8話

 受付の人から聞いた説明によると、フェンリルは森に潜んでいる犬型の魔物らしく。そこまで大きくはないがすばしっこいし力強いから気を付けろ、とは受付の金髪のお姉さんの談だ。

 そんで、そのセリフにちょっとビビッてドキドキしつつ。お姉さんに教えてもらった通りに、今まで街を出入りしていた正面の門とは正反対の方向から街を出て、少し歩けばすぐに森に着いた。

 暗いというほど暗くはないが、明るいとも言えない。そんな木々の影の中に、俺と白百合は足を踏み入れた。

「ちょっと怖いな、これ……」

 呟けば、白百合は俺の手を強く握る。

「少しでも危険を感じたら、すぐに私を精剣にして」

「ああ、分かった」

 頷きつつ、目線は前へと向けたまま。

 落ちた青い葉を踏み潰す音と、風で木が揺れる音が静かな空間を支配している。

「白百合は怖くないのか?」

 なんとなく不気味で、その気分を誤魔化そうと、白百合に話しかける。

「うん。怖くない」

「すごいな、俺なんかもう心臓がバクバクなってるよ……」

「もっと強い魔物と沢山戦ってきたから。フェンリルなんて、楽勝」

 ちょっとどや顔になっている気がしないでもない、そんな表情で白百合が話す。

「まあ、勇者の剣って言うくらいだもんな」

 頷く白百合に、ふと疑問が湧いて出てくる。

「例えば、どんな魔物と戦ったんだ?」

 間髪入れずに、白百合が。

「魔王」

 ……確かに。そりゃそうか。魔王も広義の意味では魔物なのかもしれないし、強いやつといえば白百合からしたら魔王が一番なのかもしれない。

 いや、でも思ってたのとなんか違うのよ。

「他にはなんかあったりする?」

「んー……ドラゴン、とか」

「え、ドラゴンと戦ったのか、白百合」

 てかこの世界にドラゴン居るんだ、と二重の意味で驚いている俺に、白百合は首を縦に振る。

「とても、強かった」

「強そうだもんなあ、ドラゴン……」

 イメージ的には赤いやつだけど、白百合が戦ったやつもそういうやつなのかな。

 てかドラゴンも魔物の括りに入るんだな。個人的にはモンスターとかの方がしっくりくるんだが。

 まあどっちでもそんな変わんねえか。とかなんとかしょうもないことを考えつつ、白百合と駄弁りながらゆっくりと歩く。

 ……と。

 ふと、草むらが揺れるような、ガサガサとした音が鳴った。

「っ!」

 思考が一瞬にしてかき消される。

 その方向に顔を向ければ、暗がりの中に浮かぶ、赤い何かと目が合った。闇に溶けていてはっきりとは見えないが、どうもそのシルエットは犬とか狼のように見える。

「マスター」

「分かってる……頼む、白百合」

 白百合の手を、強く握り込む。

 一瞬の閃光の後、俺の手には白銀の剣が握られていた。ひんやりとした持ちての金属をしっかりと掴んで、切っ先を暗闇へと向ける。

 


 ――――瞬間。



「ガア゛アアアッッ!!!」

 耳から聞こえてくる咆哮を処理することで精いっぱいの脳よりも先に、体が操られるように動く。

『マスターには指一本触れさせない』

 刀身と鋭利な白がぶつかって、鈍い金属音が静寂を裂くかのように響いた。

 白百合に弾かれて、そいつが一旦引き下がる。

 木々の隙間から差し込んだ日光に照らされて、漸く全貌をしっかりと把握することができた。狼のような灰色の毛並みに、ルビーのような赤い目。それに何より、俺を狙っていた太く長い白色の牙。

「こいつが、フェンリル……っ!」

 直感で確信する。こいつ、スライムみたいに簡単にはいかない……!

「白百合、あいつヤバそうなんだけど!」

 スライムも、攻撃を喰らえば危ないのかもしれないが。それ以上に分かりやすく、フェンリルの牙は凶器のようだった。

『大丈夫。マスターは隙を突いて、攻撃をして』

 直後、またフェンリルが吠えた。

「ガオ゛オオッ!!!」

「うおおっ!?」

 牙を剝き出しにして飛び込んできたフェンリルを、白百合は正確に狙って弾く。

 甲高い音が響いて、フェンリルは悲鳴を上げて飛び退いた。

「ギャウッ!!?」

「あ、あっぶねえ……っ」

 これ、白百合が居なかったら完全に死んでた。

『マスター、落ち着いて』

 焦っているのが分かるのか、白百合の声が脳内に響いてくる。

 言われて、荒れた息を整える。

「はあっ、はあっ……ごめん、大丈夫だ」

 敵は待ってはくれない。また、フェンリルが動く。

 大丈夫だ、白百合が守ってくれるのだから、俺は落ち着いて、隙を探して目を凝らせ……!

「ガア゛アッッ!!」

 直線的に突っ込んできたフェンリルに、俺の体は自動的に反応して動く。

 俺を噛み殺さんとする牙に向かって、白百合の刀身を横凪に振るった。

 相手は牙だというのにも関わらず、衝突した瞬間鋭い金属音が鳴り響く。

 牙を弾かれたフェンリルは、だがさっきと同じようには引き下がらずに俺を睨んだ。

「やばっ」

 思わず出てしまった声に重なって、少しも焦っていない様子の白百合の声がする。

『大丈夫』

 まるで熟達した剣士のように、俺の体は最適な動きで剣を振るう。

 鼓膜を突き刺すような音がして、突っ込んできたフェンリルの牙をまた白百合が弾いた。

「ギャウッ!」

 二度も連続で攻撃を弾かれたフェンリルは、引き下がろうとしたものの姿勢を崩してよろけた。

 俺レベルの素人でもわかる。ここがチャンスだ。

 体が躊躇してしまう。魔物に対して切りかかることへの抵抗が、まるで鎖で繋がれているかのように俺をその場に引き留める。

 ……でも。

「おおおおおッッ!!」

 覚悟を決めて、地面を蹴る。

 スライムの時もそうだったように、俺は白百合の作ってくれたチャンスを最大限に生かして戦わなければ勝ち目はない。

 勇気なんて絞り出してでも戦うんだ。じゃなきゃ、ただの不毛な防衛戦でしかないのだから。

「だらあっ!」

 姿勢を崩したフェンリルを狙って、剣を縦に振り下ろす。

 だが、俺が迷っていたせいだろう。たった数瞬の間に姿勢を立て直したフェンリルは、ギリギリでその場から横っ飛びに剣を避けた。刃は空を切り、残されたのは俺の後隙だけ。

「くそっ!」

 焦りかけて、なんとか自分を落ち着かせる。

 俺はスライムと戦ったときに何を学んだんだ。白百合の防御は絶対なのだから、焦る必要なんてどこにもないだろ!

 落ち着け、俺が考えるべきは守りじゃなくて攻撃だ。下手でもいい、白百合の防御を利用して、自ら攻撃を仕掛けにいく……!

「ギャオオオオッッッ!!」

 フェンリルは隙を逃がすまいと、途轍もない勢いで接近してくる。

「…………っ!」

 白百合の防御は、俺のその時の姿勢や行動に左右されずに完璧に行われている。スライムの時だって、俺が姿勢を崩していても何の問題もなく守ってくれていた。

 だから、俺の予想が正しければ。

「頼む、白百合!」

 フェンリルの方へ振り返りながら叫ぶ。

『任せて、マスター』

 有り得ないほど高速で俺の体が反転し、全力で振るわれた白百合の刀身はフェンリルの牙を正確に弾き飛ばす。

 その一瞬。今まではビビって動けもしなかったその、白百合の防御の後の一瞬に、俺は一歩を踏み出した。

「おおおおおおッッッ!!!」

 持てる全力を持って体を動かし、フェンリルに接近して。

 持てる全力を持って、フェンリルの体目掛けて白銀の剣を振り下ろす――――!!

「ギャオオオオッ!?」

 悲鳴。

 刃は完全にフェンリルを捉えており、思い切り叩き込んだ一撃がフェンリルの肉体を切り裂いた。明らかに、フェンリルに対してダメージを与えられている。

 でも大事なのはそこじゃない。その、もう一歩先だ。切り込んだ体制から俺が体を起こすと同時に、フェンリルは素早く地面を蹴った。

「ガア゛オ゛オオオオッッ!!」

 初めて明確なダメージを貰ったフェンリルは、そのせいかさらに声を荒げて襲い掛かってくる。視認できても、それを防ぐことなんて俺には100%できっこない。

 だが、白百合は完璧に捌いてみせる。激しい打撃音がなって、またもフェンリルの牙は俺に届かない。

 俺はまた、フェンリルへと全力で地を蹴る。

「おおおッ!!」

 そして、全力で叩き切るように振り下ろす――――ッッ!!!

「ギャウンッ!!?」

 叩き込んだ刀身がフェンリルの体を切り裂いて駆け抜ける。

 よし、よしよしっ! 上手くいってるぞこれ、結構掴めてきたんじゃないか!?

 攻撃にはどうしても抵抗というか、不安があったけど。結局どんな隙をさらしていても白百合が絶対に防いでくれるから、俺は一切合切全部を無視して、ただ突っ込んで脳死で剣を振れば良いのではと思ったのだが。

 どうやら結構いい戦法かもしれない。俺がビビらないで戦えば、どんなに下手くそな攻撃でも少しづつ相手にダメージを与えることができる。

 勇気を出せば、白百合は応えてくれる。いや、ずっと白百合は俺を守っていてくれたのだから、俺が白百合をもっと信じて、恐怖なんかかなぐり捨てて勇気を出して戦えばいいだけなんだ。

「よし、行けるぞこれ……っ!」

 実際、一撃のダメージはそうでもないかもしれないが、今のフェンリルは着実に弱ってきている。

 この調子ならやれる。白百合が守ってくれるのだから、臆せずに戦うんだ。

「おおおおおッ!!」

 恐怖はもうなくなった。

 白百合を信じて、白百合の防御を信頼して、俺は踏み込む。

「だあああああッッ!!」

「ギャオオオッッ!!」

 フェンリルが、牙を剥き出しにして襲い掛かってくる。

 だが、もう怖くはなかった。

 迫りくる鋭角な牙を、白百合が弾いて吹き飛ばす。俺はそれに合わせてもう一歩踏み込んで、振り下ろされていた剣を反転させ、全力で天へと切り上げた。

「だらああああッッ!!!!」

 フェンリルの体に、深く刃が入り込む。そのまま、剣を全力で振り上げる。

 一瞬の発光。

 粒子が散って、フェンリルの体が消えていく。

 次の瞬間にはもう、傷ついた彼の牙を残して、フェンリルは跡形もなくなっていた。

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