3話-1 『坂東探偵事務所』
グラーダとの戦いに勝利したにも関わらず、俺たちの足取りは決して軽やかではなかった。助けたはずの一般人に被害が出てしまったからだ。
「……切り替えよう。今は新たな犠牲者を出さないためにも情報を共有すべきだ」
助けを求めて虚空に手を伸ばしたであろうあのシミ。要さんのようには切り替えられなかったが、それを口に出そうとは思わなかった。今はそれよりも気になることがあったからだ。
「今ってどこに向かっているんですか? それと、情報の共有っていうことは他にも仲間の人がいるんでしょうか」
今歩いているのは真宵市の中でもいわゆる夜の店が立ち並ぶエリアだ。時間的にはそれらの店が営業を始めるところ。必然、学生の俺たちは客引きからの無遠慮な視線にさらされることになる。
「俺たちの活動拠点だ。しばらく真宵市で行動するからな。俺たちの……仕事仲間もそこにいる」
なんとなく歯切れの悪い返事を返しながらも、要さんは迷いなく歩を進める。ニュートはどうやっても目立ってしまうためスクールバッグの中で大人しくしていた。
要さんと晴香さんの二人が足を止めたのは、築年数がかなりありそうなくすんだ色のコンクリートで建てられた雑居ビルの前だった。階段脇の案内を見ると一階にはカフェ、二階には何かの事務所、三階には雀荘が入っているらしい。
「ここの二階にある坂東探偵事務所は、俺たちの組織の表の顔だ。馬鹿真面目に次元監察局を名乗るわけもないしな」
それもそうだ。しかし、人々の生活の裏で暗躍する秘密結社の事務所がこんな寂れた雰囲気なのは少し意外だった。
こちらの内心を読み取ったかのように晴香さんが天真爛漫という形容が似合う笑顔で補足を加える。
「大丈夫! こんな感じなのは外見だけで、中はかなり綺麗だから!」
寂れた外見は大丈夫じゃなくていいのだろうか。
所々が欠けた焦茶色のレンガ風のタイルが敷き詰められた階段を二人の後を追って登っていく。スモークの入ったガラスがはめ込まれた事務所の扉も、よくある見た目だ。
「鳩谷要、ただ今戻りました。それと新人も一緒です」
「同じく晴香ちゃんも戻ったよ~」
事務所の中は晴香さんの言う通り、整然としていて思っていたよりもずっと綺麗だった。
二人の呼びかけからたっぷり十秒ほどの沈黙。奥から人が出てくる気配はなかった。
「晴香」
要さんの呼びかけを聞く前から晴香さんは式神を飛ばしていた。一瞬で目的を探し出したようで、ふくれっ面になっている。
「あのオジサン、ま〜た上で遊んでるぅ!!」
確か、上の階にあったのは雀荘だったはず。そう思ったのもつかの間、ドタドタと実に騒々しい足音が階段を駆け下りてきた。
「痛いっ! 痛いって!」
ウェーブがかかった長髪を頭の後ろで無造作に束ね上げた無精髭の男が、晴香の鳥を模した式神につつかれながらやってきたのだ。
良く言えば一昔前に流行ったちょい悪、悪く言えばだらしがない。そんな彼の第一印象は、雀荘から駆け下りてきたのもあって圧倒的に後者だった。
「まだ会計のお釣り貰ってないんだから急かさなくたっていいじゃないの……ん?」
そこでようやく目線が合った。露骨に『コイツ誰だよ』という表情をしている。
「えっと……どうも」
無精ひげの男が露骨に目線を泳がせる。きっと自分の中の記憶を探っているに違いない。しかし、その結果は芳しくないようだ。
「昨日報告した被害者だ。交渉の末協力関係になったことも先刻伝えていたはずだろう?」
「あ~そういえばそんなん聞いてたなァ! いやぁすまん、すまん。年取ると忘れっぽくなって困っちゃうね~まったく!」
いまだに目線がそこかしこに飛んでいたが、話が進まないのでツッコむのはやめておこう。その代わりに、要さんたちの方に向き直る。
「次元監察局の人はこの三人で全員ですか?」
「いや、あと一人いるんだが……近くまで来ているか?」
要さんは首を横に振った後、晴香さんの方を見る。先ほどから式神を飛ばしていた晴香さんは、タイミングを計ったように顔を上げた。
「うん、ちょうど帰ってきたみたい。入り口の階段をのぼってくるのが見えたから」
間を開けずに事務所の扉が開く。そこにいたのは、動きやすそうなジャージに身を包んだ女性だった。透き通るような頬はうっすらと朱に染まり、エメラルド色の瞳とのコントラストが鮮やかだ。後頭部で括られた柔らかな金髪は、運動後の汗でつやめいている。晴香さんも美人だと思ったが、彼女も負けず劣らずの美女だ。
「ただいま。あら、その子がさっき連絡来てた新人? 高校生なのね。要くんたちと仲良くしてくれたら嬉しいわ。それと、いつまでお客様を立たせるつもり?」
こちらはしっかりと俺のことを把握していたらしい。自分の中で男の方の評価が若干下がるのを感じる。ソファーに案内される間に、晴香さんが俺たちそれぞれにお茶を入れてくれた。
「よし! 面子も揃ったことだし自己紹介といこうか! まずは僕からしていくよ!」
鳥型の式神がようやく離れ、乱れた髪を直し終わった男が手をあげた。俺を含めて異論はないようで、彼は上機嫌で自己紹介を始める。
「僕の名前は
「一応、俺たちのリーダーだが戦いでは役に立たないからそこは留意してくれ」
「一応ってなに!? 確かにみんなと比べたらもやしもいいとこだけどさ、年上は敬おうよ!?」
「ケイラさんは私たちも敬ってるよ?」
それを聞いたジャージの女性は誇らしげに胸を張る。こちらの女性はケイラさんという名前らしい。
「ま、まあ……こんな僕でも責任取ったり表の仕事を引き受けたりは出来るからね。もしもの時は言ってくれるといいよ」
表の仕事……。探偵業も実際に営んでいるらしい。カモフラージュをする必要があると考えるとそういう人もいるか。それが裏の仕事のリーダーも務めているらしいのはどうかと思うが。
「そういえば、探偵ってどういう仕事してるんですか? 電柱に張り紙が貼られているのを何度か見たことがあるんですけど」
殺人事件の解決や未解決事件の真犯人を探すなどはフィクションだというのは分かっている。やっぱり定番は人探しやペット探し、浮気調査などだろうか。
「そうだなぁ……。最近だと犬猫探しとか浮気調査とか……」
やっぱりそういうのは定番らしい。
「あとは、旅行で行った山荘で起こった殺人事件の謎を解いたり、依頼で知り合った人が過去に遭遇した事件を解決したりしたなぁ」
坂東さんは昔を懐かしむようにとんでもないことを言う。ふざけて冗談を言っているのかと思い、要さんたちのツッコミを求めて見回すと彼らも感慨深げに頷いていた。フィクションじゃないのかよ。
「それじゃあ僕はこれくらいにして、次はケイラ!」
いつの間にかいなくなり、プロテインを片手に持って戻ってきたケイラさんはすらっと伸びた指を自身に向けて私? という顔をしている。
「あっコースケの話は終わったのね?」
本当に興味がなかったというその態度に坂東さんは「よよよ……」と噓泣きし始める。彼のこの事務所での扱いはいつもこんな感じらしい。
「私の名前はケイラ=アーデント。マギドールという異世界出身よ。年は……隠す必要もないか。今年で二十六よ。趣味は筋トレ、特技は幻術系の魔術ね。要くんが空を飛んでも一般人が気にしないようにする術だったり、この事務所の敷地面積をちょっとだけ誤魔化したりするのに使っているわ」
夕方に要さんが言っていたのはケイラさんのことだったのか。それにしても純粋な異世界人というのをニュート以外で初めて見た。しかし、最初ほど魔法という言葉に驚きはない。
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね」
坂東さんより近い距離にいたので、握手を求めると笑いながら返してくれた。本人はとくに力を入れた様子はないが、筋トレが趣味というだけあってなかなか力が強い。
「私たち二人の初対面組の自己紹介は終わったことだし、次は貴方のことを教えてちょうだい。要くんと晴香ちゃんは少しは話をしたでしょう?」
そう言われていまだに名乗っていないことに気づいた。
「今の今まで名乗らずにすみません。俺は佐伯蓮理っていいます。真宵高校の二年で、趣味は……バラエティ番組を見たりですかね」
趣味も特技も人助け。そんな返答をすればおかしな奴だと思われるのは経験則として知っている。だから最近は適当な答えで誤魔化していた。
「佐伯……佐伯蓮理くんか。いい名前だね」
坂東さんが表情を崩す。それにしても、佐伯という名字になにか思うところがあるような間だった。知り合いでもいるのだろうか。
「二年生ってことは要の一個上ね。しかも真宵高校ってことは彼の先輩になるってことじゃない! 仲良くしてあげてね」
ケイラさんが嬉しそうに笑う。そんなことより、要さんが一個上? ってことは今は一年生ってことか? モデルのような大人びた容姿や落ち着いた言動から、完全に年上だと思っていた。そんな驚きを込めた俺の視線に要さんは無表情のまま肩をすくめる。何とも器用だ。
「年の近い友人がいなくてうまく話せないんだ。不快に思ったなら謝るよ。だからと言ってはなんだけど、蓮理もあまりかしこまらないでいてくれると助かる」
形のいい眉を下げて頬をかく姿は年相応といっていい幼さが見えた。
「俺も中学の時は部活に入ってなかったからさ。先輩後輩の上下関係とか正直ピンとこないんだ。だから、要……は今のままでいいし俺も普通にしてみるよ」
我ながらフォローが下手だな。でもまあ二、三年も離れていない高校生同士だったら最低限のリスペクトさえあれば構わないと俺は思う。
「そうか。そういえばニュートくんが顔を出さないが、今はどうしているんだ?」
変身を解いてから、彼女はバッグの中に姿を隠していた。先ほどからあまり動かずに大人しくしていたからすっかり意識の外だった。
スクールバッグを開けると寝息を立ててぐっすりと眠るニュートの姿がそこにあった。復帰早々の大立ち回りで疲れてしまったのだろう。
「わぁ……綺麗な子だね。この子が要の言っていた亡命者かい?」
いつの間にかその場の全員が中を覗き込んで頬を緩めていた。今のニュートにはあの痛々しい包帯は巻かれておらず、その鱗の輝きをこれでもかとさらしている。これはニュート自身も知らなかったことなのだが、俺との一体化を行うと彼女の肉体にも回復力などの影響が出るらしい。
「ああ。さらに言うとこの真宵市で起こっている異世界がらみの事件への協力も申し出てくれた。蓮理と二人、力強い味方だろう」
表情はほとんど変わらない分、要の言葉はストレートに彼の思いを伝えてくる。ここまで頼りにされるとなんともこそばゆい。
軽くゆすってみてもニュートは目を覚まさなかった。ついこの間までの逃走生活で気を緩める暇さえなかっただろうから、今日は寝かせたままにしておこう。
その後は要や晴香さんの自己紹介が続いた。要は今週から真宵高校に転入していて、学校生活の傍ら学校生活を送っているそうだ。晴香さんは今年で19になるそうで、高校を卒業してから監察局のメンバーとして活動しているらしい。
「よぉし! 何はともあれ今日は二人の歓迎会を開こう! うん、そうしよう!」
「所長は騒ぎたいだけでしょ~? まあ私も歓迎会は賛成だけど~」
歓迎会のためにと取った出前の料理を囲んでわいわい騒いでいるとさすがのニュートも目を覚ました。坂東さんとケイラさんの簡単な自己紹介を聞きながら料理に手を伸ばしている。ニュートの食性がよくわからなかったが、人間と同じような食事をしても問題ないようだ。
ピザに寿司にオードブル。ニュートの手足にはしっかりとした指があり、それを器用に使って次々と料理を口に運んでいく。よく考えてみれば僕らが出会ってから彼女は何も口にしていない。どれくらいの期間なのかは想像もつかないが、グラーダたちから逃げている間も似たような生活だっただろう。
「……美味しい」
「それは良かった。出前を取った甲斐があるってもんだよ」
不意に伸ばされた坂東さんの腕を彼女は払いのけようとしなかった。彼の手のひらがニュートの頭を優しく撫でる。柔らかな表情で坂東さんは口を開いた。
「僕たちは君の味方だ。もちろん、蓮理くんとの命のリンクのことは理由の一つだ。けれどそれ以前に、助けを求める人に手を差し出さない人間はここにいないということも覚えておいてほしい」
坂東さんが話し始めたあたりからニュートは手を止めていた。彼女が他のみんなの顔を順繰りと見回すとそれぞれが肯定の反応を示す。最後に俺を見たニュートの瞳が不安げに揺れる。最大級の大丈夫を込めて、俺は静かに親指を立てて頷いて見せた。
彼女の表情が目に見えて明るくなった。同調を行った結果か、俺自身が慣れたのかは分からないが、彼女の表情をずいぶんと読み取れるようになっていた。
「ドラグニカ王国国王、ファーレンス=ドラグニカの
王族の気品あふれる優雅な一礼。凛とした声音は感謝されたはずのこちらが頭を下げてしまいたくなるような不思議な魅力があった。
……口の端にピザソースがついていなければだが。
「ニュート。ここ、ここ」
俺は自身の頬を指さしてニュートに合図する。それだけで全てを理解した彼女は、それっきり丸くなって顔を見せなくなってしまうのだった。
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