3話-2 『二人の誓い』

「悪かったよ。機嫌、直してくれって」


 頬についたソースを指摘したのがよっぽど恥ずかしかったのか、ニュートはあの後カバンの中に潜り込んでしまっていた。きっと食べたりないと思って取り置きしておいた料理を、お供え物のようにカバンの近くに寄せて、ゆっくりとチャックを開けていく。


「スゥ……スゥ……」


 そこには寝息を立てるニュートがいた。照れ隠しで中に入ったまま眠ってしまったらしい。しかし、隙間から入った光が眩しかったのか料理の匂いに釣られたのか分からないが、彼女は気だるげに頭をもたげた。


「……おあよう」


 ソースはすでに拭ってあったのだろう。眠そうな瞳を差し引いても綺麗な顔立ちだ。


「おはよう、ニュート。夕飯を分けて貰ったから食べて」


「ありがとう。それにしてもここはどこなの? レンリの部屋ではないようだけど」


 意識が覚醒したニュートは首をかしげる。それも当然だろう。俺たちは今ホテルの一室のような部屋にいたからだ。ホテルのようなといっても実際にホテルに泊まっている訳ではない。


「ああ、今日は遅いから泊っていくといいって坂東さんが部屋を貸してくれたんだ」


 そこは事務所の奥の扉を開けた先だった。間取り上では物置すらギリギリ置けるかどうかの狭さしかないはずだったが、その奥にはしっかりした通路といくつかの部屋があった。今いるのもそのうちの一つだ。これがケイラさんの言っていた"誤魔化し"らしい。全くもって異世界というものは、現実に生きていた俺を鼻で笑うように常識を打ち壊しに来る。


「明日は改めてお礼を言わないとね……良かったら飲み物を持ってきてくれないかしら?」


 小間使いに注文をするような口調に思わず苦笑する。こういうところはお嬢様らしい。坂東さんやケイラさん、それに要はこの事務所に住んでいるらしく、キッチンも完備してある。コップに水を汲んで部屋に戻ったが、ニュートは食事に手を付けていなかった。


「食べないの?」


 物憂げな雰囲気に声をかけるのを躊躇していたが、いつまでも部屋の入り口で立ちっぱなしという訳にはいかない。意を決して彼女に呼びかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。心臓がどきりと大きく跳ねる。金色の満月のような瞳が涙でぬれていたからだ。


「隠せると思ったのに」


 ニュートは流れていた涙を静かに指で拭き取る。ダイヤのように輝く涙は、彼女の指先を伝い落ちて絨毯に染みを作った。


「……久しぶりだったの」


 彼女は口を開いた。自分でも意外だったようでアーモンド形の目を丸くする。なぜ話し始めたのか整理がついていないようなので、次の言葉をゆっくりと待つ。


「美味しいご飯、追手じゃない他人……安全な睡眠。全部全部、私が捨ててきたと思っていたものよ」


 夢に見た彼女の過去を想う。幸せなあの光景は彼女の言う通り二度と戻ってこないのだろう。グラーダたちを根絶やしにしなければ元の世界に戻ることすらかなわない。


「みんな良い人よね、底抜けに」


「そうだな。初対面の俺たちを助けてくれたし、何より命がけの仕事だ。打算だけじゃ務まらない」


「あら、みんなの中にはもちろん貴方もいるんだからね? 底抜けの更に底にいるお人好しなんだもの」


 そう言って彼女は控えめに笑う。大人っぽいその笑みは、種族の違うはずの俺がドキリとするほどに美しい。しかし、その控えめな笑い声は空気中に溶けて消えてしまった。


「だからね、不安なの。私のわがままにみんなを巻き込むのが」


「……要たちはこの世界を守るために戦ってる。グラーダたちと戦うのだってそのためなんだから、あまり気負いすぎるのも良くないんじゃないか?」


 次元監察局のみんなが俺たちを助けてくれるのは、俺たち地球人にも実害が出る可能性があるからだ。少なくとも利害が一致しているのだから、ニュートがそこまで思いつめる必要はないはずだ。


 それに対してニュートは首を横に振ってまた笑みを浮かべる。今度は自嘲が含まれる卑屈な笑みだった。


「私はこの世界からあいつらを追い出すだけじゃ満足できないの」


 底冷えするような冷たい声。それでいて何よりも悲痛な彼女の願いは、激情となって堰を切ったように溢れ出した。


「奴らを一人残らず皆殺しにしたい! 地の果てまで追いかけてその体の一片まで全て消し去りたい! ドラグニカに戻って、私の世界を取り戻したい!」


 言葉を挟めなかった。グラーダを倒したときの胸をすくような感覚は、やはり彼女の嘘偽りのない本心だったのだ。今は、一息で叫んだせいか大きく息をついて体を揺らしている。


「……私はそのためだったら、全てを利用する」


「それはっ……!」


 この先を口にすることが出来ない。言葉にすればニュートは必ずそれを成し遂げようとする。そんな不安が俺の喉を締め付けた。

 そんな俺をニュートは正面から見据える。その表情は悲しみや怒りを超えて何も映してはいない。俺の無言の先を引き継ぐように彼女は言葉を重ねた。


「ドラグニカを取り戻すためなら、貴方たちを騙してでも奴らの本拠地に乗り込んでやる」


 声量は抑えられているはずなのに、切り裂くような悲痛さは先ほど以上だった。この少女はどれほどの覚悟でこの場にいる? どんな思いで家族と別れを告げた? あれだけ明るく振る舞っていた彼女の心境は?


 全てを背負い込み、脇目も振らずに破滅へと進もうとするその姿が過去の思い出と重なる。


「それなら、俺はニュートと一緒に地獄まで付き合うよ」


「は?」


 今度はニュートが言葉を失う番だった。立場が逆なら俺も同じ反応を返していたに違いない。


「君の過去を夢で見たんだ。お祭りが近いと父親と話している君は、とても幸せそうにしていた」


「……そうね。だけどその日々はもう戻らない」


 苦々しく彼女はつぶやく。俺だけが彼女のことを一方的に知っているのは不公平だ。だから今から昔話をしようと思う。


「俺には年の離れた幼なじみがいた。家が近かったのと親同士が友人だったのもあって、俺にとって姉のような人だった。誰にでも優しくて、誰からも愛されて。そんな自慢の姉だった」


 心のかさぶたをひっかくと、その時の感情が鮮血のように溢れてくる。古傷はまだ癒えていないらしい。


 突然自身の過去を話し始めた俺に、ニュートは訳がわからないという視線を送っている。あえて無視して話を続けた。


「そんな優しい姉はいつも忙しそうにしていた。次第に俺とも遊ばなくなっていったんだ」


 姉はとても優秀で優しかった。優秀故に色々な問題を抱え込んでしまっていた。優しさ故に厄介な事が彼女を離さなかった。


「多忙を極めていたのが、幼い俺から見ても明らかなほどに彼女はやつれてた。だから、当時の俺は意を決して言ったんだ。『助けになるよ』って。あえなく断られたけどね。そしてその後、彼女は無理がたたって若くして亡くなったよ」


 思わず、深く息を吐いた。ふと我に返ると目頭には必要以上に力が入っていたし、心臓が耳の横に付いているみたいにうるさい。


「それがなんだって言うのよ。貴方はまだ幼かったのでしょう?きっと大した役には立たなかったわよ」


 彼女の眉間に力が入った。言うべきではないことを、思わず言ってしまったという気まずそうな顔をしている。


「だろうね。だけど問題はそこじゃない」


「俺を問題に巻き込みたくなかった姉と、全てを巻き込んででも復讐を果たそうとするニュート。在り方は真逆だけど、あの時の彼女は今の君と同じ姿に見えたんだ」


 一人で全てを背負い込んで、他人を巻き込まないようにする。なるほど滅私奉公。どうしょうもなく美談だ。それも命あっての物種だが。


 ニュートは姉と違い、むしろ積極的に俺たちを巻き込んで目的を達成しようという気概がある。しかし、姉もニュートも、目的のために自分を殺して前に進もうとする。その姿が瓜二つに思えたのだ。


 万が一彼女の願いが叶うとしても、間違いなくニュートは幸せになれない。


「ニュートは優しすぎる」


 初めて会ったあの時も俺に力を貸すあの魔術が成功したから良かったものの、あれはあまりにも部の悪い賭けだった。俺を囮にして逃げていた方がいくらかマシだったはずだ。それでも俺と共に助かる道を選んだ彼女には、他者を使い潰す選択は大きな負担となる。そうなれば、彼女の笑った顔なんて見られなくなるかもしれない。


「優しいニュートだから、夢で見たあの笑顔を現実で見たいんだ」


 笑顔自体は何度か見ている。けれど、そのどれもがどこか陰のある力ない笑みだった。だからこそ夢で見た屈託のないあの笑顔を見られるなら、地獄までついていくのも悪くない。


「貴方、自分がどれだけ恥ずかしいことを言っているか自覚してる?」


 それはもちろん。聞きようによっては愛をささやいているに等しい。耳の先から頭のてっぺんまで熱に浮かされたかのように熱い。はたから見たら達磨みたいに顔が赤くなっているに違いない。


「それでも、助けたいって思ったのは本当だから。『助けたいから助ける』。前も言っただろ?」


 彼女を安心させるように笑ってやる。今の俺は君の絶対的な味方だと言葉だけでなく表情でも伝える。数秒の沈黙の後、先に根負けしたのはニュートの方だった。

 にらみつけるようだった表情を苦笑に変えて尻尾をゆらゆらと揺らす。


「まったくもう。貴方のお人好しは底抜けどころか底なしなのね……いいわ。今から――いいえ、契約を交わしたあの時から私たちは運命共同体よ。私と一緒に地獄に落ちて復讐してくれる?」


 一歩、彼女に近づく。彼女の羽ばたきがその距離をさらに縮める。彼我の距離が限りなく近づいたその時、俺たちは手を取り合った。


「――やってやろうぜ」

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