4話 『逢魔が時に分かれる日常』
坂東探偵事務所で一夜を明かした蓮理は、学校に登校するために日が昇りかけたころに自宅へ戻っていた。
「ニュートはどうする? 学校にいる間はあまり外に出られないだろうし、坂東さんのところにいるのもいいと思うけど」
事務所を出るときに確認してみたら、ニュートはすでに入り込んでいたスクールバッグからなにかふわふわしたものを取り出しながら胸を張る。
「私のことなら気にしないで。この中の居心地も気に入っているのよ」
彼女の持っていたのはふわふわした兎のぬいぐるみだった。晴香さんあたりがプレゼントしたものらしい。
「一応、認識阻害のネックレスをケイラさんから貰ってるからついてくるのは構わないけど、あまり外に出てこないようにね」
「分かってるわよ」
そんなこんなで家を出たあともバッグの中にはニュートがいた。結構な重量を感じるが、野球部なんかの大きなバッグなら毎日こんなものだろう。
「何か失礼なこと考えてないかしら?」
「ソンナコトナイデスヨ?」
バッグ越しで聞こえるくぐもった声の圧が強い。思わずカタコトの敬語になってしまった。たまらず視線を外すと、視界に入ってきたものがあった。
「あの、持ちましょうか?」
大きなゴミ袋をいくつも持った主婦らしき人だ。何度も往復するのが億劫だったのだろう。どう考えても一人で運ぶには無理がある量を目一杯抱え込んでいたのだ。
「あら、いいの?」
「ご迷惑でなければ。見るからに大変そうですし放っておけませんよ」
エプロン姿の主婦は恥ずかしそうにはにかむ。
「一昨日大掃除したらこんなにゴミが出てきちゃって……やっぱりお掃除は小まめにしないと駄目ね~」
彼女の手から特に重そうな袋をいくつか受け取って両手に抱える。ゴミ捨て場まではそこまで距離はなかったので、軽い世間話をしていたらすぐに着いた。
女性と手を振って別れる。エプロンのポケットに入れていたという飴をもらったので口の中でコロコロ転がす。いくつか貰ったのでニュートにも渡してやると、よほど気に入ったのかバッグから感嘆の声が聞こえてきた。
「あっ」
大きな荷物を背負った老人がふらふらと歩いているのを見つけてしまった。見つけたからには放っておけずに声をかけていた。
その後もいくつか困っている人の手助けをしていたら、思っていた以上に時間がかかってしまった。普通なら徒歩で三十分もかからない通学路だったが、着いた頃には校門前の生徒がまばらになっていた。
「いつもこんなことやってるの? 時間ギリギリじゃない」
「さすがに今日は多かったよ」
「……いつもやっているのね」
小声でニュートと話しながら下駄箱に靴をおいていると予鈴がなる。慌てて教室に入ると隣の席に座る須田に声をかけられた。
「おう、大丈夫だったかレン」
「大丈夫って何が?」
「お前先週から風邪って聞いたぞ? こんなに休むとかどんだけ拗らせてたんだよ」
休んでいた間のことは要が学校に連絡したと言っていたが、風邪で休んでいたことになっていたらしい。ここは話を合わせるしかない。しょうがない部分はあるが少しだけ罪悪感がある……。
「俺もこんなに続くとは思わなかったよ。熱ものどの痛みも全然引かなくてさ」
そんな他愛のない話と共に、休んでいた間の話題で盛り上がっていると担任が朝礼にやってきた。学級委員の号令で挨拶が済むと、彼はこちらに視線を送ってくる。
「お~蓮理。大変だったみたいだな。誰か、休んでた間の授業とか教えてやってくれ」
「はい! 俺がノート見せます」
須田が名乗り出てくれたおかげで朝礼の話題は次に移る。そこから昼休みまでは授業内容に遅れを感じるとはいえ、いつも通りの学校生活が過ぎていった。
「先輩。お昼一緒に食べませんか?」
昼休み。通学途中のコンビニで買っていた昼食を広げようとした矢先、教室中がにわかにざわついた。特に女子の割合が大きいように感じる。それもそのはず、やってきたのはモデルや俳優顔負けの美貌を備えた要だったのだ。
他のクラスメイトの手前、一応敬語で話してくれている。
「うん、じゃあ静かなところに行こうか」
後輩が上級生の教室にいるというだけで奇異の目を向けられる。それが今話題の転校生であるなら即座に囲まれて私的な話などできるはずがない。
コンビニの袋をひっつかんで、要を半ば強引に先導する。要は少し遅れてニュートのいるスクールバッグを肩に下げていた。やはりというかなんというか、彼女を連れていくということは異世界がらみの話題のようだ。
「……ここなら人も来ないかな」
たどり着いたのは屋上に続く階段の踊り場だ。以前は素行のよろしくない生徒のたまり場となっていたが、ある事件をきっかけに色々な意味で学校に来ることができなくなったので、今はまるっきり人がいない。
「午前の授業お疲れ様。なかなか面白かったわ」
人の気配を感じなかったからか、ニュートはバッグから顔を出す。菓子パンの端っこをちぎって渡すと、顔をほころばせて頬張った。
階段の適当な段に俺たちは腰を下ろしてそれぞれのお昼を広げる。要は家から弁当を持参していたようだ。
「それにしても、すっかり要も人気者みたいだな。休んでる間の話題の半分はお前のことだったよ」
これだけ眉目秀麗で運動も勉強も完璧な転校生がいたら上級生でも話題になるのも当然だ。しかし、当の本人は無表情のまま困ったような雰囲気で首をかしげている。自身の特異性に無頓着なその反応がなんだか可笑しくて微笑ましく思えてしまう。
「それを言ったら蓮理だって。蓮理がどんな人かって聞いたらみんな似たようなことを言うんだぞ? 『人助けの鬼』とか『助っ人マン』とか、変なのだと『問題解決装置』とか」
あーあったなそんなあだ名。面と向かって言われたことはないが、誰かが俺をそう呼んでるのは聞いたことがあった。
「うふふ、全く。どれもレンリにぴったりじゃない」
「まあ俺が好きでやってることだからなぁ。馬鹿にされてないのならいいや」
少なくとも人間関係で不自由を感じたことはない。つっかかってきた相手の喧嘩に応じたことはあるが、言ってみればそれくらいだ。
「そういえばニュートも連れてきたってことは仕事絡みで何かあったの?」
「ああ。時空の歪みが発生しかけてる。夕方くらいにはどこの世界と繋がったかが分かるそうだ」
事前に発生を予測できるのなら、ニュートの時も後手に回ることはなかったのではないだろうか。そんな考えが顔に出ていたのか、要は次の言葉を続ける。
「出現位置が分かってもそもそも異世界人が現れないこともある。どこの世界と繋がるかも予測できないしな。そのうえ、今の真宵市は歪みが発生しやすくなっているから、すべてに対応しようとすると後手にまわざるを得ないんだ。ドラグニカへの対処は俺たちもどうにかしようとしているんだが……」
申し訳なさそうに言われてしまうとこちらも責められない。ニュートもなにか言いたそうだったが、その言葉を飲み込んだようだ。
「反応が微弱な歪みはそれほど規模が大きくないから晴香の式神でも十分なんだが、如何せん数が数だ。まさに猫の手も借りたいほど人手が足りなかったんだ。今回の場合は竜の手だけどな」
俺とニュートは顔を見合わせた。視線の先に揺れていた彼女の手を握る。鱗がひんやりとして気持ちよかったのだが、無造作に振りほどかれてしまった。
「カナメも冗談を言うのね……それはそうと、今回の歪みとやらは私たちが対応する必要があるくらいには大きなものだという認識で間違っていないかしら?」
要はうなずく。彼と共にその歪みを観察し、グラーダおよび他の異世界人が現れたなら対処をするのが今回の仕事らしい。
「それにしても俺たちが学校に行っている間は晴香さんたちだけで歪みを見張っているのか? ただでさえ人手不足なのに大変じゃないか?」
「その点に関しては問題ない。夕方の時間は逢魔が時と呼ばれるように、異世界とこの世界の境界が曖昧になりやすい。逆に言えばそれ以外の時間は最低限の監視だけでも大丈夫なんだ」
ニュートがさらに何かを質問しようとしたその時、昼休み終了五分前のチャイムが鳴った。彼女が口を閉じてひとまずお開きという空気を見せたため、俺たちも荷物を片付けて階段から立ち上がる。
「じゃあ、午後の授業も頑張ろうぜ」
教室のある階が違うため階段で要と別れる。換気のためか廊下の窓が開いていて、流れ込んでくるひんやりとした空気が気を引き締めさせる。
彼らに関わった際の命のやり取りを考えていないわけではなかった。それでもこの時の俺は見通しが甘かったのだと言わざるを得ないだろう。
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