8話-2 『ケイラ=アーデント』
グラーダの部隊から蛇のグラーダ、アトウェルサを引き離したケイラは、あらかじめ目星をつけていた空き地に彼女を誘導していた。
「正直についてくるとか、任務とか貴女の部下はいいの?」
その問いかけにアトウェルサは長い舌を覗かせながら薄く笑う。
「ええ、私はあんな雑魚ども興味ありませんので。強者との殺し合いさえできればそれでもいいのですよ」
彼女はマルトースやトネールとのように、多くの者の力を吸収し今の地位に上り詰めた訳ではなかった。
彼女が吸収した者はわずか五人しかいない。吸収した者の数で優劣が決まるグラーダの世界でなぜ『暴虐』という二つ名を頂いているのか。それは、彼女が吸収した相手が相手だったからだ。
「あなたは私たちのことはどれだけ知っているのかしら」
今度はアトウェルサから返ってきた質問にケイラが付き合う。
「ニュートちゃんの故国を襲撃した簒奪者たち。力を絶対視し、一族に伝わる秘術で他者の力を奪い取ることができる。基本的に吸収した相手の数で序列が決まるだったかしら」
「あら、よく知っているのね。姫がよほど協力的だったのかしら」
アトウェルサは、言葉の調子とは裏腹に感心した様子など全く出さない。それでも、説明が省けたとほくそ笑む。
「私は気に入った相手しか力を吸わないの。だからドヴォルグ様や『悪食』、『血刃』みたいにいっぱい食べたことなんてないわ」
「その代わり、強者を蹂躙してその力を頂いたの。彼らの力は美味しかったうえに、わずかな量でこんなにも私の力を引き出してくれた」
彼女が吸収したのは、二つ名を頂いたかつてのドヴォルグの側近を一人。幹部候補のグラーダを三人。ドラグニカ王国の軍団長を一人のみ。効率と殺し合いを求めた彼女は、グラーダたちの瑪瑙隊にも満たない人数を吸収しただけで二つ名を持つに至ったのだ。
「へえ……だったら私は貴女のお眼鏡にかなったわけだ」
「いいえ? 戦って弱かったら殺すわ。弱い者の力を手に入れたって意味がないもの」
本当に訳が分からないという反応を返すアトウェルサに、ケイラは背筋の震えを感じる。しかしそれは恐怖によるものではない。純粋な戦いを楽しめるという期待からくる武者震いだった。
「そろそろ、貴女も私も我慢が利かなくなるころよね……さっさとやり合いましょうか」
「それもそうですわね。ならば名乗りましょうか……私の名前はアトウェルサ! ドヴォルグ様より『暴虐』を頂く者です。どうかあなたが吸収するに値する強者でありますように」
「名乗りを上げるのか! イイね。私はケイラ=アーデント。可愛い後輩たちのためにもやられてくれるかしら?」
ケイラはバンテージを巻き付けた拳を構える。魔法使いであるはずの彼女が好むのは、近接主体のボクシングスタイルだ。それに合わせて、戦闘服も動きやすいスポーティーなものになっている。
対するアトウェルサは、二本のナイフを逆手で構えた。彼女の魔法由来の特殊な毒を塗り込んだそれは、本来なら格上であった者たちをも死に至らしめたまさに必殺の武具だった。
どちらとも言葉を交わさない。張りつめた緊張の中で最初に動き出したのはアトウェルサの方だった。ケイラは最初の姿勢のまま動いていない。
「シッ!」
噛みつくように腕を上下から交差させ、毒の刃を突き立てる。素早く逃げ場のない一撃がケイラを襲う!
「!?」
しかし、上体をのけぞらせたのはアトウェルサの方だった。立ち位置をわずかにずらしたケイラの魔力を通したアッパーカットでカウンターの一撃を入れられたのだ。
「そのナイフ、なにか仕込んでるでしょ? 魔力が嫌な感じだったから当たりたくないのよね」
「ッこの!」
魔力によって威力が上乗せされていたとはいえ、そもそもの身体強度が桁違いなアトウェルサに対して、ケイラの一撃は大きなダメージとはなっていない。即座に攻撃を再開する。
間断なく迫るナイフをケイラは紙一重で避け続ける。攻撃の数々が当たらないその現実に驚愕しながらも、アトウェルサは冷静な思考を続けていた。
この女は私の攻撃を避け続けなければいけない。当たれば致死の毒をその身に受けるからだ。対する私は、反撃を食らっても耐えられる。つまり、ほころびが生まれるまで攻撃し続ければいいのだ。
二人の持久戦が始まった。アトウェルサは飛び込むようにして刃をケイラの心臓に突き立てようとする。それをケイラは馬飛びの要領でアトウェルサの背中に手をついて回避。体勢を崩して地面に打ち付けられるはずだったアトウェルサは、両足を蛇の尾に変えて尾と腹筋だけで前傾のまま姿勢をとどめる。
数メートルまで伸びていた彼女の尾が着地直後のケイラの足を払った。反転した彼女の刃がうつ伏せになったケイラの背に迫る。しかし、それも避けられた。彼女の生み出した風の魔法が彼女の体を横に大きく動かしたのだ。
「言ってなかったっけ? 私、魔法使いなの!」
アトウェルサに魔法を使われるという選択肢が生まれた。二股に分かれた長い舌で、器用に舌打ちをする。
魔法を解禁したケイラの動きはより複雑になり、隙あらば攻撃にも転じるようになっていった。
いつの間にかあった光のシャボンがアトウェルサの目くらましをし、ナイフが空を切る。地球上の蛇の持つピット器官のようなものをアトウェルサも有しているため、大した支障はないが、生まれた一瞬の隙で腹部に掌底を叩き込まれる。
「うっ……ぐぅ!」
しかし、それも大したダメージではない。これくらいの痛みは何度も体験してきた。
懐に入ったケイラを抱き込むように腕を回す。一瞬手応えがあったように思えたのだが、そこにはナイフの刺さった二の腕ほどの木片しかなかった。
当のケイラといえば、散歩ほど離れたところに悠々と立っている。
「私が得意なのは空間魔法。こうやって変わり身の術みたいに使うこともできるの」
ある時は炎の拳が。ある時は高電圧の蹴りが。数々の魔法による攻撃がケイラから放たれており、戦況は一向に彼女の優勢のように思われていたが、戦闘開始から約三十分でほころびが生まれた。
今までと同じく致命の刃を避けるため横に飛ぼうとしたその時、彼女の体が何かに触れた。
「しまっ……!」
それは、アトウェルサが遠く遠くに伸長させていた彼女自身の尾だった。ものすごい勢いと万力のような強さでケイラの体が締め付けられる。
「捕まえました」
身動きの取れないケイラに二本のナイフが突き刺さった。一本は右肩に。もう一本は左腿に。急所を外したのは、アトウェルサ自身の嗜虐心を満たすためだった。
巻きついていた尾がほどけ、ケイラが地面に倒れ伏す。しかし、彼女は起き上がらない。もうすでに毒が回り始めているからだ。
「あなたのこと、私気に入りました。だから食べちゃうことにします。結局私に攻撃は通らなかったですが、弱いなりによく頑張りましたね」
もう返事もないだろうと秘術を発動する準備をする。しかし、彼女が上体を起こしたことで中断させられてしまう。
「やっぱり貴女、強いやつとの殺し合いが好きならもっと経験を積まなきゃダメだよ。窮鼠猫を噛むってことわざがこっちの世界にもあるんだから」
言葉と共にゆっくりと立ち上がる。毒を食らってここまで動ける相手を見たことがなかったため、アトウェルサは動けなかった。
「九十八回。今まで貴女に打ち込んだ攻撃の回数よ」
それがどうしたとアトウェルサは思う。そのどれもがこちらの命の真芯には届きはしなかっただろう。
「単純な物理攻撃であると同時に私が魔法を打ち込んだ回数でもあるのよ?」
ケイラの手に巻かれたバンテージに光が生まれた。それはとある魔法が刻まれた魔法陣だった。ケイラは幾何学的なその紋様をアトウェルサに向ける。
「私が呪文を唱えたら貴女は死ぬわ」
今すぐこの女を殺さなければ。言いようのない焦りが生まれ、アトウェルサは半狂乱でケイラにトドメを刺しに行く。
「【開放せよ】」
アトウェルサの伸ばした腕はケイラには届かなかった。
――腕の先が根元から消えていたのだ。
「あああぁぁぁああぁ!?!?!?」
変化は腕だけでなかった。何か見えない怪物に噛みつかれたかのように、尾が、腹が、えぐられていく。
「私の得意な魔法は空間魔法だって言ったでしょ?」
全身の至るところが少しずつ削られていく。
最後にあごの先が削られて、物言わぬ頭蓋だけが地面に転がった。
その視線は命を絶たれる寸前までケイラを睨みつけていた。
ケイラはバンテージに刻印した魔法陣によって、この空間を削る魔法をアトウェルサの体に刻み込んでいたのだ。しかし、グラーダの強靭な肉体は少しの損傷では問題なく動けてしまうと最初の数打で悟った彼女は、確実に死に至らしめると確信できるまでこれだけの時間を費やしていた。
「間違いなく貴女は強敵だったわ」
実のところ、アトウェルサの魔法の毒が効いていなかった訳ではなかった。ありあまる魔力で無理矢理浄化を繰り返していただけなのである。
「私の血筋にもこんな時ばかりは感謝しないとね」
ケイラ=アーデント。マギドールの現王女の娘であり、元々の継承権は二位。圧倒的な魔力量と、魔術の才から次期王女の呼び声も大きかったが、現在はこの世界『ロゴス』に家出中である。
「頑張りなさいね、後輩たち」
遠く異世界に行った後輩たちに希望を託したケイラは、体内の毒が追い出されるにはもう少し時間がかかるだろうなと思いながら、近くの木の幹にその身を預けた。
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