6話-2 『グラーダ戦線・開戦』上

「遅いぞ、奴らはこの先の結界内にいる」


 春香さんの式神、タローとケンはまさに風のような速さで結界のある現場にたどり着いていた。それでも、現場で足踏みをせざるを得なかった要は機嫌を悪くしていた。


「カナメくんのカシモラルみたいな速度はタローたちには出せないの! それより中の状況は分かる?」


 グラーダは一週間前に倒したスジャルクベーダーのように単独ではなく集団で行動している。以前の侵攻から時をおいてこちらの世界に来た場合は、侵略の準備もある程度整っていると見たほうがいいという要自身の提案で、緊急の用がないかぎり単身での突撃は控えるようにしていた。


「偵察用の端末をいくつか結界が閉じる前に送り込んだ。幸い、巻き込まれた一般人はそれで先に見つけられたから隠れてもらっている。俺たちの交戦に乗じて結界から出てもらえばいいだろう」


 ひとまず胸をなでおろす。要が無事だと言うのなら間違いないだろう。


「だが気を付けた方がいい。前に比べて結界の展開が恐ろしく早かった。かなり手練れの術者がいると見ていいだろう」


 手練れという言葉を聞いて思い浮かべるのは、死体を操っていた正体不明の術者だ。本体ではないあの怪物に苦戦したことを考えると本人の実力も高いのだろう。


「結界脱出用の符をケイラさんから二枚貰ってる。私たち四人全員で突入して、私は一枚を使って一般人を逃がす。カナメくんたちは奴らの注意を引いて可能なら速やかに撃破する。この結界のおかげでゲートの場所は絞れてるから、情報を引き出す必要はないわ」


 晴香さんは異論はないかと言うように俺たちの顔を見渡す。誰からも異論の声は出なかった。


「要、あいつらの詳細は分かるか?」


 敵の力量によっては引き付けていられる時間も変わってくる。しかし、要の返事は芳しくなかった。


「すまない。感覚の鋭い術者が少なくとも一人はいて、偵察中に端末を一機壊された。遠巻きに観察することしかできなかったが、数だけで言うならざっと三十ほどだろうか」


 三十か……。恐らく前回の奴らとは質が違うはずだ。まずは逃がすことを優先すべきだろうか。


「話してるうちに中の人たちが危険にさらされる。突入するなら早くしましょう」


 動きが止まりかける直前、思考を寸断したのはニュートだった。

 たしかに要が一般人を保護しているといっても絶対安全ではない。それどころか、つかの間の安全も刻一刻と失われている最中だ。


「それはいいが、ニュートくん。グラーダたちが君の仇だとしても撤退の指示を出したら絶対に聞き入れてくれ。命を無駄にするな」


「……さっき、レンリからも言われたわ」


 すねたような言い方に、俺と晴香さんは思わず吹き出してしまう。


「そうだったのか。なら、余計な一言だったな」


 そんな会話を合図に俺たちは自然と気を引き締める。


「行くぞ」



 *



「……来ましたねェ」


 マルトースは結界内への侵入者を感じていた。先ほどこちらを探るような動きをしていたうるさいコバエを始末したばかりだ。恐らくそれを放った者が侵入してきたのだろう。


「マルトース様、我々はいかがいたしましょう」


 『黒鉄』の一人が指示を仰いでくる。今回の侵攻では、三人いる黒鉄それぞれに瑪瑙を十人ずつ部下を付けていた。その総指揮がマルトースというわけだ。前回の石くれ連中とは違い、侵攻に対する意欲も力への忠誠も比べ物にならない選りすぐりだ。


「う~ん、そうですねェ……まずはこちらの世界の人間を捕まえる部隊と侵入者を迎え撃つ部隊に別けなさい。それと、ドラグニカの姫君が見つかったらワタクシに知らせること。いいですね?」


 黒鉄は困惑の表情を見せた。察しが悪い奴だとマルトースは内心で辟易するが、今から戦闘に入るのだ。士気を下げるような真似はしない。


「姫君はこちらの世界の人間と例の力で契約を行っています。それはなぜでしょうねェ? そう、ワタクシたちと戦うためです。だとしたらこの戦場に出てこないはずがないでしょう?」


 マルトースの読みは正しかった。彼女には契約者の他にも協力者がいるだろうということまで読んでいたが、それを部下たちに周知することはしなかった。自分の楽しみがなくなってしまうと思ったからだ。


「ンッフフ……。馬鹿正直にこちらに向かってきましたねェ。人間の捜索はそこのお前の部隊! 戦闘は残りの二部隊で迎え撃ちなさァい!」


 黒鉄たちの目にも突っ込んでくる飛翔体が二つ目に入った。



 *



「先手必勝だ! まず部隊を削る! 撃破が難しければさっさと戦線の離脱だ! いいな!?」


「分かった!」


 入ってすぐ奴らの居場所が分かった。あふれ出る敵意を隠そうともしていないからだ。やはりこの侵入はバレている。しかし、止まる気は毛頭なかった。


(前よりは手強いだろうけど、今の貴方なら倒せない相手じゃないわ。幹部を除いてね)


 ここから感じ取れる魔力の大きさでいうとスジャルクベーダーにも満たない奴らがほとんどだ。明確にあれ以上なのは四人。うち別格が一人。恐らくこれが幹部だ。


「奴らのど真ん中に降りて数を減らす。晴香の方に行きそうな奴がいても追わなくていい。幹部は多分そっちに行かない」


「根拠は?」


「ニュートくんがこっちにいるのは感知しているはずだ。わざわざ去り際に挑発してくるような奴だ。彼女を迎え撃とうとするだろう」


 挑発とは禁術の犠牲となった一般人数人のことだ。初めてニュートと出会った時に追われていたことを合わせて考えると、たしかに彼女を狙いに来る可能性は高いと思えた。


「三秒後に突撃だ。遅れるなよ」


 意外にもニュートは黙ったままだ。ほのかな緊張と静かな怒りが言外に伝わってくる。


 開戦の合図は、俺の着弾ともいうべき着地の衝撃だった。その衝撃に反応し、飛び上がったのが数えられるだけで四体。それ以外はたたらを踏んでいた。


「要!」


 カシモラルの蛍光グリーンの光が降り注ぐ刃となって雑兵たちに降り注ぐ。いち早くその攻撃の雨から逃れた個体がさらに十体ほど。残りは回避が間に合わず手足のどちらかが胴体から離れていた。


「ようやく来ましたねェ!」


 言葉と同時。反射的に防御を固めた左腕に重い衝撃が落ちてくる。見上げた視界に入るのは、山羊のような曲がった角を持つ悪魔のようなグラーダだった。

 魔力量で分かる。こいつがこの集団の長だと。


「お初にお目にかかります。ワタクシの名前はマルトース。『悪食』のマルトースでございまァす!」


 交錯は一瞬で初撃で仕留めきれなかったと判断するや否や、マルトースと名乗るグラーダは飛び退いて慇懃に礼をしていた。


(マルトース……! グラーダの中で三人だけが持つことを許された二つ名持ちよ! いきなりこんな大物と出会うなんて私たちったらツイてるわね……)


 言葉の調子とは裏腹に、交戦前とは比べ物にならない緊張がニュートから伝わってくる。奴はそれほどの相手なのだろう。空中にいる要が他の敵をひきつけてくれている。こいつを相手にするのは俺たちしかいない。


「その懐かしい魔力。もしかしなくてもニュート姫ですねェ……。なんとまあ、醜い姿になってしまって……」


 自分勝手な憐憫が神経を逆なでしてくる。いつでも攻撃できそうなほどに無防備な立ち姿をさらしているマルトースだが、漏れ出す魔力量が攻撃を躊躇させた。


(奴は二つ名持ちの中で一番、禁術で吸い取った人の数が多いと言われているわ。その分、魔力も魔術も桁違いと考えた方がいい)


 今回の任務は人質状態の一般人を助け出し、相手の戦力を削ることだ。つまりこのマルトースも倒すべき敵というわけではない。しかし長引けば要の離脱にも響くし、増援の危険もある。相手の手の内が分からない今は、こちらから先手を打つしかなかった。それを分かっていてマルトースは手招きをしている。


「行くぞ!」


 踏み込みで彼我の距離を消す。低い姿勢でのボディブロウを数発撃ちこむと、マルトースはたまらず後ずさる。


「――ッンン~! 中々、腰の入った良いパンチじゃあないですか」


 嗜虐にまみれた凄絶な笑顔が見えた瞬間、後退の指示を頭が出した。しかし、体は動かない。攻撃を打ち込んだ腕がしっかりとつかまれていたのだ。


 熱が頬に生まれる。脳が揺れるような殴打が連続で打ち込まれた。


「ワタクシの魔法は身体の強化! ワタクシ自身の力! 速度! 耐久! それらを強化し最強の戦士とする! まあ、秘術の影響で他人にもこれを適用できるようになっているんですがねェ? あら?」


 乱打の合間を縫って掴まれていない腕で生成した光球をマルトースの目前で握りつぶす。いくら戦士と言えど、光に対する反射を止めることはそうそうできない。一瞬身が固まって力が緩んだ隙を見て脱出した。


 口の中の血反吐を唾とともに吐き出す。変身していなければ、間違いなく俺の頭はスイカ割りのスイカになっていただろう。原型を留めていたらまだいい方かもしれない。


「ウ~ン……ワタクシの殴打を耐えるその耐久。自信失くしちゃいますねェ」


 全くどの口が言っているのか。こちらの拳はわずかに腹部に傷をつけた程度なのに比べ、あちらの攻撃で頭を揺らされて軽く意識が飛びそうだ。今立っていられるのは、竜装変身による異常なまでの回復力によるものに過ぎない。


 だったら、イチかバチかだ。


「ニュート、ぶっつけだけどアレできるか?」

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