……そう、何かから、俺を守るように。
「ご苦労なこったなァ!」
突然、広間に大声が響き渡る。
男の声だ。少年のようだが、ずしりと重く響く声。
奥にいる人影がそう叫んだということに、俺はすぐに気がつく。彼は、いつの間にかにこちらの方を向いていた。距離が離れていても、こっちを見ているのだと分かる。
「マスターって呼んじまうとよォ、まだ気づいてないかもしれない俺に気づかれちまうもんなァ!!」
「マスター、私を剣にして!」
男の声を遮るように、白百合が今までに聞いたことがないほど声を張り上げる。
「なァ、精剣のガキ共! ここに入ったときから、とっくに気づいてんだよ!」
男が叫んだ。
言いようのない悪寒が背筋を駆け巡る。
「マスターさん早く! 急いで!!」
アサツキさんがそう叫ぶのと同時に、リオが、無理矢理俺の手を掴んだ。
なんだ? 何が起こってるんだ?
なんであの男は白百合たちが精剣だってことを知ってるんだ? なんでみんなはこんなに焦っている?
けど、そんなぐちゃぐちゃなこの状況で一つだけはっきりしていることがある。
「くそっ、どういうことなんだよ……っ!!」
とにかく、異常事態だということだ。
俺は、強く彼女たちの手を握りしめる。
一瞬の閃光。
「うおっ!?」
閃光が晴れたと同時に、俺の手が勝手に動き出す。
左手だ。白百合の手を握っていた方の手。
「おらァッ!!」
「なっ……!」
気がつけば、男が眼前まで迫っていた。
早すぎる。あの距離を、一瞬閃光で視界が潰れたあの一瞬で、ここまで詰めたのか?
男はいつの間にかに振り上げていた黒い剣を、俺に向かって容赦なく振り下ろす。
「がっ……!?」
白百合が、剣を受け止めた。
途端に、体に今まで感じたことのない重圧がのしかかる。
ゴーレムを弾いたときには、軽々と攻撃を逸してみせた。ダンジョンで出会った黒毛の魔物と戦ったときも、軽々と押しのけてくれた。
白百合は、何者にも負けないと自負していた。それが。
『ぐぅっ……!!』
押されている。
それだけで、眼の前にいる男の異常さを知るには十分だった。
『マスター!!』
「分かってる! 目覚めよ、炎の精剣……ッ!!」
リオの叫び声が脳内に響く。
俺は詠唱を口にすると同時に、一瞬で燃え上がった爆熱の刀身を男に向かって叩きつける。
「チッ」
男は舌打ちをすると、リオの刀身を既の所で避けて数メートル後ろへと飛び退いた。
男が着地すると、コツリと石の地面が音を立てる。男は俺を睨むと、もう一度剣を構えた。
軽やかな身のこなし。あの攻撃力。そして何より、男から発せられる俺に向けられた殺意。
「なんなんだよ、お前!」
明らかに普通じゃない。
思わず俺がそう問えば、男は苛ついたような声色で声を荒らげる。
「てめェの精剣に聞け」
「なあ、どうなってんだこれ……っ!?」
俺が聞くと。
俺の後ろで、一人だけ精剣になっていなかったアサツキさんが、答える。
「魔王よ」
「……は?」
俺の口から出たのは、そんな素っ頓狂な声。
驚いて振り向く。
アサツキさんは、忌々しげに男を見つめていた。その表情を見れば、とてもじゃないがさっきの発言が嘘や冗談のたぐいだとは思えなかった。
「いや、何言って……」
「理由は分からない。けど、あれは間違いなく……」
アサツキさんの言葉に同調するかのように、魔王と呼ばれた男は口元を歪ませて。
「久しぶりだなァ。数百年ぶりか? てめェらの顔なんざ二度と見たくなかったけどよォ」
忌々しげにそう吐き捨てると、彼はその黒色の剣の切っ先を俺に向けた。
「俺は魔王だ。このクソみてェな因縁に、今日ケリを付けてやるよ」
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