2話-1 『次元監察局』
*
大きな石造りの城にいた。天井に吊り下げられた照明が豆粒に見えるほど広い空間に、巨大な生物が横たわっている。荒唐無稽なその光景が、現実のものではないとすぐに自覚する。
「お父様、お疲れですか?」
自分の口が開いたと思ったら、鈴のような可愛らしい声が零れ落ちる。今のような険しさがないせいで、その声がニュートのものだと気付くのに時間がかかった。
これはニュートの見ている夢らしい。そしておそらく、彼女がこちらの世界に来る前の平和な過去の夢だ。直感だったが、間違ってはいないという確信があった。
「おお、ニュートか……。すまないな居眠りをしてしまった。ここのところ祭りの準備で公務が立て込んでおったのだ。フラウには内緒にしておいてくれないか?」
大きな影がゆっくりと動き出し、少しだけ疲れが見える声で話す。
そこにいたのは黄金の鱗を持つ美しい巨大な竜だった。彼がニュートの父であり、ドラグニカの王なのだろう。
「うふふ。お父様はお母様には頭が上がりませんものね。いいですわ、十年に一度の聖光祭ですもの。お父様にはうんと仕事をしてもらいませんと」
ニュートの父は朗々とした笑い声を上げる。現実ではあり得ない竜と竜の会話だったが、そこにあるのは間違いなく親子のやり取りだった。
二人の笑い声とともに、意識は少しずつ現実に引き戻される。
*
目を覚ますと板張りの天井が視界に入った。十年近く見続けている自室の天井だ。自分の布団で寝ていたということはかろうじて分かるが、いつどうやってここで寝たのかが思い出せない。
体を動かすのが困難なほどの痛みが全身にあった。けれどそれは外傷による痛みではなく、体の内側が悲鳴を上げ続けているような筋肉痛だ。しかし、マラソン大会の翌日ですらここまでひどい状態になったことはない。
「!?」
痛みに気を取られて今まで気付かなかったが、自分の部屋に誰かがいる。空き巣かなにかかとも思って身構えたが、家具をひっくり返すような音はせず、ただただ本のページをめくる音だけが断続的に響いていた。
「目覚めたか。気分はどうだ」
その謎の人物はそっけない声で蓮理の体調を確認してくる。その言葉で少なくとも危害を加えてくる訳ではないと分かったので、内心でほっと胸をなでおろした。
筋肉痛のせいで頭を動かすのにさえ四苦八苦する。顔も見ることができないが、低くてハリのあるその声の主は自分とそれほど年が離れていないだろう。
布団に寝転がったまま悪戦苦闘して、ようやく体を横に倒したころにはじっとりと汗ばむほどに息が上がっていた。本をめくる謎の声は予想通り年の近い黒髪の少年だった。しかし、視線で物を切れそうなほどの鋭い眼力と冷たい印象を受ける怜悧な美貌には見覚えがない。それよりも、彼が脇に置いた大きな容器に視線が釘付けになる。
「ニュート……!?」
鳥かごのようなものに入れられている彼女を見て、意識を失う前に遭遇した事件のことを鮮明に思い出す。グラーダという化け物たちに追われるニュートから力を借りて、俺は竜の姿に変身してあいつらと戦ったのだ。
「心配はいらない。怪我は治療して今はただ眠っているだけだ。じきに目を覚ます」
そんなことよりも、と謎の男は本を閉じながらこちらに近づいてくる。
「お前とそいつの関係はなんだ。返答次第ではこちらも態度を変えざるを得ないだろう」
俺とニュートの関係? 何か答えようとしたが、言葉に詰まる。彼女との短い付き合いを表す言葉を今の俺は持ち合わせていなかった。
「……昨日、学校から帰るときにドラグニカって異世界から来たグラーダって化け物に襲われてる彼女……ニュートを見つけて」
荒唐無稽な話に目の前の少年は黙って耳を傾けている。かと思えば手に持った文庫本をめくる指は止まらない。俺が適当なことを言っていると考えて呆れているのだろうか。
「あっ、その時は化け物たちも擬態してたので動物の縄張り争いだと思ったんです。そこからがむしゃらに逃げ回ったんで一応、協力関係ってことになるんですかね……?」
実際にあったことをそのまま喋っているだけなのに夢の話をしているみたいな気分になる。何となく今は言わない方がいい気がして、変身した時のことは省略してしまった。
こちらが話し終わったと分かると、謎の少年は本をパタンと閉じて顔を覗き込んできた。すっと通った鼻筋や喜怒哀楽のどの感情も読み取れないその顔は、日本人以外の血の流れを感じさせる。完成されたと言ってもいいその美貌は、幼いころに見た西洋人形のようだった。
うわ、まつ毛長いな。
「俺は
「えっ……あっはい。よろしくお願いシマス……?」
ぶしつけに顔を見ていたのを咎められたのかと一瞬だけ身構えてしまった。しかし、出てきたのは自己紹介。結局うろたえたまま、しどろもどろな返事をしてしまった。それを了解と受け取ったのか、要はさらに言葉を続ける。
「次元監察局に所属していて、異界からの侵入者が有害かどうか判断し、有害であった場合は排除するという任務を請け負っている。この町でも時空の歪みが観測されたため、調査にやってきて……」
「待って待って! 俺が言うのもなんだけど話がファンタジーすぎて処理が追い付かない……! ニュートのいた世界とは昔から交流があったんですか?」
異世界からの侵入者に対応する組織があるということは、グラーダのような者が他にもいたということだ。しかし、目の前の彼は首を横に振る。
「いや、その竜のいた世界は現在確認されていない世界だ。しかしそうか。一般人にとってはなくて当たり前の世界か。……よし、一度これを着けてみろ」
一人で何かを納得した様子の彼が取り出したのは、何の変哲もないコンタクトレンズだった。目は悪くないと断ろうとしても、構わず着けろと押し付けられたので、筋肉痛を押して立ち上がり、恐る恐る瞳に乗せてみる。
「な、え!? なんだこれ?!」
別の世界にきたのかと錯覚するほどの情報量に脳を殴りつけられた。
日本語や英語、そのほかにも見覚えがある外国の言語で書かれた何らかのデータや、全く見覚えのない形をした文字のようなもので書かれたデータが、宙に浮いていた。そしてそれらは次々と日本語に変化していく。
情報の濁流が視界全体で目まぐるしく変わっていき、頭がどうにかなりそうだった。その感覚に耐えきれず強引にコンタクトを外す。
そこにあったのは、見慣れた自室のくすんだ壁紙と、今日が初対面の要さんだけだ。やけに視点が低いと思ったら腰を抜かしてしまっていた。
「この世界には、異世界との交流を可能にする力が昔から備わっていた。そして有史以来、この地球と交わった異世界は――約五千世界だ。観測されているだけでもな。物理法則から技術まで何もかもが違う異世界には、友好的なものから敵対的なものまで様々あった。例えば俺は、この世界と同盟を結ぶテクノニカ人と地球人のハーフだ」
何でもないという顔で信じられないことを口にする。
漫画家志望の友人に話せば目を輝かせるような話が目の前にあるという事実に、なんだかめまいがしてくる。そんな様子を気にすることもなく、要さんは俺の手の中にあるコンタクトを指さして話を続ける。
「そしてそれは、俺の故郷の世界、テクノニカの技術を取り入れた情報端末だ。この地球のあらゆる言語と、百以上の異世界に対応した翻訳機能が備わっている。そのほかにも色々あるが、今ので十分理解できただろう。この技術は地球に存在しないものだと」
VRやARという近未来チックな言葉がありふれたものになった現代。しかし、今まさに体験したのはそんな言葉では言い表せない超技術だった。まるで遠い未来からやってきたかのようなテクノロジーに触れて、ニュートの世界とはまた別の異世界の存在というのを信じざるを得なくなる。
それにしても、ドラゴンのいるファンタジーに、超技術のあるSF的な世界と異世界にもバリエーションがあるようだ。
「……納得しました」
「そうか。なら、話を戻すぞ。俺は監察局の命令でこの真宵市にやってきた。最近話題になっている神隠し事件を知っているか?」
神隠し事件とグラーダたちの出現には関係があったらしい。
「はい、ここのところは学校でもその話で持ちきりでした」
「ここまで言ったら分かるだろうが、それが異世界からの侵略者によるものかどうかの事実確認が目的だった。案の定、襲われていた一般人への聞き取りと救助のためにお前、佐伯蓮理の看病をしていたというわけだ」
彼の見せてくれたコンタクトのような技術を提供してくれる世界もあれば、積極的に侵略行為にいそしむ世界もあるということか。
「あれ? 俺名乗りましたか」
家の表札には苗字しか書かれていない。当てずっぽうにしては蓮理という名前もあまり見ないものだ。
「お前を運ぶときに勝手ながらこちらで調べさせてもらった。普通の病院よりもこちらで独自に処置した方が回復が早いと見込んだんだ」
なるほど。恐らく、戦闘が終わったときに意識を失ったのだろう。そこを彼に拾われて看病してもらっていたということらしい。
「ありがとうございます。それで、ニュートのことなんですけど……これからどうするつもりですか」
成り行きで助けたからには彼女がどういう処遇を受けるのかは見届けたかった。この質問に何でもないという表情で彼は答える。
「彼女への聞き込みののち、処分するか元の世界へ送り返すかの二択だろうな」
処分。命ある存在に向けるには冷たすぎるその言葉に背筋が凍る。もとの世界に送り返すにしても、彼女の故郷はグラーダたちの手に落ちた。どちらにしても命を落とすことに変わりはなかった。
「ま……待ってください! 彼女は追われてきたんです! 敵意はありません! 俺を助けるために命がけの決断だってしたんです!」
要さんの細い眉がピクリと動く。
「ほう。君の言う化け物からは君が助ける形で逃げたのではないのか? 聞きたいことが増えたな……話は聞いていたんだろう? 狸寝入りはもうやめて君も話に参加したらどうだいニュートくん」
かごの中のニュートがびくりと震える。観念したようにゆっくりと起き上がった彼女の前肢には痛々しい包帯が巻かれていた。
「乙女の睡眠を邪魔する耳障りな声がしたからね。安心して眠っていられなかったわ」
話を聴いていたらしいが、声には動揺を出さない。しかし、彼女がこれから殺されるかもしれないと思うと、こちらは気が気ではなかった。
「それは失礼した。俺としてはいくつか質問をさせてもらいたいが、構わないかね」
ニュートはふん、と鼻を鳴らす。話をする気はあるらしい。蓮理は固唾をのんで見守るしかない。
「それではまず一つ。君はドラグニカという世界から敵に追われてやってきた。この認識で間違いないか?」
「ええ、それで合っているわ」
「ならば、こう言い換えることもできる。君が来たせいでグラーダたちをこの世界に呼び寄せたと」
それはあまりにも乱暴すぎる論法ではないだろうか。いじめられっ子にいじめられる方にも責任があると言うようなものだ。
たまらず口を挟もうとするが、それより先にニュートが喋り出す。
「あら、だとしたら私を彼らに明け渡しでもするの? 『あなたたちが追っていたお姫様を渡しますから、この世界から手を引いてください』って?」
「ふむ……。必要があれば、俺たちはそのようにするだろう」
表情を一切変えずに頷く要さん。対するニュートは、その返答を馬鹿にするように鼻で笑う。
「それこそ馬鹿のすることよ。奴らの頭の中にあるのは領土を広げようという侵略欲と、奴隷を増やしたいという支配欲だけ。もし私の身柄が奴らに渡れば、私の持つ力を奪って本格的にこの世界への侵略を始めるでしょうね。そして……」
ニュートが頭をもたげてこちらを見る。心当たりのない俺は首を傾げるしかない。今の話の中で俺と関係のある部分があっただろうか。
「私を殺せばその子、レンリも死ぬわ。守るべき市民にあなたは手にかけるのかしら?」
「……え!?」
要さんがなにか喋るよりも先に、驚愕の声が出てしまう。彼女の使ったあの魔法が与えるのは力だけではないらしい。
「私は奴らから逃げるために彼を巻き込んだ。彼に力を貸し出して利用したの。そう簡単に始末できるとは思わないでよね」
要さんは微動だにしない。何を考えているのか、表情からはさっぱり分からない。
「そうか。なら次の質問だ。君の持つ力とはなんだ? 俺が倒したグラーダは彼に全滅させられたと言っていた。そして、彼は全身の骨にひびが入るほどの大きな怪我を負っていた。あれだけの怪我が二日足らずで完治する回復力とも無関係ではあるまい」
心臓が大きくはねる。あいつらの生き残りがいたのだ。要さんが助けが来なければ、自室の布団でなんて起きられなかった。つまり、彼は俺たちの命の恩人だと言えるだろう。
「他者に力を分け与え、邪悪を祓う矛とする。私の祖先が創り上げた至高の大魔術よ。レンリはその力で奴らを返り討ちにしたの。この術は戦う力だけでなく生命力や思考力まであらゆるものを強化する。その代わりに、私は普段以上に何もできなくなるけれどね」
ニュートは気だるげに首を振りながら、思いのほかあっさりと力のことを彼に話した。こういう駆け引きを伴う会話なんてしたことないから、それが正解かどうかも分からないし、最初に力のことを話さなかったことが間違っていたのかも分からない。堂々としているニュートを信じるしかない。
「なるほど。力を貸し出すだけでなく、自身の弱体化を代償にした対象の強化も可能ということか。あのグラーダという獣人を倒せたというのにも納得がいくな」
要さんの受け答えを最後に、またしても沈黙が訪れる。彼はまた本のようなものをめくり始めた。それを見たニュートが、初めて自分から口を開く。
「あまり時間がないのではないかしら」
ニュートのこの言葉に彼は初めて動揺らしき反応を見せた。眉をひそめるようなわずかな変化だったが、人形のような端正な顔には大きな表情の変化だった。
「なんのことだろうか」
先ほどまでと同じように、言葉には動揺は見えない。しかし、感情を抑えたその喋りが逆に彼の動揺を浮き彫りにした。
「先ほどからたまに見ているその本、お仕事の依頼が届いているのでなくて? グラーダたちは着々と侵略の準備を進めているはず。私の安否とは関係なくね。なら、ひっきりなしにこちらにやってきていても不思議ではないわ」
ニュートの指摘は正解だったようで要にため息をつかせる。
「よく分かったな。この世界の翻訳術式は人が音として発する言葉にしか適用されないはずだが」
「この世界にはそんな素敵な術があるのね。まあ、私がそれを読めたのはレンリとのリンクがあるからかもしれないわね。少しくらいならこの世界の読み書きも出来そうよ。この術で異世界人と契約を結んだのは多分私が初めてだから、ただの予想だけど」
彼女にとっても俺はイレギュラーだったようだ。しかし戦いならともかく、この話し合いの場においては自分にできることは何もないのが歯がゆい。
「それで、提案なのだけど。私を保護してもらう代わりに、今回の事件に協力するわ。私たち二人でね」
「俺もですか……ぐっ!?」
完全に第三者気分だったから、突然水を向けられた驚きで足が攣ってしまった。
ニュートの不敵な笑みと二人の人間の驚愕。蓮理たちの行く末は誰も知らない未来へと進んでいく。
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