6話-3 『グラーダ戦線・開戦』下

「ニュート、ぶっつけだけどアレできるか?」


(貴方次第よ。私はほんの少しの手助けしかできないからね……)


 アレを使えば、恐らく攻撃を通すことが出来るだろう。しかし、ほとんど練習していない技をぶっつけで繰り出すことになる。それを可能にするのは彼女の言う通り、俺の覚悟次第ということだ。


「あらあら、姫とご相談ですかァ~? ええ、ワタクシは待ちますからいくらでもご相談下さァい!」


 マルトースの言動は余裕の表れであると同時に、こちらの限界を見越したものだ。なにしろ、彼以外のグラーダはすべて要に差し向けられている。要が物量で押し切られてしまえば俺は孤立するし、勝って合流したとしても消耗はまぬがれない。そんな俺たちをまとめて始末できると奴は踏んでいるのだろう。

 油断ともとれるその余裕を突くには今しかない。


「それならこっちから行くぞ!」


 マルトースは自然体で迎え撃つ構えだ。現状出せるトップスピードで突っ込んでいく。


 ――交錯。左腕を振り抜いた姿勢のまま、俺はマルトースの後ろに立っていた。


竜の爪ドラゴンクロウ


 魔力光を放出せず、腕に纏わせ刃とする。切れ味に特化したその一撃がマルトースの右腕を切り飛ばした。


 胴体を真っ二つにするつもりだったが避けられたようだ。手応えとしては十分だろう。しかし、


「アレを初見で避けるのかよ……」


 振り返り、身震いする。マルトースの顔に浮かぶのは、"無"だった。


「どうやらワタクシ、カンが鈍っていたようです。戦場から離れすぎていた代償だな、これは」


 口調が変わっていた。それが奴本来のものだった。


「魔力を刃にして切り裂くとは……とんだ曲芸だが、量も質も桁違いな魔力のおかげでなまくらなんかよりよっぽど切れやがる」


 ヤバい。わずかにあった油断の空気も見せつけるようだった隙もさっぱり消え失せている。今の俺たちで奴を倒せるかどうか……。


(撤退よ。そろそろカナメもハルカも自分の仕事を終わらせつつある。悔しいけど攻撃が通じることが分かっただけでも収穫だわ)


 俺の中のニュートは意外と冷静だった。悔しいが、現状の力の差は分かった。あとはどう逃げるかだ。


 わき腹をひんやりとした何かが横切った気がして身をひねる。


「調子づいてきたじゃねえかおい!」


 マルトースの蹴りが脇を掠めていた。意識が戦闘に切り替わる。

 右腕に魔力の刃をまとわせて薙ぎ払う。しかし、今度はかすりもしなかった。さっきよりも刀身をわずかに伸ばしていたことも込みで回避された。


 後ろに飛びのいてもマルトースは密着するように追いかけて攻撃を仕掛けてくる。


(右腕下げて。左に跳ぶ、しゃがみなさい!)


 ニュートの言葉でギリギリを耐え抜く。彼女の指示がなければ綱渡りの綱はたちまち切れてしまうだろう。だからこそ、俺は全力でそれに従った。


 何度も変身した影響か、ニュートとの意思疎通はほとんど反射のような領域に達していた。戦闘時に限っていえば、瞬きの時間ですら長すぎるほどだ。


 しかし、戦闘経験の差はいかんともしがたい。攻撃の合間を縫って反撃を仕掛けるも、簡単にいなされて逆にカウンターを食らう始末だ。

 永遠とも思えるような攻撃の雨が降り注ぐ。マルトースの拳が、蹴りがじわじわと命を削り取ろうとしていた。


(三秒後に真横に跳んで!)


 三秒とはまた長い。一瞬一瞬の取捨選択を迫られている現状では永遠にも思える時間だった。だけど、ニュートがそういうのならそこまでいけば解決する手段があるということだ。


 砲弾のような速度で飛んでくる右ストレートを腕の側面から叩いて向きを逸らす。

 腹部を狙った左ひざを手のひらで抑える。

 ……一秒。


 膝蹴りの勢いで跳ね上がった体を狙った角での頭突きを羽ばたきによるショートジャンプで回避。

 ……二秒。


 宙に浮いたこちらの頭を砕こうとするかかと落としがしなる鞭のように飛んでくる。

 ……三秒!


(今よ!)


  首を傾けながら横に飛ぶ。蹄のついた足先が顔の横を通過する風圧だけで頬が裂けたが回避は間に合った。

 緑の光が視界の端に映る。マルトースの体がその光に押されるようにして後退した。続いて爆音が響いてくる。


「撤退だ! 蓮理!」


 要のカシモラルが俺の影からマルトースを狙撃したのだ。後ろを振り返らずに要のもとに戻る。ようやく振り向くと、マルトースが爆発の煙の中から姿を現していた。決して少なくないダメージを与えられている。


「晴香は避難を完了させた! あとは俺たちが逃げれば任務達成だ!」


 さすがの要も無傷とはいかなかったらしい。肩と脇口に大きめの傷が顔を出している。逆にこの程度で済んでいるのがさすがだ。あとはこの戦線を離脱するだけ。


 ――俺も要も油断はしていなかった。俺たちにあった差は、ほぼ全方位を感知できるニュートの存在だ。


(直上……! 魔力反応多数! 避けて!)


 銀閃が視界を横切る。伸ばした腕が先行する要の背中を押した。この判断が間一髪要を助けた。

 横切ったのは両刃の剣だった。雨のように降り注ぎ、腕に、翼に、全身に突き刺さる。声を上げる暇さえ与えられず、瞬く間に無数の刃が俺の体を刻んだ。


「蓮理! ニュートくん!」


「……ダメ、だ!」


 突きとばされた要が振り返ろうとするのを押しとどめる。とっさの静止に要はこちらに背を向けて飛び去った。


 そうだ、それでいい。


 広範囲攻撃手段を持つ未知の敵が現れたのだ。俺たちを助けようとして一網打尽にされてしまっては元も子もない。


(蓮理、体は動く?)


 少し厳しいかも。


 体の芯がどんどん冷えていくような感覚がある。腕や翼の特に防御が薄い部分には、向こう側が見えるような穴があいている。体を無理に動かそうとすれば、手足が千切れて飛んでいきそうだ。


 それでもなお、傷口が塞がる感覚があった。変身による回復能力がとにかく凄まじい。今はこの回復に任せて要が助けを呼ぶのを待つしかない。もし、誰も来なくてもニュートの願いをかなえるために一人でも多くのグラーダを道連れにしてやる。


「案外、あっけないものなのですね」


 見知らぬ声が地に伏せた俺に振りかかる。感情のない冷え切った女の声。蛇のような鱗が視線の端に移りこむ。


「魔力のねェゴミみてえな生きもんだからな。多少下駄をはかせたところで俺たちには敵わねえのさ、なァ『暴虐』」


 打って変わって軽薄な声。しかし、見下しの声色は『暴虐』と呼ばれた女と同じかそれ以上に感じる。


「まあ、そんなやからに片腕を取られる間抜けもいたようだけど」


「……ワタクシも油断がありましたからね。何とも情けない話ですヨ」


「まァ、そんな奴でも貫いちまうのが俺様が『血刃』と呼ばれる所以だなァ」


 恐らく、マルトースと同等の実力者たち。しかしトドメを刺す気はまだないらしい。今のうちに少しでも回復しておきたいが……。


「戯れもそこまでにしておけ」


(!?)


 ――逃げたい。


 最初に思ったのはそれだった。押さえつけられるような重圧が息を詰まらせる。強引に呼吸をしようとすると、歯の根が全く合わなくなる。


 頭をつかまれて強制的に上を向かされる。夕日にあてられた獅子のような顔が視界に入った瞬間、ニュートの感情が黒に染まった。遅れて俺も理解する。奴こそがグラーダの首魁であり、ニュートの怨敵ドヴォルグなのだ。


「この生き物の中にいるのだろう? ニュート姫」


 俺なんかは家畜と同じだと言うようなずいぶんな言い草だった。皮肉なことにこの一言が委縮していた俺の心にわずかな火をつけた。


「ニュートはお前なんかと話すことはないってさ」


 本当は今にも変身を解除して噛みつきに行きそうなほどの怒りを彼女から感じていたが、あくまで平静を装って声を上げた。ニュートもあっけに取られている気配がある。


「ほう……言葉が通じるのか。これは面白いな」


 愉快さのかけらもない口調でドヴォルグはつぶやく。


 冷静になれよ、ニュート。ここで姿を見せたら相手の思うつぼだ。


(……ありがとう、今は逃げることを考えなきゃね)


 彼女の感情がいくらかクールダウンするのを感じる。彼女が冷静なだけで俺たちの生存確率はずっと上がるはずだ。


「しかし、これを見ても話をしたくないと言えるか?」


 ドヴォルグが針金のような剛毛の毛皮に覆われた胸元をあらわにしたその時、たった今したばかりの会話が無意味なものとなってしまった。


 胸元の毛皮が形を変えていく。最初はイボのような突起があるだけだったが、それが徐々に何かの形に変貌していた。

 最終的に表れたのは、鱗のようなものに覆われた何かの頭部だった。傷付き、苦悶の表情を浮かべていてもなお、ある種の荘厳さや威厳を感じるそれが視界に入った瞬間、鉄の味が口の中に広がった。赤い血が口の端から滴り落ちる。


 意思に反して腕が持ち上がる。ズタボロにされてもなお輝きを失わなかった白銀の鱗が光をすべて吸い尽くすかのような黒に塗りつぶされていく。

 こんなことは今までなかった。ニュートの激情が俺の体のコントロールすら奪ってしまうほどに表出しているのだ。


(待て! ニュート!)


 言葉は声にはならず、思考の壁に閉ざされる。代わりに誰の声とも分からない、しかしニュートのものだと分かるノイズにまみれた声が口から零れ落ちる。


「お父様ぁ! 貴様……よくモ!」


 この言葉が俺の記憶も刺激する。ドヴォルグの胸にあるその存在が小さくなりすぎて記憶と結びついていなかったが、あの顔は夢の中で見たニュートの父だったのだ。


 ドヴォルグの示したものは、ニュートの心をえぐるに十分すぎた。ありえないはずの体と心の主導権の入れ替えが起こってしまうほどに。


 激情のまま、ドヴォルグに殴りかかる。体の持ち主であるはずの俺はそれを見ていることしかできない。

 溢れ出す魔力が速度と威力が本来の拳に上乗せされて破壊力を爆発的に増していた。ドヴォルグ以外の三人の幹部が思わず距離を開けるほどに。


「……ほう!」


 喜色の声がドヴォルグから漏れる。その拳は奴のわき腹を深くえぐった。しかし、魔力の内圧が弾けてこちらの右腕も同時に吹き飛んでしまう。


「GRuuAaa!」


 獣のような声が漏れだすとともに、壊れた右腕を意に介さず今度は尾を振り回す。だがこれはドヴォルグによって軽々と受け止められてしまった。


「力はなかなかだが動きがなってないな。それに魔力の運用も出鱈目だ」


 尻尾が力任せに千切られた。根元から鮮血が飛び散るが、それでもニュートは止まらない。足の力だけで飛込み、ドヴォルグに牙を突き立てる。


「……力の使い方を教えてやろう。邪竜装身ドヴォルグヴェスディ!」


 牙が刺さらなかった。正確には奴の体の表面に突然現れた装甲のようなものによって阻まれたのだ。ドヴォルグは嘲笑と共に言葉を続ける。


「我々グラーダが持つ秘術、『弱肉吸収』は他者の魔力を己の糧とする。お前の父親はその中でも特別だったようでな。あの老いぼれの魔術もこの身に宿すことが出来た!」


 細部こそ違うがその力はニュートと同質のものだ。元から強靭な戦士の体を包むように鱗が生えてきており全身を強固にしている。極めつけにコウモリのような飛膜を持った両翼が奴の体を浮かび上がらせた。


 獅子の威容と邪竜の凶暴さ。二つが合わさったドヴォルグはまさに魔王というべき存在となっていた。


「小娘の力など我に及ぶべくもない!」


 狙いすましたアッパーで顎が割り砕かれた。

 力が抜けて膝をついたこちらの頭を無造作につかみ、壁に打ち付ける。

 何度も、何度も、何度も。


 入れ替わった瞬間からほとんどの感覚がなくなっていた。今このときも痛みは不快なノイズ程度にしか感じない。

 まるで、映画の残酷なシーンを眺めているような感覚。恐怖で目をそらしてしまいたいのに、それだけは絶対にしてはいけないと目の前の光景に釘付けになっている。


 口から漏れ出る声が次第に弱っていく。もう興味がないとでもいうように、ドヴォルグは俺たちの体を放り投げた。


 翼の感覚が消える。千切れた尻尾の感覚も痛みごと消えて、鱗が剥がれ落ちていく。変身が解除されたのだ。二人の体が地面に投げ出される。


 俺もニュートもボロボロだった。ニュートに至ってはすでに意識を手放して眠っている。


「思っていたよりは長く持ったな」


 ニュートの体が持ち上げられる。痛みで混濁しかけた意識の中で伸ばした腕は届かない。


「待て……」


「お前を殺せば姫も死ぬ。命拾いしたわね」


暴虐と呼ばれた女の声を最後に、奴らは立ち去ってしまった。


「うぅ……ぁ、ニュー、ト」


グラーダたちへの敵愾心だけで保っていた意識はもう限界だった。体が訴える痛みを感じながら意識は闇に飲まれていった。

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