英雄と過ごした十日間
来栖薫人
ロシアンルーレット
天文学者もアマチュアたちも、小惑星監視システムでさえもその接近を捉えることはできなかった。
全長およそ二千メートル、最大直径およそ三百メートル。飛行船のような形状のそれは、突如として月の軌道上に現れた。
コンタクトを試みる人類を無視して数日間沈黙し続けたそれは、ある日、何の宣言も布告もないまま、無数の攻撃機を放った。
最初に攻撃されたのは北米大陸。世界最強の米軍がまるで相手にならず、たった二日で主要な軍事拠点と都市が壊滅した。
翌日には南米大陸が、さらに翌日には、海を渡ってアフリカ大陸が攻撃を受けた。そのまま北上した侵略者たちは、欧州を皮切りにユーラシア大陸を蹂躙しながら東進し、そして今日、日本に到達した。
まるで映画のような光景を、私は呆然と見ていた。
自衛隊の戦闘機が編隊を組んで飛んでいく。その数をはるかに上回る無数の敵機が襲い掛かってくる。
戦闘機が次々と落ちていった。対空砲火も、ミサイルでさえも意味をなさなかった。
文明レベルの違いは明らか。我が国の抵抗を一蹴した侵略者たちは、地上に瓦礫の山を作り上げると、無傷のままオセアニア方面へ飛び去っていった。おそらく、明日が地球最後の抵抗の日となるだろう。
圧倒的な力を見せ付けた侵略者たちは、だが、各国の政治の中心地については攻撃をしなかった。おかげで、国はかろうじてその機能を保っている。
加えて、テレビやラジオの放送網、ルートサーバをはじめとするネットの主要拠点も被害を受けていない。攻撃を受けた都市においては、テレビカメラを構える人間の回りだけが無傷だった。
私がこうして無事でいられるのは、霞ヶ関周辺に敵がやって来なかったからだ。映画のような光景を、私はテレビのライブ中継で見ていたのだ。
己の力を人類に知らしめる。それが侵略者たちの狙いであることは明白だった。
地球上の主要な地域を叩き終えた侵略者たちは、再び沈黙に入った。人類は、戸惑いながらも生きるための活動を始める。
人々が苦しい日々を送る中、我が国の偉い人たちは、今日も虚しい会議を続けていた。私たちに降りてくる指示は、呆れるほど一貫性も実現性もないものばかりだ。
「どうしてあの人たちを標的にしてくれなかったのよ」
空の向こうの侵略者に向かって、私はこっそりつぶやいた。
そんなある日、侵略者からの音声メッセージが全世界に届く。
それを私は職場で聞いた。
「下等生物の諸君、ごきげんよう!」
いくつもの周波数に乗せ、いくつもの言語でそれは語られた。
「我々は、この星をリゾート地にするためにやってきました。現在、施設の建設に最適な場所を選定しているところです」
あまりにふざけた内容と、あまりに軽い声の調子に、私は目を見開いた。
同僚たちは完全に言葉を失っている。
「君たちには、施設の建設と、完成した施設の維持に従事してもらおうと思っています」
建設と維持に従事?
それはつまり……。
「君たちは、これから我々の奴隷として生きていくのです。それがいやだと言う人は、遠慮なく名乗り出てください。なるべく苦しまないように殺してあげますので」
同僚の一人が何かを叫んでいたが、ほかの人たちは声を出すこともできない。
「ただ」
ふいに、声がいやらしく笑った。
「低レベルとは言え、いちおう文明らしきものを持っている君たちが、素直に我々の奴隷になりたいとは思わないでしょう。そこで、君たちにチャンスをあげようと思います」
職場がどよめいた。
「我々が無作為に選ぶ一人の人間。その人間が、我々の課す試練に耐えることができたら、我々は撤退してあげます」
途端にあちこちから声が上がる。
「一人の人間?」
「どうやって選ぶんだ?」
「試練って何だよ」
おそらく、世界中で似たような疑問が湧き起こっているに違いない。
それに答えるように、声が続いた。
「我々は、それぞれの国の住民台帳を手に入れています。その中から、ある程度成長した人間を一人選びます。氏名と居住地を伝えるので、君たちでその人間を探し出してください」
そこにいる全員が息を呑んだ。
「ただ、先日までの”余興”で、それなりの数の人間が死んじゃっていると思います。だから、対象となる人間が見付からなかった場合は、また別の人間を選んであげます。それを最大十回繰り返しても見付からなかった場合、君たちに与えられたチャンスはなくなると思ってください」
「ふざけるな!」
怒りの声が上がった。
だが、それが侵略者に聞こえるはずもない。
「人類の命運を賭けた試練なので、その内容は少し過酷なものなります」
楽しそうに声は続いた。
「選ばれし人間が受ける試練は次の通りです……」
試練の内容が伝えられた。
それを聞いて、誰もが顔を強張らせる。
「なかなかいい試練だとは思いませんか? 絶対に無理じゃないけど、耐え切るのはかなり難しい。そんなギリギリの線を狙ってみました」
室内に怒声が響く。
「ギリギリなんかじゃねぇよ!」
「無理に決まってんだろ!」
私もそう思った。
その試練は、とても耐えられるとは思えないほど過酷で、そして残酷なものだ。
「試練を受ける人間は、明日の同時刻に伝えます。そこから二十四時間以内に対象となった人間を見付けてください。見付けたら、その国の代表がメディアで発表すること。発表がない場合は、チャンスを放棄したものとみなします」
職場が静まり返った。
「試練の日時や場所は、君たちからの発表があった後に伝えます。では、君たちの健闘を祈ります!」
最後までふざけた調子で放送は終わった。
どう考えても奴らは遊んでいる。
我々が右往左往するのを見て楽しんでいる。
私は、こんな時だというのに笑ってしまった。
これまでの努力や苦悩、描いた未来。それらが、現実とは思えない出来事のせいで消えていく。
笑いながら、同時に私は考えていた。
この国の人間が選ばれたら、面倒なことになるわね
そんなことを考えた自分に嫌気がさして、私は大きなため息をついた。
翌日、選ばれし者が伝えられた。それは、ありがたいことに他国の人間だった。
胸を撫で下ろした私は、その国の混乱を想像しながら発表を待った。
そして翌日。
「対象者は死亡」
世界中に怒号が巻き起こったのではないだろうか。
本当に対象者が死亡していたのか、嘘をついたのかは不明だ。しかし、その国は責任を取る必要がなくなった。人類の運命を背負う必要がなくなったのだ。
発表を受けて、侵略者から次の人間が伝えられた。それは、またも我が国の人間ではなかった。
上司が脱力してイスにもたれ掛かる。政治家たちも、今頃大きく息を吐き出していることだろう。
だが、私は確信していた。おそらくは次も……。
そして翌日。
「対象者は死亡」
たちの悪いロシアンルーレットだ。引き金を引いて、運悪く弾丸が飛び出してきても、九回までならそれを回避できるのだから。
侵略者から次の人間が伝えられる。
その翌日。
「対象者は死亡」
こうして引き金が引かれ続け、とうとう十回目がやってきた。
「これが最後のチャンスです。今度こそ、対象の人間が生きているといいですねぇ」
見透かしたように笑いながら、声が最後の対象者を伝えた。
それを聞いて、上司が目を閉じた。同僚たちが青ざめた。
私の人生の中でも、とびきり最悪で、とびきり特別な日々が始まった。
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