9話-2 『願いの魔法』
背後から破壊の音が聞こえる。しかし、振り返ってはならない。要たちが任せろと言ったのだ。見送られた俺は信じるしかない。
ニュートとの距離はもうほとんどない。扉の先に彼女はいると、自身の感覚が告げていた。同時にその先にある何かに言いようのない不安が胸の内に広がった。
考えても仕方がない不安を押しとどめて、ひたすらに前進する。いずれにせよ止まっている暇などないのだ。
しばらく進んだつきあたり。目の前には今まで見たものとは違う意匠で装飾された分厚く堅牢な扉があった。
取っ手に力を込めて押し込む。見た目の印象よりもすんなりとその扉は動いた。
見覚えのある光景が目に飛び込んでくる。ニュートが見せたあの夢の中で一度目にした景色だった。宝物庫から辿ってきた道は、玉座の裏の空間へ繋がっていたのだ。
「ニュート!」
自然とそこに目が留まった。こちらの世界に来た理由であるニュートは手足を鎖でつながれて弱々しく地面に倒れ伏していた。
目を覚ましたニュートはこちらを見て何かを必死に伝えようと口を動かしている。
「……、……!」
しかし、衰弱した彼女の声は少しだけ距離のあった俺に届かない。
俺が足を止めたのは、本当に単なる偶然だった。あるいは、彼女の必死の形相に迫りくる危機を感じ取ったのかもしれない。
歩みを一瞬緩めたその時、右足のつま先が消えた。あるはずのものがなくなったことで、バランスを崩して転倒する。
「やはり来たか。待っていたぞ!」
玉座から立ち上がる影があった。
獅子のような猛々しいたてがみを持った二メートルを超える大きなシルエット。筋骨隆々の体はそれだけで鎧のようだ。
玉座の正面から姿を現したのはグラーダの首魁ドヴォルグだった。
「なんで……こんなところに……いるんだ!?」
片腕を無くしたマルトースがこの世界に残っているのは、回復のためという理由があるからまだ理解できる。しかし、グラーダのボスであるドヴォルグが今ここに残っている理由はないはずだ。
「言っただろう? 待っていた、と」
腰を上げた奴はゆっくりと歩みを進めて、倒れ伏すニュートの体を持ち上げる。途中で引っかかった鎖を奴はその腕で千切った。ニュートは、首元をつかまれて苦しげな呻き声を上げている。
俺はといえば、足の先が突然無くなったせいで立ち上がることさえままならなず、拳を握りこむしかなかった。
足先を見れば、大きな爪で引っ掻いたような傷跡が地面をえぐっていた。これが、ドヴォルグの放った攻撃らしい。
「無様に倒れ、立ち上がることのできない姫の従者よ。お前は何をしにここに来た?」
心底から愉快そうに奴は俺に問いかける。地面に這いつくばりながら、睨みつけるのが今の俺ができる唯一の抵抗だった。
「ニュートを助けに来た……!」
「――ククク、ガッハッハ!!!!」
笑い声がこだまする。俺の答えがよほど可笑しかったのか玉座の間全体が揺れるような声量の呵々大笑がいつまでも止まない。
「……姫を助けに来ただと? 笑わせるな! 今まさに床に這いつくばっている虫けらに何ができるというのだ!」
何も言い返すことができなかった。ドヴォルグが残っているなどとは考えてすらいなかったのだ。不意打ちに対応することすらなく倒れている現状は誰かを助けに来た者の姿ではないだろう。
「我は姫の力を手に入れる。そのためには両者の合意が必要不可欠だ」
言葉の意味を一足先に理解したニュートはかすれた声で拒絶する。
「だ……め、よ……! 止めなさい……!」
ニュートの言葉をドヴォルグは鼻で笑う。
「そんなにこの従者が大事か!? お前の足手まといにしかならない、異世界の異物が!?」
ドヴォルグは空いている腕を振るった。俺の右腕から血が吹き出す。声にならない悲鳴が口の端から漏れた。
「止めて!」
「止めねえよ! この従者を死ぬ直前まで痛めつけてお前の心を折る! 自発的に我との契約を結びたいと言うまでなぁ!」
乱暴に歩き出したドヴォルグは俺の前で止まり、腹部に蹴りを放った。くぐもった声と血反吐が口から噴出し、体が吹き飛んだ。
「止めてぇぇぇ!!」
飛ぶ斬撃が何度も何度も体を切り裂く。俺が死なないよう露骨に威力が下げられているが、数が数だ。血が吹き出し、悲鳴さえ枯れ果てる。それでも死なないのはニュートとのつながりが生きているからに他ならない。
「我と契約するか? そうすれば、この虫けらを見逃してやってもいいぞ」
ニュートは固まる。彼女の口が一瞬堅く引き結ばれ、力なく開く。
ダメだ……それだけは。
ドヴォルグに力が渡るくらいなら死んだ方がマシだ。ニュートが無理やり従わされるなんてもっと耐えられない。それじゃあ、彼女を笑わせるという約束が果たせない。
「私は……」
ニュートに近づけさえすれば。ドヴォルグの手の内から奪い取ることさえできたなら。少なくとも戦いにはなるはずだ。
その時、懐にひそめていた晴香さんの青雀が姿を消した。あちらでも何かがあったのだ。早くニュートを連れて帰らなければ……。
なけなしの力でニュートに手を伸ばす。この腕が彼女に届いたのなら。
――絶望の中で純粋な願いがそこにはあった。
――偶然にも男には魔力があった。
――願いを叶えるための法則がこの世界にはあった。
この日、この時、ドラグニカという願いの世界は異世界の男を受け入れた。
「……?」
その場の誰もが起こった出来事を理解できなかった。
蓮理の腕の中にはニュートが抱かれ、その蓮理はドヴォルグの背後に倒れていたのだ。
「どういう手品だ……これは」
蓮理に発現した魔法。それは、"届かせる"魔法。彼が願った場所へその身を送るテレポートを可能にする魔法だ。
「さあね」
体の傷が驚異的な早さで癒えていく。ボロボロだったニュートの体も同様に輝きを取り戻していく。
「だけど、これでお前と戦える」
「レンリ……」
「遅れてごめん。行けるか?」
ニュートの目に光がともる。俺の体にも熱が帰ってくる。気力が全身の隅々まで巡っているようだ。
「問題ないわ」
ニュートの手を取り立ち上がる。羽ばたきの音が力強く響く。
「調子に乗るなよガキども!」
飛んでくる斬撃。手加減など一切ない破滅の一撃が迫っている。だが、二人でいる今はこれっぽっちも怖くない。
「行くぞ、ニュート!」
「ええ!」
二人の脳内に新たな言葉がはじける。
「
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