4月3日 悲しみを超えた愛④

 俺は李を強く抱きしめる。離れないよう、離さないよう。


「馬鹿! なんで勝手に居なくなるんだよ!」


 俺は怒気に、彼女に触れる腕の力が強くなる。


「しかも世界の中心なんて……生きたまま“バグ”に一生蝕まれるつもりだったのかよ?!」

「いいんです……貴方が元気で……幸せなら」

「幸せじゃない!!」


 俺は力の限り叫ぶ。李の肩がびくりと震えた。


「李がいないと……俺は幸せになんてなれない!」


 瞬間、身体を切るような衝撃波が俺を襲う。俺を李から引きはがそうとしているのか。

 だけど、彼女から手を離さない。


「李言ったじゃないか、『生きてる限りメイド』だって! だったらメイドでいてくれよ! 俺の生きてる限り、ずっとメイドでいてくれよ!!」


 暫くの沈黙ののち、李が口を開いた。


「兜様は……自分勝手なんですよ」


 李が呟く。と、同時に、俺を突き放した。俺は重力で浮いたまま、彼女を唖然と見つめていた。固く結んでいた口を開く。


「だったら私だって!!」


 吊り上がった目は、今まで俺に向けてこなかったものだ。


「兜様はいつだってそう! のこのこと命を投げ出して……残った私の気持ちを考えたことあるんですか?! 辛くて怖くてたまらなかった……なのに今は、私がいないと生きていけない?! 身勝手にもほどがありますよ!!」

「……ごめん」


 李はさらに吐き捨てる。


「どれだけ、貴方といた時間が楽しかったと思ってるんですか?! どれだけ、貴方の傍にいられて幸せだったと思ってるんですか?! どれだけ、貴方を愛していたと思ってるんですか?!」

「それは俺も同じだよ」


 李は目を丸くした。


「李がいない生活なんて、死にそうなぐらい寂しい。物足りなくて、胸にぽっかり穴が空いたみたいになるんだ」

「私だって……」


 李は涙を必死にこらえている、が……。


「私だってぇ」


 ついに嗚咽を交え、少女は俺に擦り寄った。

 俺は腕を彼女の背に回し、ポンポンと触れる。柔肌は、“バグ”に侵された影響か温度を感じない。


「なあ李。聞いてくれないか?」


「俺は、元の世界に戻りたい。4月もあって、李もちゃんといる世界に帰りたいんだよ」

「でも、それじゃあ兜様は……」


 李の表情は歪む。


「眠ったままだろうな」

「そんなの嫌……!!」


 再び泣き出しそうになる李に、俺は優しく言った。


「だから、起こしてくれないか」

「え……?」


「いつも君がそうしてたみたいに、頬をつねって起こしてくれないか」

「そんなこと……寝たきりで、起きる見込みがなくて……」

「信じてくれないか」


 念を押すように、俺はもう一度言う。


「俺の傍で、待っていてくれないか」

「……それは、命令ですか」


 李は真っ直ぐ俺を見つめる。


「命令だ」


 躊躇なく俺は答えた。

“命令”——その言葉をこれほどまでにすんなりと述べるなんて、これまでの俺じゃ考えられないだろう。


「なら……従うのみですね。なぜなら私は、貴方様のメイドでございますから」


 李は目尻に涙を溜めたまま、柔和な微笑みを浮かべた。




「ちょっとちょっと! 二人ばっかり良い雰囲気になって!!」


 不意に、重みが足に掛かる。


「アタシだって李に言いたいことがあるのよ!」


 俺の背にしがみついたのは茉莉だった。


「勝ち逃げなんてズルいわ! 李、もっと勝負しましょ! それで次はアタシが勝つの!!」


 また重みが。今度は優が俺の足にしがみついていた。


「李! お前がいなくて……その……」

「さびしかったんでしょ~?」

「うっ……うっさい!!」


 俺の傍で浮いている集真に、優が顔を真っ赤にしながら突っ込んだ。


「やっぱワンダリング同好会は、五人じゃなきゃ始まらないね」


 集真がいつもの呑気な調子で、後頭部に腕を組んだ。


「そういや鳥居、デバックは?」

「あ、そうだ」


 俺は部室の鍵を李の胸の前に持っていく。


「じゃあ、いくぞ」


 彼女の胸に鍵を差しこむ――と、どこかでガラスの割れるような音が聞こえた。音の方向……真下に目を向けると、空間にヒビが入っている。

 亀裂はみるみるうちに広がり、隙間から真っ黒な空間が見えてくる。それはまるで、俺が夢で見た、李と出会った事故現場のように暗く侘しい世界。


 火に焙られたかのように羽がじわじわ欠けていく。その端から中央に向かって無彩色が溶けていく。やがて羽が失われても、茉莉の能力のおかげで落ちることはない。はずだった。


「あれ?」


 茉莉があっけない声を出す。すると、優の変化させたゲーム機が、ポンという音とともに次々と消えた。


「能力が戻ってる……?」


 ということは……。


「アタシの能力、無くなっちゃった」

「え」


 途端、俺たちは蘇った重力に引き付けられて一直線に落下していく。内臓が置いてきぼりをくらう感覚が追随する。


「うわあああああ!!」


 そしてそのまま、悲鳴とともに亀裂の中へ吸い込まれていった。

 李をしっかりと、抱きしめたまま——。

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