2話-2 『亡命の竜姫』

 要さんに対して予想外な提案をしたニュート。ふくらはぎが攣って、声にならない悲鳴を俺が上げている間も二人はこちらを顧みることはない。


「どういう風の吹き回しだ? 保護を求めるのはわかる。しかし、わざわざ俺たちに協力を取り付ける必要はないだろう」


「簡単な話よ。交渉というのは互いに利益を提供するものでしょ? あなたたちは、手が回っていないこの事件で侵略者を倒せるレンリという協力者を得られて、私は少なくとも処分されなくて済む。悪くない話じゃないかしら」


 ニュートの推測が本当に正しいなら、要さんにとっても助力はありがたいもののはずだ。しかしそれ以上に、対等な関係を築けるのは彼女にとって大きな意味がある。


 亡命の姫君から、事件解決の協力者へと立場が変わる。


 彼女の性格や立場上、一方的な庇護を良しとしないのはよくわかっていた。彼女は助かった後のこともしたたかに考えているようだ。


「それは俺の一存では判断できない」


 要さんは首を横に振りながら申し出を断った。上司の指示を仰ぐ必要があるのだろうか。

 社に持ち帰って検討する、なんて常套句が後に続くのかとか考えていたら、いきなり彼は俺の方へ向き直る。


「蓮理次第だ。君が協力的でないのなら、この提案はそもそも機能しないだろう。もしも君が望むなら我々の手で元の生活に戻すこともできる。彼女と結んだ生命のリンクも心配はいらない。絶対に彼女が危機にさらされることはないと約束しよう」


 思わずつばを飲み込んだ。最後の判断をするのは俺だと彼は言っているのだ。

 決断次第で、俺は元の生活に戻れる。


 命のやり取りも、持て余すような力もすべて手放して自由になるというのは、正直なところ喉から手が出るほどに魅力的な提案だった。

 戦うのは怖い。殴られたり切り裂かれたりした感覚は今も肌に残っている。なにより、自分が彼らを攻撃した生々しい感覚はそれ以上だ。


「……それでも」


 知らず知らずのうちに言葉がこぼれていた。要さんが怪訝そうな表情を浮かべているのにも気づかずに、その続きを今度はしっかりと自分の意思で声に出す。


「それでも、ニュートを助けたい。これは俺が決めたことなんだから、それを最後までやり遂げたいんだ。もちろん、この前みたいなやつらと戦うのは怖い。怖いけど、誰かを助けるのを投げ出すのはもっと怖い。きっといつまでも後悔する思い出になると思うから」


 この想いはこの場の誰にも伝わらない。しかし、これだけは俺の譲れない一線だった。


「困っている人がいたら助けてあげる。これが俺の譲れない一線なんだ」


 二人の顔色をうかがう。すまし顔のニュートの尻尾は左右に揺れていて、嬉しさが隠せない犬のようになっていた。要さんはというと、口の端がわずかに持ち上がっていた。それが初めて見た彼の笑顔だった。


「……それがお前の決断なら俺は何も言うまい」


 要さんの苦笑を皮切りに、場の雰囲気が一気に緩む。彼が譲歩する形になったが、この交渉の場の空気を握っていたのは間違いなく要さんだったのだと思い知る。


「試すようなことを言ってすまない。君たちがグラーダのスパイという可能性をつぶしておきたかったんだ。正直なところ、人手不足で困っていたのは事実でね。協力者になってもらうというのは願ってもない申し出だったよ」


 少しだけ砕けた口調に面食らってしまう。どうやら公私を分けるタイプらしい。


「ならさっそく仕事といきましょうか。さすがにこのかごの中にずっといるのは気が滅入るわ」


 鳥かごのようなものに入っているニュートは内側から柵を叩く。


「そうだな。ニュートくんの怪我も問題ないようだし開放しようか。蓮理は動けるか?」


 筋肉痛はあったが、動いていれば問題なさそうだ。俺は問題ないと頷きを返してゆっくりと立ち上がる。うん、大丈夫。


 ニュートの方も数日ぶりに羽根を広げて伸びをする。プルプルと首を振りながら気持ちよさそうにしていた。


「早速だが今から現場に向かうぞ。今回時空の歪みが観測されたのは、前に蓮理を助けた河川敷だ」


 河川敷までなら五分もかからない。そう思い、玄関を出て歩き出そうとすると要さんに引き留められる。


「こっちの方が早いだろう」


 振り返ると、彼は宙に浮いていた。彼を浮かべているのは近未来風のデザインをしたブーツがはきだす淡い蛍光グリーンの光らしい。手を取れという風に右腕を伸ばしている。


 彼の手を取ると、俺の体も持ち上がる。重力を感じなくなるというわけではなく、リフトで持ち上げられるような浮遊感があった。それを生み出した超技術の存在を感じて舌を巻いてしまう。

 俺に続くように要さんにおぶさるようにしてニュートが張り付く。


「私も乗せていってくれるかしら?」


  要さんはやれやれと首を振る。しかし、その仕草に反して俺たちを抱えてなお余裕があるようだ。


「この家からなら南の方に進むと真宵川があるので、ひとまずそこに行ってもらえると」


「了解だ。揺れには気をつけろ」


 その言葉とは裏腹に、要さんの履くブーツは静かに高度を上げる。声を上げる間もなく俺たちの目下に家々の屋根が広がった。


「他の人から見られるのって大丈夫なんですか!?」


 思わず焦りを言葉にする。これだけ目立っていたら、神隠し事件なんかよりも話題になってしまう。


「問題ない。人の意識を逸らす術を俺の仲間がかけてくれているからね。任務が終わったら紹介しよう」


 それを聞いて感心したようにニュートがうなる。


「本当に色々な技術があるのね……。勉強になるわ」


 空を行く俺たちは、五分どころか三分足らずで目的の真宵川にたどり着く。近づくまでは気が付かなかったが、そこには目に見えない壁のようなものがあった。グラーダたちの張った結界だろう。


「これから結界の中に侵入する。恐らくすぐに戦闘になるから二人とも気をつけろ」


 言葉とともに何か紙のようなものを取り出した要はそれを結界に張り付ける。すると、そこには人が一人通れるような空間の穴が開いた。


 その穴を潜り抜けると、明らかに空気が変わった。見えている街並みは変わらないはずなのに、張りつめた緊張感が体を強張らせる。


「見ろ。あそこのテニスコートで人が追いかけられている。悪いがこのまま突っ込むぞ」


 ああ、とかうん、とか答える前に速度が上がった。


「あ……うわああああ!?」


「キミたち、この場から一刻も早く離れろ!」


 土煙を上げて地面に降り立った俺たちは、異形の者たちの行く手を阻むような位置に立っていた。襲われていた一般人数名が遠くへ逃げ去るのを見届けてから、険しい顔で要さんは振り返る。


「警告する。この世界では一般人を襲うことは禁じられている。死にたくなければ武装を解除し投降しろ」


 しかし、グラーダたちは臨戦態勢を解く気がないようだ。要さんもこうなるのが分かっていたようで、もうすでに身構えている。


「早速だ。蓮理、ニュートくん。共闘といこうじゃないか。キミたちの力も見ておきたいしな」


 協力するとは言ったものの、ぶっつけ本番でいけるのか。ちらりとニュートの方に目線を送ると、余裕の表情をたたえていた。


「大丈夫。式句さえ唱えればあなたはもう一度あの姿になることができるわ。もちろん、覚えてるわよね?」


 そこのところは心配いらない。竜の姿に変身するあの不思議な言葉は、その記憶だけが縁取りされたかのようにくっきりと頭の中に思い浮かぶ。


竜装変身ドラグニュート


 式句と同時にニュートの姿が光になって消える。光は俺を包み込み、竜の姿へと作り変える。瞬きもしないうちに、俺とニュートは竜人になった。


「なかなかカッコイイじゃないか」


 眉を上げた要さんの賞賛の言葉に、二枚の翼をはためかせる。筋肉痛の感覚はすでになく、代わりに気力と体力に満ち溢れていた。


「逃亡中の姫の力だ……。異世界人が姫の力を使った?」


 グラーダたちの表情がより一層厳しいものになる。この驚き方を見るに、ニュートの情報は向こうに持ち帰られていないらしい。俺たちと要さんが倒したあの部隊はあれで全部だったようだ。


「危険だ。今ここで潰さねば」


 今度の相手は十体。色々な動物の頭を人間のような体に乗せた獣人たちの部隊が、統率の取れた動きで蓮理たちを円で取り囲む。数に任せた包囲網で一気に叩こうという算段らしい。それに対して要さんは、焦るでもなくぽつりとつぶやいた。


「下策だな」


 次の瞬間、彼は空にいた。


「空を飛ぶ敵相手に平面的な円で追いつめようとするなんて、馬鹿としか言いようがないな。鳥型の個体は俺が上に行くのを警戒しているべきだった」


「……そして、そんなこともできないからこうなる」


 そう言って何もない空間を蹴り上げたと思うと、鳥型の怪人二体の翼が根元から千切れた。二体は悲鳴を上げて倒れ伏し、状況が理解できない他の怪人に動揺が広がる。

 竜人化で強化された動体視力ですらその攻撃を目で追うので精いっぱいだった。彼の空飛ぶブーツから放たれた光が、刃となって敵の翼を切り裂いたのだ。


(私たちも負けてられないわね)


 ニュートの意識が、無防備に空を見上げるグラーダたちを指し示す。攻撃してくれとでも言わんばかりのその相手の横っ腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。


 変幻自在に飛び回る要さんが敵をかく乱、迎撃し、その隙をついて俺が拳や蹴りを叩き込む。戦い慣れした要さんが戦場を支配していたこともあり、ものの数分で一人を残してグラーダたちの部隊は壊滅してしまった。


「答えろ。お前たちの目的はなんだ」


「ぐっ……誰が教えるかよ」


 要さんから足蹴にされた犬頭が啖呵を切る。こんな状態でも情報を渡す気はないようだ。敵ながら見上げた根性というべきか。


(ふん、あんな下っ端、なんでこっちに来てるのかなんてきっと知らないわよ。奴らの親玉と一部の取り巻き以外は、暴れたくてこの世界に来てるに違いないわ)


 馬鹿にしたような態度を隠しもしないニュート。元の世界の仇ともなれば、その内心は穏やかではないのだろう。


 グラーダの悲鳴が上がる。視線を向けると、右腕が離れた肩口から大量に出血している。例の光の刃によって切り裂かれたらしい。とんでもなく凄惨な現場なはずなのに、なぜか胸がすくような感覚が俺の中に生まれた。


「ニュート……?」


(思考が一緒っていうのもいいことばかりじゃないわね……)


 ばつが悪そうなニュートの声。今のはニュートが覚えた感覚のようだ。異性の着替えを覗いてしまったかのような気まずさが俺たちの中に横たわる。


「今なら切断した腕の治療も間に合うだろう。死にたくなければ何か情報を吐け」


 悲鳴を出し尽くして大人しくなった獣人に再度言葉をかける要さん。しかし、そいつは命乞いをするどころか、壊れたおもちゃのようにケタケタと狂ったように笑い出した。


「ハハ、ハハハハッ! ゴッ……ガァ……」


 笑いが止んだと思えば、今度は動かなくなってしまった。


「情報は得られずか」


 要さんと顔を合わせて逃した一般人を助けに行こうとしたその時、ニュートの感覚がグラーダの死体を警戒するよう振り向かせた。

 そこにあった死体は、いつの間にか水の中に何時間もさらされたかのように醜く膨らんでいた。そのうえ、およそ生物とは思えない不可解な動きで立ち上がろうとしている。


(禁術の暴走!? いや違うわね……誰かが死体を操ってる)


「この結界内に別の術者がいるみたいです! そいつがあの死体を操ってるって!」


 ニュートの声を要さんに伝える。それを聞いた彼は例の光の斬撃を死体に向けて放つが、皮膚を少し裂いたのみで先ほどのような威力は発揮されなかった。どうやら頑丈さも増しているらしい。


「一般人の救助も完了していないというのに、厄介なことになったな……」


 せいぜい二メートルほどだったグラーダはすでに三メートルは超える巨躯の怪物になり果てていた。これだけの体格差があると、俺たちの力もどれほど通じるのか分からない。


 一瞬のにらみ合いの後、隻腕の怪物が先に動いた。狙いは要さんだ。先に打たれ弱い方を倒すつもりらしい。


「チッ……!」


 驚異的な速度の飛込みを要さんは間一髪で避ける。しかし、怪物の猛追は止まらない。上空に逃れた彼の足をつかもうと手を伸ばしたのだ。ブーツの出力を上げ、右手側に回避することで難を逃れた要さんだったが、体勢を崩して勢いよく河川敷の土手に激突してしまう。


「要さん!」


呼びかけてみるが、返事はない。意識を失っているか、返事が出来ない状態のようだ。どちらにしろまずい状況だ。

 獲物をつかみ損ねた怪物の視線がゆっくりと要さんの方へ向く。振り上げられるぶよぶよの腕は、断頭台のギロチンのようにも思えた。


 助けないと! そう思った時には体が動いていた。飛び出した勢いのまま、怪物の膝裏に蹴りを打ち込む。


(重たいわね……!?)


 変身しないでそこらの木を蹴ったかのような手ごたえが返ってくる。その一撃で体勢をわずかに崩した怪物は注意をこちらに向けた。しかしどうすればいい? パワーじゃまず勝てそうにないことは今ので分かった。


(魔力光ならチャンスがあるかも。竜の咆哮ドラゴンロアって名付けたアレよ)


 確かにあの威力なら倒すことはできそうだ。しかし、魔力のコントロールというものに慣れていないため、ある程度準備が必要になる。要さんがしばらく動けそうにない今、どうやってその時間を捻出するかが問題だ。


「とりあえず要さんが回復するまでこっちで受け持とう。そのあとのことは……その時考えよう!」


 ニュートがため息をついて呆れているのが分かる。命のやり取りの場で問題の先延ばしは、あまりいい案ではないということはわかっている。だけど、今の俺たちが助かるにはそれくらいしか方法がない。


 一触即発の間合い。どちらが先に動いても残るのは片一方。鱗の上を汗が伝っていくような錯覚を覚えたまさにその時、底抜けに明るい女性の声が頭上から響いてきた。


「ごめ~ん! 遅れた! カナメくん大丈夫~!?」


 降ってきたのは怪物に勝るとも劣らない身の丈の四つ腕の大男。その乱入者はあっけにとられて動けない蓮理たちを置いて、得物である電柱のような長槍で怪物の横っ腹を強烈に打ち据えた。


「ナイス金鬼きんき! とりあえずそいつやっちゃって!」


 大男に隠れて気づかなかったが、先ほどの声の主らしい女性も地面に降り立っていた。振り向いた先にいたのは、パンクな衣装に身を包んだ年上の美女だった。

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