3月37日 予期せぬ出会い③

 李に似た少女に続き、ゆっくり路地裏を歩く。学校への近道にもなる――3月32日に通った細い路。

 二人分の足音が、路を挟む建物に反響する。


 彼女は、本当に李そっくりだった。

 腰まである長い髪と、洋風な服を除けば、見間違えてしまうだろう。

 歩き方だって、一緒だった。


 なかなか話を切り出さない彼女に代わって、俺が問いかける。


「それより、ってどういう意味だよ」

「簡単です。貴方はこの世界で死なない。いえ……世界が貴方を死なせない。そういう約束が組まれたのですよ」

「死なせない……?」

「死に際しても、必ずどこかに戻されませんでしたか?」

「あっ……」


 ――3月32日。“バグ”に刺された俺は、どうしてか部室で目を覚ました。李が運んでくれていたのかと思っていたが、違ったのか。


「……やっぱり、この世界がおかしいんだな」

「はい」


ここ最近感覚が鈍っていたが、間違っているのは俺じゃないようだ。


「で、どうやったら4月のある世界に戻れるんだ」

「そこまでは、分かりかねます。恐らく、“バグ”に憑かれた人間の所業だとは思いますが」

「な、なるほど」

 

 その言葉を最後に、俺たち二人を静寂が包む。何となく居心地が悪くなり、話題を切り出した。


「……ところで君。名前は?」

「……」


 彼女は答えない。答えあぐねているように見えた。眉を僅かに落とし指先を絡めるその様に、聞いてはいけなかったかと不安に駆られる。


「そうですね……」


 やがて言葉を発する。


「スモモ——とでも名乗りましょうか」




「おお……! これがお祭りですね」


 いつか集真が端末でチェックしていた祭り。

 と言っても早朝だから、ほとんどの店は人すらいない。通りも俺たちしかいない。まさに貸し切り状態であった。


 そんな中現在絶賛で開いているのは、チョコバナナの屋台だけだ。


「あの、お金ありますか」


 少女——スモモは先ほどと打って変わって、幼い子どものように目を輝かせていた。……いや、身長低いし本当に幼い可能性もあるが。先ほどの大人びた態度から、俺はこの子の年齢を高く見積もっていた。だからこの変わりようには意表を突かれていたのだった。


「いらっしゃい……」


 店主はおじいちゃんだった。皺まみれの口がゆっくりと動く。


「『チョコバナナ一つ、チョコレートは甘口で』……とお願いします」


 並んだチョコバナナの一つを指さしながら、スモモは興奮気味に言う。

 ああそうか、このおじいちゃんには見えないのか。俺はスモモの注文を復唱する。


「チョコバナナ一つ、チョコレートは甘口で」

「あいよ……」


 おじいちゃんからスローロリスのような遅さで手渡され、俺は斜め下から期待の眼差しを感じながら受け取った。


「座れる場所に行きましょうか」


 今にも食べたい感情を押さえながら、少女は俺の手を引く。そしていそいそと、駐車場にあるコンクリート製の段差へと歩いていった。


「はい」

「ありがとうございます」


 段差の前で俺がチョコバナナを差し出すと、スモモは両手で慎重に割りばしを持つ。そして腰かけるや否やかぶりついた。


「ん~! 甘くておいしいです……!」


 幸せそうに頬張るスモモを見ていると、蘇るものがあった。


 ——3月32日の動乱の中、バグを切り伏せた李が見せた、満面の笑み。


「……あ、いえ。なんでもありません」


 そして我に返ったのか、何でもないように表情を戻す。

 やはり二人はよく似ていた。


 彼女を見つめていると、スモモが視線に気づいたのかこちらを振り向く。そしてチョコバナナを俺から隠し、ぶっきらぼうに言う。


「……あげませんよ」

「いらないよ」


 俺が無害だと確認したのち、再び口を開ける。


「……おかしいですね」


 バナナは食べられ小さくなっていく。もうすぐ完食に差し掛かろうとしたとき、少女は思い出したように呟いた。


「甘いのが好きなら、そう言えばいいのに」


 気づけば日が俺たちを見守っている。


「……私にはできませんよ」




 食べ終えると、スモモは静かに立ち上がる。スカートについた埃を払い、笑うことなく俺を見据えた。深々と頭を下げるその所作は、やはり李とそっくりだ。


「今日はありがとうございました」

「ああ、うん」

「上がいるってこんな感じなんですね」


 しみじみとした口調で囁くスモモ。手に持った割りばしには、小さな黒いハエが寄ってきている。黒ずんだ羽が目にも止まらぬ速さで往復して——。


「送っていきますよ」

「いいよそれぐら……?!」


 途端、大地から黒い砂塵が巻きあがった。粒に見えたそれは一つ一つが絶え間なく蠢き、その群れは絶えず羽音をかき鳴らしていた。


 ジジジジ——。


 頭の中に直接響く。脳が虫の息吹に呼応しているかのようで、どうしようもなく耳を塞いだ。しかしそれも無意味で、ノイズはだんだん大きくなっていく。鼓膜が破れそうだ。


「あ……ぐっ……!」


 痛い、耳が……頭が痛い。耐えかねしゃがんだ俺に続くように、スモモもしゃがみ込む。

 少女は動じていなかった。


「早く抜け出してくださいね、この歪んだバグった世界から」


 ——私の生まれた、この世界から。




 視界が暗転した。

 女の子のすすり泣く声が、遠くで聞こえる——。

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