3月39日 困難③

 扉の隙間からは小さな“バグ”が沸いている。泡のように噴き出た蛆虫は、際限なく取っ手、俺の腕へと這い上がっていく。

 そんな“バグ”と一緒に恐怖心も払い、勢いよく扉を開ける。

 と、暴風とともに黒ずんだ羽虫が俺の身体を叩いた。


「うっ……!」


 不思議なことに、“バグ”は俺の身体をすり抜けていく。じわじわと内臓を侵食する感覚に思わずしゃがみ込んだ。


 ——痛い。


 身体中を襲う、焙るような熱さ。手がひりひりと痛み、思うように動かない。

 鼓膜を劈くような羽音に耳を塞ぐも、内側から音が溢れて止まらない。


「くそっ……!」


 屈みながらも足を踏みしめる。目をうっすらと開け、嵐の終わりを待つ。

 蛆虫の襲来が納まると、耐え兼ねて身体が崩れた。


「はあっ……はあっ」


 息が苦しい。身体中がむずむずして、それでいてじんじんと疼いた。そう、確かに痛いのだ。それなのに掻きむしりたくて仕方がなくなる、不快な感覚に心が折れそうになる。吐き気と頭痛、そして耳の内側で今だ鳴り響く雑音に、泣きそうになる。


 それでも身体をゆっくり起こし、前へ足を進めた。

 こんなところで、止まるわけにはいかないんだ。


 ——どうしてそこまで頑張れるのですか?


 少女の声がする。李にもスモモにも似た声が、俺の内側で優しく響く。無邪気であり、俺を理解できないといった声色であった。


「なんでって……」


 困ってるなら、求められたなら、助けるのが普通だろう。

 ——


 俺はふらつく足に力を入れ、努めて速く走った。


 夢で見たからか、間取りは正確に覚えている。

 小部屋を一つ一つ手探りで確認する。


「李! どこだ!!」


 どの部屋ももぬけの殻だ。

 部屋の四隅から“バグ”が集い、巣を形成し始めている。

 俺たちが遊んだ404号室も、“バグ”に侵されていた。ゲーム機には黒ずんだ蜘蛛の巣が張り巡らされ、カーテンには一回り大きい蛾のような虫がこびりついていた。


 身震いした。

 得体のしれないモノに、昨日まで普通にあった場所が侵略されている。もし俺たち同好会が集まったのが今日だったらと考えると恐ろしい。


「李! 返事してくれ!!」


 404の部屋を出て声をあげるも返事がない。

 息が荒くなる。ヒューヒューと喉の中で音がする。背中が燃えるように熱い。


「埒が明かないな……」


 壁に手をつきもたれかかる。

 その時、ピンと頭の中で糸が張る感覚がした。目を大きく開け、その感覚がする方向へと頭を向ける。

 今までで一番大きな胸騒ぎがした。ドクドクと心臓が激しく脈打つ。

「行くな」

 本能の俺が、俺の腕を引っ張り引き留める。

 だが俺は、根元へと向かっていった。

 廊下を進むにつれノイズが大きくなっていく。頭が割れるほど痛い。




 正面玄関と同じ、両開きの扉を開ける。

 落ちたシャンデリアには小さな“バグ”が群がり、テーブルの脚は折れている。人が食卓を囲むはずの部屋なのに、“バグ”の食堂と化している。

 そしてそこに——。


「李!!」


 李が仰向けで倒れていた。着物は所々破けており、顔や手には傷がついている。頬にできた切り傷から血が垂れている様に痛々しさを覚える。


「兜……さま……?」


 か細い声で鳴く李。

 メイド服の前は破け、胸のあたりまで肌が見えるようになっている。そう、見えるのだ。


「……っ!!」


 俺は絶句した。


 まさか……。

 はだけた襟元からそっと中を覗き、血の気が引いた。熱を持っていたはずの身体が、一瞬にして凍りつく。

 そんな俺を見た李の表情に影が差す。


 ——李は“バグ”に憑かれていた。

 胸部から腹部にかけて、肌が黒ずんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る