4月2日 寂しさに耐える①

 今朝早く目が覚めたのは、消えた李が気がかりだったからだろう。朝日が差し込む前に瞼が持ち上がり、自然と身体が起き上がる。

 頬をつねって起こしてくれるメイドがいない……その感覚が、俺の心にぽっかりと穴を空けていた。

 レトルトの朝食を手早く済ませ、自分でタンスから服を引っ張り出す。李が準備してくれた日々が懐かしい。

 ……いや、浸っている場合じゃないな。

 小走りでキッチンに入り、棚にしまっていたチョコレートのファミリーパックを取り出した。李が戻ってきた時、たくさん食べられるように。

 既に一、二個食べていたため、封は開けられ輪ゴムで留められている。それでも量としては十分だ……よし、甘いのも苦いのもまんべんなく残っている。

 確認を終え、手ごろな紙袋に入れた。

 家に居ても落ち着かない。急かされる思いに憑かれたまま、俺はワンダリング同好会の部室へ向かった。


 昨日施錠しなかった部室の扉を開けた先に、一人の少女がいた。


「おはようございます、鳥居兜さん」


 室内の椅子に、スモモが座っている。足を揃え、背筋を伸ばしていた少女は、俺と目が合うと静かに会釈をした。その様は、やはり李そっくりで……。


「思い出してくれたみたいですね、よかった」


 ポーカーフェイスな彼女だったが、声色には安堵が滲んでいる。


「お茶でもどうです? 注ぎますよ」

「あ……いや、いい」


 俺はスモモの隣に座る。紙袋をテーブルの上に置き、話を切り出した。


「なあ、スモモ。大正メイドの李はどこ行ったんだ?」

「分かりません、まさか姿を消してしまうなんて……」


 彼女からしても想定外の出来事だったのだろう。


「あいつが、3月を上書きして4月を消したんだよな」

「そう見て間違いないですね」


神妙な声色で、彼女は答える。


「君は、知っていたのか?」

「半信半疑でした……それに、あの子を犯人扱いしたくなかったんですよ」


 スモモの表情は沈んでいた。俯き、静かに呟く。


「だってあの子は、私の……」


 スモモはここで言い淀む。暫くして、彼女は顔を上げた。


「それより、これからどうするんです?」

「もちろん、李を取り戻す」

「……貴方は本当に、身の程知らずですね」


 よく言われる。だって、困っている人がいたら助けたくなるじゃないか。それが誰であっても。

 でも……今は違う。


「もし、消えたのが私だとしても……貴方は助けてくれますか」


 俺は答えられなかった。俺の瞳に、きっと彼女は映っていない。


「……そうですか」


 表情を崩さない少女の瞳が、僅かに潤んだ。


「それで、いいんです」


 自らのスカートを掴む指には、力が籠っていた。


「なら私から、一つアドバイスがあります」


 俺の右手を取ったスモモは、その手を俺の胸に当てる。


「一人で頑張りすぎちゃ駄目ですよ」


 少女の瞳は、俺を真っすぐ見つめていた。




 暫くしたのち、少女が問いかけた。ゆっくりと手が離れる。


「これからどうするんです?」

「部員を全員集めるよ。一人で頑張りすぎちゃ駄目、なんだろ?」

「はい。分かってるじゃないですか」


 茉莉と優に電話を入れる。

 電話番号は覚えていたから掛けたは良いものの、二人とも俺のことを覚えていなかった。訝し気な声が電話越しに聞こえる。


「俺は鳥居兜。初めまして……になるのかな。今日の朝九時、花宮高校の外れにある小屋に来てくれないか。通称ワンダリング同好会部室。詳しいことはそれから説明するから」


 とだけ言って通話を切った。


 待ち合わせまで残り三十分ほどか。

 問題は、どうやって三人に李のことを思い出してもらうかだが……。

 そもそも、来てくれなかったらどうしよう。


「普通に考えれば来ないでしょうね」


 スモモからはばっさりと言われてしまった。


「だよなぁ」


 不安が声色に現れる。スモモにも伝わっているようだ。


「ですが、この世界は普通ではないんです。信じましょう」

「……ああ」


 俺を鼓舞するスモモの言葉に、少しだけ気持ちを持ち直す。


「というか仮に来たとしても、どうやって思い出させれば良いんだ?」

「うーん。ここは李が上書きした世界……ならば、彼女の気持ちに立って考えれば良いのではないでしょうか」


 李の気持ち……李ならどうする?

 思い出せ、李の行動を。茉莉や優、集真に対して李はどうしてきた……?


「あっ……」


 頭の中を稲妻が駆ける。


「……閃いたよ、思い出させ方」


 俺は立ち上がり、部室の扉に手を掛ける。


「どちらへ?」

「ホームセンターだ、ちょっと買うものができた」

「は、はあ……」


 スモモは、俺の唐突な行動に対して呆気に取られている。


「スモモも手伝ってくれないか」


 俺は笑みを作る。それは多分、李のように柔らかなものだったと思う。

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