1話-3 『竜の咆哮』
(そんなのあり!?)
アパートが並ぶ団地の谷間に誘い込む作戦で鳥型のグラーダを二体撃破した。これで五体いたうちの三体を倒したことになる。しかし、結界がなくなったような様子はない。
そういえば、久しぶりにニュートの声を聞いた気がする。さっきまであんなに喋っていたのに。あいつらの敵意がにじんだ声色と比べて、ずっと穏やかなその声に少しだけ興奮が冷める。
「昔見た映画を思い出してね。急減速で追手との位置を入れ替えるっていうのをやってみたけど、こんなの人の体でやるものじゃないや」
羽ばたく翼の付け根が痛い。二体のグラーダと自身の重量が思っていた以上にきつかった。あいつらから距離を離したらさっさと地面に降りたいくらいへとへとだ。
「あいつらの数は減ったけど、この結界ってまだ解除されてないの?」
(まだね。この術は術者が戦闘不能になったら解除されるもののはず。まだ解除できてないってことは、五分の一を外してるあなたの運が悪かったわね)
半分倒しても目的の個体ではなかったと考えると確かに少し運が悪いかもしれない。なにはともあれ、残りの二体を倒せばここから出ることができるということだ。
タイミングが良いのか悪いのか、残ったグラーダの足音が下から聞こえてくる。これさえ倒せれば、この空間からの脱出がかなうというわけだ。しかし、こちらも満身創痍に近い。
「ごめん、そろそろ限界っぽい」
(えっ、ちょっと!)
ずっと空を飛んでいたせいで背中の筋肉が麻痺してつりかけている。高度も落ち続けているため、否応なくグラーダたちの眼前に降り立つことになってしまった。
「部下たちが世話になったな」
最初に言葉を発したのは猿のグラーダだった。どうやら彼がこの集団のリーダーらしい。
「複数人であんな小さな子を追いかけまわすなんて、ずいぶんとつまらない仕事をしてるんだな」
「テメェ……ガキが調子に乗んじゃねえぞ!」
隙を見つけるための挑発に虎のグラーダが乗ってきたが、猿の方が手で制止する。
「もしかして図星? これは申し訳ないことを言っちゃったなぁ」
平静を装ってみるが内心は今すぐ叫びだしたいほどに焦っていた。これほどまでに相手が冷静だと、不利なのはこちらだ。猿怪人は余裕の態度を崩さず、こちらにあることを提案してきた。
「我々は君が手強い相手だと分かった。しかし、君も戦いには慣れていないようだ。ここからの死闘はまぬがれないだろうね。そこでどうだろう? 君と一緒にいた娘をこちらに渡すというのは。そうすれば、君を結界の外に出してあげると約束するし、これ以上の消耗はしなくて済むはずだ。悪い話ではあるまい?」
(聞いちゃダメよ、レンリ。どうせあんなの嘘っぱちだわ)
「はぁ……」
怪人の提案を聞いて、どっと疲れがやってきた。思わず、長い長いため息が口から漏れ出てしまうほどに気が抜けてしまった。安堵のため息とでも思ったのか、猿怪人は口の端を釣り上げて歯を見せた。
「どうだい? もちろんその娘の命は保障するさ。必ずドラグニカに連れて帰らねばならないからね」
視線を下げて足元を見る。人の手のひらくらいのアスファルトがつま先あたりに転がっている。しばらく眺めたあと、大きく息を吸って交渉の返事を口にする。
「それじゃあお前らの世界に帰った後の彼女はどうなる? お前たちが約束を守るかもわからないのに、こんな口約束でニュートを渡すわけないだろ。それに俺はもう彼女を助けると約束してるんだ。俺は死んでも約束を守るよ」
フィクションでもよくあるけれど、こういう場面で降伏を促すやつは決まって利害ばかりを重視して、感情を度外視した交換条件を出してくる。根本的に俺のような相手を下に見ているのだ。
あっけにとられたかのようなグラーダたちの顔。いい気味だ。
怒りと呆れが含まれたため息をもう一度吐き出し終わるとともに、無造作にアスファルトの破片を蹴り飛ばした。竜の力を受け止めたそれは一瞬で粉々に砕けて散弾のように飛び散る。
「グッ……!」
アスファルトのつぶてを食らった二体の怪人は大きくのけぞる。しかし、それだけでは撃破に至らなかった。まあ、これで倒せるとは思っていない。
「このヤロウ! 下手に出たらつけあがりやがって!」
猿の怪人は紳士然とした態度を崩して罵声を上げる。結局さっきのもポーズだったということだ。約束を守る気も最初からなかったのだろう。
虎は持ち前の瞬発力で疾駆し、猿は立体的な機動力で家の壁や塀を飛び移りながら距離を詰める。啖呵を切ったはいいものの、連戦のあとにこのスピードはちょっときつい。ほとんどその場から動けないままに防戦を強いられる。
「さっきの威勢はどこに行った小僧!」
猿怪人の鞭のようにしなる長い腕を横に飛びのいて回避する。間断なく、心臓めがけて鋭利な爪を突き立てようとしてくる虎怪人を、腕でとっさに受け止める。反撃に出ようとして踏み込むが、その力に耐えきれなかったアスファルトに亀裂が走り、踏ん張り切れずにたたらを踏んでしまう。その隙を狙って怪人たちは連撃を打ち込んでくる。
(守ってばかりじゃ勝てないわよ!)
分かっている。分かってはいるが、頭の中で彼女に返事をする余裕もないほどに追いつめられていた。
(……返事はしなくていいから話だけは聞いていて。あなた、現実じゃないとはいえ建物を壊すのが嫌で無意識に力をセーブしているわ。当然よね、走るだけであたり一面がれきの山にできるくらいの力があなたにはあるもの。奴らには到底生み出せない圧倒的な力よ)
唐突にそんな力があると言われても……。それだとセーブした今の状態でもアスファルトは耐えきれていないということだ。それに、怪人たちの攻撃は間違いなく傷や疲労として体に刻まれている。彼我の実力に大きな差があるなんて考えるほうが難しい。
(とにかく! その力を生かすために広いところに誘導しなさい。大丈夫、あいつらはこの世界のことをまだ知らないわ。土地勘はまず間違いなくあなたの方が上よ)
なるほど土地勘。幸いと言うべきか戦いというものにようやく体が馴染んできた。攻撃を受ける方向をうまく調整できれば誘導は可能なはずだ。少しくらい露骨でも誘導には気づかれないはず。となればここから近くて広い場所は……。
――河川敷の運動場! 視界を確保できるあそこなら猿の立体的な動きも封じられて、虎の不意打ちにも対処しやすい。
(思いついたみたいね。せいぜい頑張りなさい。左上、振り下ろし来てるわ)
後ろに飛びのくと左肩があったところに腕が振り下ろされていた。そのままさらに後ろに下がり、誘導を開始する。敵に背を向けて目的地に走りだした。たまに来る後方からの攻撃の予測はニュートに任せっきりだ。
「小僧、逃げるなァ!!」
背中を向けていても追いかけてくるのが音だけでもわかる。グラーダたちの頭には血がのぼって周りが見えなくなっていたおかげで、河川敷への誘導はかなり容易だった。
街の中心を流れる真宵川。そこに架かる真宵橋にたどり着いた。急いで高架下に飛び降りる。グラーダたちもこちらを見失うまいと慌ててついてくる。
「消えた!?」
何も考えずに飛び降りた彼らは配管に掴まっていた俺に気づけない。鉄棒で逆上がりするときのように反動をつけて、虎怪人の無防備な首元に飛び蹴りをかますと、声も上げずに膝から崩れ落ちた。
「……まず一体」
素早く振り返ろうとする猿怪人に地面から掬った土くれを目つぶしとしてぶつける。アスファルトとコンクリートだらけの市街地ではできなかったことだ。
「クソクソクソクソ!! 生きて帰れると思うなよォ!」
まともに目つぶしを食らった猿怪人は半狂乱になって長い腕を振り回す。しかし、あてずっぽうの攻撃を避けるだけならば今までと比べてずっと簡単だ。距離を取るために地面を蹴ると、衝撃が土を跳ね上げた。
場所を変えてみてわかった。後ろに飛んでも障害物がなく、運動場丸々一個分の距離を取れると考えるとかなり自由だ。飛びのいた余波で爆発が起きたみたいな土煙があがるとは予想していなかったが。
目つぶしから復帰しても、立ちのぼる土煙で猿怪人はこちらを見失ったようだ。煙の奥からこちらを探す叫び声だけが聞こえてくる。
(せっかく広いところに来たのだから、あなたに力の使い方を教えてあげる)
「力? 使い方? あいつらと殴り合い出来てるってだけで十分すごいんだけど」
(そんなものじゃないって言ったでしょ。今回は……そうね。魔力光の使い方を教えてあげる)
魔力光という名前に一瞬ピンとこなかったが、すぐに思い出した。さっき鳥型の怪人たちが使っていたビーム攻撃のことだったはず。
(まあ私たちの世界でも使える奴と使えない奴はいたけど、あなたには絶対に使えるわ。だって私の力を分け与えた人だもの)
ずいぶんと自信満々だ。さっき出会って話したばかりだが、ニュートは高貴な身分だったせいか自信家で態度が尊大だ。
(まず、魔力光はどこからだって出せるの。腕だって口だって、おへそからだってね。人それぞれに力を集めるイメージをしやすい場所があると思うわ)
力を集める。いまいち要領を得ないが、とりあえず前に突き出して広げた右手の手のひらに力を込めてみる。
(そうそう、イイ感じよ。その場合は手のひらが銃口で、腕全体が銃身というイメージを持つと発射までがスムーズよ)
たしかに、月光を受けて輝く銀腕は銃のイメージにぴったりだ。力が集まり、右腕が熱を帯びる。これがたぶん彼女らの言う魔力なのだろう。
立ちのぼっていた煙が晴れかけている。時間がない。
(銃で弾を撃つには火薬が必要なように、魔力光にも発射に必要なものがあるわ。まず照準を定めること。撃ちたい相手に狙いを定めて、当たることを強く願うの)
煙をかき分けて猿怪人が一直線に走ってくる。しかし、今は壁がないため愚直に突っ込んでくるしかないらしい。ニュートの言う通りに右腕を真正面に向ける。
(そして、叫ぶの。魔力光を撃ちだすための術式句を。その言葉はなんだっていい。発射するイメージさえできれば、昨日の晩御飯でも構わない。けれど、どうせならカッコイイ方が気分が上がるでしょ? せっかくだから考えてみなさい)
唐突な無茶ぶりが来た。パッとカッコイイ技名が思い浮かぶ高校生なんてごく一部だ。何か参考になりそうなものに思考をめぐらす。
そうだ。教室でクラスメイトたちが遊んでいるアプリゲームからとろう。確か、ドラゴンがアイコンのあのゲームで、相棒になるドラゴンが使える必殺技は……。
よし決めた。これなら技名もぴったりだ。
猿のグラーダが目前に迫る。照準を定めるように狙いをつけて、思い描いた術式句を叫ぶ!
「
叫んだ瞬間、光が右腕からほとばしった。その反動は強力で、左腕で抑えていないとあらぬ方向に魔力光が向いてしまいそうなほどだった。
空気を引き裂く悲鳴のような音が光の通り道に轟く。一軒家をそのまま巻き込めるほど極太のビームは、疾駆する猿怪人が逃げる隙を与えずに一口で飲み込んだ。
直線上にあるあらゆるものを喰らい尽くして、魔力光は掻き消えた。後に残ったのは、えぐれた地面と穴の開いた建物たち。グラーダたちの姿は跡形もなかった。
(なかなかセンスあるじゃ……な、い)
弱々しく声が途切れる。張りつめていた緊張がほどけて、意識を失ったようだ。交信が途絶えたニュートに声をかけようとするが、俺自身にも限界が来た。
「ニュー……ト」
*
倒れた蓮理とニュートを見つけた狼のグラーダは舌なめずりをした。最初の神社でいち早く戦闘不能になった彼だったが、蓮理が力を無意識に加減していたせいで絶命には至らなかった。それゆえに早く戦線に復帰することができたのだ。
「コーダの旦那も他の連中も姿が見えねえが、こいつらを連れて帰れば手柄は全部俺のもんだ……ヘヘッ」
犬っぽい口が笑みで歪む。よだれが零れ落ち、勝ち誇った瞳が爛々と輝いている。蓮理たちを連れ帰った後の賞与をどれだけもらえるか考えている顔だ。
「どれ、コーダの旦那が作った狩場もぼちぼちなくなるからな。こいつらをさっさとドヴォルグさまのところに持っていかねえと」
蓮理を肩に担ぎ、ニュートを脇に抱えた狼グラーダは、夜闇に紛れて飛ぶために足に力を込める。しかし、彼の足裏が地面から離れることはなかった。
「あがっ」
あごを強打した彼は、何が起こったのかとっさに理解できなかった。痛みは遅れてやってくる。ひざ下を切断された両足が全身に訴えかける激痛だ。
「イッ……テェ……! 足ィ……俺の足がァ、グゥ……!」
倒れたまま、両足を切り裂いた犯人を捜して首を回そうとする。しかし、そんなわずかな動きすらも阻害されてしまう。何者かに頭を強く押さえつけられたためだ。
「お前らがどこの世界の人間かは知らないが、この世界の一般人を連れ去ろうとした時点で死以外の結末は与えない。自らの愚行を呪うんだな」
地の底から響いてくるかのように低い声がグラーダの肝を震え上がらせた。その何者かは頭を踏みつける足に力を込める。直感的に死の恐怖を感じたグラーダの口からは、とっさの命乞いが漏れ出てしまう。
「こ、こいつらだって普通の人間じゃねえぞ……! 俺の仲間を倒したのもこいつだからなァ……! ふ、復讐だよ復讐!」
頭を足蹴にする力が一瞬だけ抜けてグラーダは安堵する。しかしそれもつかの間、さっきまでとは比べ物にならない万力のような強い力が頭蓋を割り砕かんとする。
「そんなことは後からこの人間に直接聞けば済むことだ。お前に話を聞く必要もない。潔く死を受け入れろ」
蛍光グリーンの光がグラーダを踏みつける何者かの脚部から放たれた。それと同時に、グラーダの首と胴が別れを告げる。
何者かの放ったビーム刃は、魔法ではなかった。しかし、この世界にはいまだ存在しない未知の技術でもあった。
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