極秘任務
「対象者を捜索し、生存が確認され次第確保せよ。ただし、それらはすべて極秘に行うこと」
降りてきた指示に、私は苦笑した。対象者が確保できたとして、その後どうするのか、今頃会議は揉めに揉めていることだろう。
政治家も官僚の上層部も、責任回避に全力を注いできた連中だ。人類の命運が掛かっているこの状況でさえ、必死になって責任のなすりつけ合いをしているに違いない。
そんな連中の仲間入りをしようと、私も今まで頑張ってきた訳なのだが。
対象者は男性で、都心近くのベッドタウンに住んでいた。そこは攻撃を受けた場所ではないが、だからといって対象者が生きているとは限らない。さらに言えば、生きていたとしても、無事でいるとは限らない。
あの放送は世界中に流れている。つまり、本人も周りの人も、対象者が誰であるか知っているはずなのだ。加えて、対象となった人間は試練の内容も知っているはず。
自分が選ばれたと知って、その人物は正気を保っていられるだろうか。
知人が選ばれたと知って、周りの人間はどんな行動を取るだろうか。
すでに所轄の警察が動いていた。自衛隊の部隊も住所地に向かっている。
「俺だったら自殺するな」
同僚の声に、上司が渋い顔をしていた。
対象者の確保は、意外なほどあっさり完了した。本人が警察署に名乗り出てきたのだ。
対象者は、即座に東京の市ヶ谷にある施設へと移された。だが、対象者が生存していたことも、すでに確保済であることも公表されていない。お偉いさん方の決断待ちだ。
「会議でどんな結論が出ると思う?」
同僚に聞かれて、私は即答する。
「どんな結論が出ても、私はそれに従うだけです」
「官僚の鏡だね」
同僚が肩をすくめた。
決断は、タイムリミットぎりぎりになされた。
「我が国は、対象者を確保した。現在、安全な場所で保護をしている」
カメラの前で話す首相の顔は、見事なまでに土気色。そのまま倒れてしまうんじゃないかと心配したほどだ。
侵略者からの返答はすぐにきた。
「よくぞ対象者を見付けてくれました!」
その声は心底嬉しそうだった。
「試練の日は、本日より十日後とします。試練のための設備はこちらで用意するのでご安心ください。場所は東京の近郊にする予定ですが、正確な場所は後日ということで」
「たったの十日……」
同僚がつぶやく。
だが、私は反対のことを思っていた。
対象者にとって、十日は長すぎる
眉をひそめる私の耳に、侵略者のふざけた声が響く。
「みんなで対象者を応援してあげてくださいね。人類を救った英雄になるかもしれないのですから!」
放送は終わった。
「英雄になんか、なれるはずないさ」
同僚の一人が肩を落とした。
試練の内容は残酷なものだ。それに耐えられる人間がいるとは思えない。侵略者は、人類をいたぶるためだけにその試練を課したに違いなかった。
強者が弱者を弄ぶ。人の歴史の中にもそんな出来事はいくつもあった。それを目の当たりにして、私はどうしようもなく暗い気持ちになる。
それでも、現在進行しているこの状況は、私にとって現実感のない、言ってみれば他人事だった。
つい先ほどまでは。
「君に、対象者の日常生活のサポートをしてもらいたい」
「私がですか?」
上司と二人きりの会議室で、私は目を見開いた。
「君も知っての通り、試練の内容は過酷だ。当然それは対象者も知っている。普通の人間なら、正気を保っていることすら難しいかもしれない」
無言で私が頷く。
「確保直後に行われた診断では、対象者の健康状態に問題はなかった。心理状態も、今のところ落ち着いている」
上司が話を続ける。
私が、探るように上司を見る。
「対象者に対しては、専属の医師と心理カウンセラーがサポートをしている。それでも、ふとしたことがきっかけで、対象者の心が乱れることはあるだろう」
私は、何となく上司の言いたいことが分かってきた。
「明日から試練の日までの十日間、君には対象者と同じ部屋で暮らしてもらう。対象者を観察すると同時に、対象者に尽くし、その心を落ち着かせる努力をしてほしい」
つまり、私の役割は……。
「人は、己の命に危機が迫ると、子孫を残さなければならないという本能が強くなるという。もし対象者がそうなった場合は、それを君が受け止めるんだ」
私はうつむいた。
机の一点を見つめて、溢れ出しそうな感情を必死に押さえ込む。
やがて、どうにかそれを飲み込んだ私は、顔を上げて上司に聞いた。
「どうして、その役割が私なんですか」
目をそらしながら、上司が答えた。
「君なら、そういうこと、割り切れるだろう?」
私は拳を握った。それを強く足に押し付けて、唇をぎゅっと結ぶ。
「その道のプロを呼ぶことも検討したが、対象者に同調してしまう可能性があった。対象者には、絶対に試練を受けてもらわなければならない。ゆえに、対象者をなだめながら、その気持ちを前に向かせる必要がある。そのためにどうすべきかを考え、己の体を使ってでもそれを実現する。そういう強い意志が求められるのだ」
私が上司を睨む。
目をそらしたまま上司が続ける。
「これは極秘任務だ。みんなには、君が被災地復旧の応援に行ったと伝えておく。車を用意してあるから、すぐに帰宅して支度を調えるように」
私の返事を聞くことなく上司が言い切った。
沈黙が流れる。その重さに耐えられなくなったように、上司が小さな声で言った。
「この仕事を無事に終えることができたら、君には昇進が待っている。これは、君にとってビックチャンスなんじゃないかな」
ギリギリ……
私は歯を食いしばった。怒鳴り付けたくなる衝動を必死に堪え、もう一度うつむき、そして、私ははっきりと答えた。
「承知しました。ご配慮ありがとうございました」
上司の目を見ずに頭を下げると、私は足早に会議室を出て行った。
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