?疲怦?第律  犠牲①

 電車の車体は横転し、扉が天を仰いでいた。

 乗客の死体が、私の上に山積している。その隙間から見える光はない。どれぐらい時間が経っただろうか。目が暗闇に慣れてしまった。

 上にも下にも熱を失った人。息が苦しい。身体を動かすこともできない。ただ死骸の中で成すすべなく意識の終わりを待つだけだった。その山から辛うじて出ていた左手が、誰かの冷たい皮膚に触れる。


「……か、……るか?!」


 身体中が痛い。だけどそれを、押さえることもできない。人の下敷きになったまま上を眺めることしか、私にはできない。これが最期の景色なのだと、諦観していた。


「生き……か?!」


 そんな死に塗れた世界に、男の声がする。はあはあと息を切らしながら、必死に叫んでいる。

 やがて手に、温かな感触が走った。


「待ってろ! 今助ける」


 少しずつ重積が無くなっていく。痛みが引くことはないものの、少しずつ身体が楽になる。

 彼の荒い呼吸に、いつの間にか耳を傾けていた。


 ようやく彼の顔が見えた。黒みがかった紫色の髪に、割れた眼鏡を掛けた一人の青年。

 私の上から遺体をどかした青年は、私に優しく笑いかけた。見える世界は暗いのに、彼の顔には、まるで光が差しているようであった。


「よく頑張ったな」


 ——彼が私を、見つけてくれたのだ。


 でも私はどうしたらいいか分からなくて、顔を逸らしてしまった。その表情は、大層強張っていたと思う。




 私は体育座りで、救助を待つ。

 服はボロボロで、腕は血が滲む。だけど止血する気も起らない。先ほどから、あの青年の笑みが頭に貼りついて離れない。

 唇は固く結ばれ、身体が一層縮こまる。


 暫くすると彼が戻ってきた。


「いなかったよ、生き残り。外には黒いのがうじゃうじゃ居て、出られそうにない」


 そう言う彼は心の底から悲しんでいるようだった。

 しかし私には笑顔を向ける。


「でも、君が生きてて良かった」


 眩しくてたまらなかった。だからだろうか。顔が熱くなって、目から涙が溢れて来た。堤防のないダムの水がとめどなく流れるように、雫は頬に太い軌跡を描いた。


「うう……」

「ええ?!」


 彼は、突然泣き出した私に困惑していた。


「ええっと……うう…………あ、そうだ!」


 自らの手提げ鞄から何やら取り出し、しゃがみ込んで私の前に持ってきた。


「ヤア、ボクブシクン! ドコカイタムノカナ? ボクニオシエテホシイナ!」


 ニワトリのマスコットに、裏声で声を入れる男。でも、流石に恥ずかしかったらしい、言い終えた後暫くすると彼は赤面する。


「ああ、いや……やっぱ無し! 今のは忘れてくれ」


慌てふためく青年。


「ふふっ」


 そんな彼が可笑しくて、私は吹き出していた。


「……君、笑ってた方が可愛いよ」


 顔が熱くなり、隠すように私は俯く。

 生まれて初めて、そんなこと言われた。

 彼もそんな私に微笑んでいた。


「あげるよ、これ」


 と言い、ブシ君と呼ばれたストラップを私の手のひらに収めた。私は目のやり場に困り、ブシ君に視線を落とす。全身は白く、鶏冠が紫色の小さなニワトリ。その吊目と目が合った。

 青年はにっこり笑っていたが、私の腕から流れる赤い液体を見て慌てて覗き込む。


「血、出てるじゃないか」


 彼はパーカーを脱ぎ、私の腕に巻き付けきつく縛った。パーカーに血が移るが、青年は気にしていないらしい。


「他に痛いところないか?」


 彼の問いかけに、私は俯いたまま首を横に振った。


「そっか……あ、そういや自己紹介してなかったな」


 彼は柔らかな笑みを向ける。


「俺は鳥居兜。君は?」


 彼の瞳を、努めて真っすぐ見つめる。ブシ君を握りしめ、私は名前を口にする。きっと表情は、硬いままだ。


「……花咲、李」

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